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神学生のころ、日曜学校で子ども達といっしょに良く歌いました。
賢い人が家を建てた
人生も同じですね。。二つの土台です。イエス様は大工さんでした。 砂上の家は、見かけは良いと思います。表面的は同じでも、ルカ福音書には、こう書かれています。 その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。 聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。 ルカ6:47-48 見かけは同じでも、土台が違うと結果は違います。ルカでは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人こそ、何があっても大丈夫な人生を生き、天国に迎えられるのです。 岩とは何でしょうか。聖書はイエス・キリストが岩だと示しています。 イエス・キリストの上に、人生を築き上げたいものです。 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。(Ⅰコリント3:10-14) 人間にとって、土台が大事で、その土台が岩のように確かであれば、その人生は最高の幸です。 イエス・キリストを信じること、これに勝る土台はありません。人生の荒波にもまれても、びくともしません。試煉の波や困難名問題に合う度に、信仰はさらに強く深くなり、祈りはさらに真剣になり、素晴しい人格も磨かれていきます。聖書をしっかり読んで、礼拝を守り続ける人生を、ありがとうございます。感謝します。 ローマ人への手紙5:1-5 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/12/06 10:42:57 AM
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