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碁法の谷の庵にて

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囲碁~碁界一般編

2020年02月17日
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カテゴリ:囲碁~碁界一般編
来週日曜日、日本棋院でジャンボ囲碁大会です。
 私も一応出場予定になっています。

 それはいいのですが、ちょうど、今コロナウイルスの蔓延が大きな問題になっています。
 国から不要不急の集まりをなるべく自粛するよう呼びかけがなされることとなりました。
 棋士の手合や碁会所経営者が碁会所を開店するうちはともかく、アマチュア大会であるジャンボ大会は基本的に不要不急の外出だろうと考えざるを得ないように思います。

 ジャンボ大会の場合、何百人もの出場者が一堂に会します
 しかも対局中何時間も向かい合ってじっとする上、狭い建物の中で皆で弁当を食べることまで一緒にすることが想定されています。
 コロナウイルスの感染経路は未だ不明のようですが、一般のイベントよりかなり感染の危険が高いものと考えざるを得ません。

 高齢者や未成年者、場合によっては小学生くらいの年代で感染した場合に危険性が高いと思われる年代の出場者も結構多い大会です。
 特に未成年者の場合は事態の危険性への理解が難しかったり、大人との混成チーム(囲碁教室系チームだといくつかある)では遠慮して「行かない」と言い出しにくいでしょう。

 アマチュア個人戦からはとっくに引退しているが昔の仲間と会えるジャンボ大会だけ出ている、という人も何人か知っています(学生タイトルクラスの実力だったりする)。
 そう言う人たちにとっては欠場は決断力がいるものです。
 また個人戦なら自分一人だけ我慢すればいいですがジャンボ大会の場合団体戦ということもあり、欠席がチームに及ぼす影響を考えてある程度なら体調不良さえも押して出場する人たちもどうしても出てしまうと思われます。
 

 国からも呼びかけられる状況に至った以上、ジャンボ大会の延期ないしは中止を日本棋院側で断行することも視野に入れるべきであると思います。
 「団体戦」という性質、さらに未成年者が多いなど個々人の自己判断に任せることが難しい状況下。
 楽しみにしている人や何とか当日の予定を開けるために苦心した人もいて、葛藤も多かろうと思います。
 チーム全員が「出ます!」と言ったら私も心が弱いので出てしまうと思います。
 
 棋院の決断が出ないのであれば各団体の幹事の皆さんが同様の決断をせざるを得ないでしょう。
 非常にしんどい決断になることと思いますが、事態を踏まえ、勇断を示されることを望みます。
 チームの皆さんから白い目で見られても、私はその決断を評価致します。






最終更新日  2020年02月17日 10時55分45秒
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2019年11月01日
カテゴリ:囲碁~碁界一般編
依田紀基九段が記者会見を開いて日本棋院不信を訴えたそうです。
 (日刊スポーツの記事はこちら、デイリースポーツの記事はこちら)
 背景にある事情について正確な所は私からはほとんど分からず(依田九段のツイートは追う前に消えてしまったので)、漏れ出てくる情報からいくつかのストーリーの推測は立つにしても、つぎはぎが多く確度は低い所だと思いますが…


 依田九段、twitterでの意見表明をたしなめられ、そこについて落ち度を認めたからと言って、「記者会見」というのはもっとまずい方向に話が進んでいるように思います。
 twitterやSNSでの見解表明がしばしば「炎上」という形で問題になるのは、ろくに考えもせず重大なことを表明してしまう人が後を絶たないし、あとで落ち着いても表明した事実が簡単に消せず取り返しがつかないからです。
 記者会見ならば、ろくに考えもしない発言ではなく本人なりにしっかり考えた上で発言するだろうという信頼は比較的強度ですが,代わりに「取り返しがつかない」度合いはSNS以上です。
 依田九段がtwitterに関して(方法論に問題があろうと)真摯に表明したのであればあるほど、記者会見という方法はtwitterの問題点「軽々しく発言しやすい」は、解決してもあまり意味がないどころか、むしろ余計な問題点が追加されているだけです。

 
 記者会見の報道から、依田九段を支持・応援する人はそれなりにいるかもしれません。
 確かに、依田九段の言っていることが本当なら「これはやばいでは済まないのでは…?」「依田九段が憤慨するのも無理はない」と感じられる事項もあります。

 でも私も含め報道を読んだそういう人たちが依田九段についたところで、依田九段が望んでいる棋院の問題点の改善にはつながるとは思われません。
 依田九段が本気で事態を憂慮しているならば、その手の「依田九段の味方」と「依田九段当人」の温度差は絶望的なくらいにあると見ていいでしょう。
 彼等は依田九段に寄り添ってくれるという訳ではなく、一時的な話題として依田九段に同情するだけ。もっと言えば話題として消費するので終わる人が大半でしょう。
 しかも依田九段の一方的意見しか聞かずに「依田支持!棋院が悪い!」というだけではその同情も軽いものであり、仮に支持者から改善提案が出た所で地に足のつかないものです。
 何かのはずみで依田九段の問題点が出てきたら突然風向きが変わってしまい,本来の問題点が解決された訳でもないのに一顧だにされなくなってしまうことすらも危惧されます。


 記事を見る限り、そうなることも覚悟して、依田九段も会見で事態を可能な限りつまびらかにして判断を仰いで、その中で味方についてくれる人を探している…とはちょっと考えにくいように思います。
 記者会見だけで支持に回ってくれる人たちはいるかもしれませんが、そう言う人たちは依田九段を精神的に慰めてくれるだけです。
 そういった精神的な慰めが欲しいという気持ちを責める気はありませんし、精神的な慰めが重要な働きをする場合もあることは否定しませんが,そんな精神的な慰めだけでどうにかなる事態なら、こんな記者会見まで開くほど事態が深刻になったでしょうか?


記者会見では
命の危険すら感じる精神状況となっています」と、表情をゆがめながら言葉を絞り出した。

「対局中止などの処分は、まったくあり得ない!」と突然声を荒げる場面もある

と報じられています。

 これらの記述からは依田九段が精神的に不安定になってしまっていることを疑わざるを得ません。
 報道の文面の具合の問題で実際はそうでないとしても、そう読めるように報道されてしまっています。


 背景になった紛争について誰が正しい・誰が悪いを私が論じることはできません。twitterでの表明の当否を脇において、執行部が一方的に悪く、依田九段は純粋な被害者という可能性もないわけではないのでしょう。
 しかしそうであるにしても、依田九段のこうした表明が事態の解決につながるとは到底思われません。
 そもそも当の依田九段自身が何が問題になっているか、一度ツイートしましたが削除してしまい、その後は具体的な所を明かさない、あるいは明かしているにしても報道に報じられていないのです。
 そんな状態で記者会見するなら、裁判所に訴えや調停を提起し、公的機関をかませたフォーマルな手続に持ち込む方がまだしもまともなやり方ではないかと思います。
 少なくとも、ガヤの精神的な慰めは当てにせず、棋院とケンカ別れすることも覚悟が決まってから可能な限り事態をまとめ、徹底的に戦略を立てて行うべきです。
 依田九段が精神不安定、あるいはそう読めるように報道されてしまう現状のままこじれた紛争を顕在化させることは、たとえこれまで依田九段が棋院に不当な仕打ちを受けていたのだと仮定してもまずいでしょう。
 労働法の理屈なら、内部告発や批判活動をしたとしてもそれだけでは懲戒理由にはなりません。しかし、依田九段にストレートに労働法の理屈が使われる訳ではありませんし、例え内部告発や批判の内容が正当でも手段がまずければ懲戒が正当化されえます。(記者会見という手法はかなりまずい可能性が大)
 私としては、依田九段の肩を一方的に持てる状況ではないのですが,主張内容について依田九段の肩を一方的に持てると仮定しても現状は不安しか感じません。
 少なくとも、囲碁ファンの一人として私は依田九段の今後に強い憂慮を覚えます。



 記者会見には弁護士2名も同席していたそうです。
 記者会見を止めなかったのか、依田九段の強い意向があって尊重せざるを得なかったのか、はたまた弁護士サイドから記者会見を勧めたのかは分かりません。
 私が依頼を受けたなら、記者会見を開きたい!という意向にはまず反対すると思いますが、当人の意思が堅く覆る見込みがないと見たならば記者会見について行ってフォローや補足はすると思います。

 依田九段の会見に付き添ったという二人の弁護士には、事態を何とかするための御尽力を祈るばかりです。




※※※※※※※※12月10日追記分※※※※※※※※

 依田九段のものと思われるブログに、記者会見の原稿と配布資料の一覧がでました。
 内容的に本物と推察していますが、確認は取れていませんので、偽物なら以下の見解は全て前提が崩れることを承知の上でお読みください。
 内容的には上記の繰り返し部分も多いですが。


 読んでみて、記者会見に関連する報道で出ていない情報(例えば不満を議事録に載せないというが何を主張したのか、KMSに情報が流れたなど)はいくつかありましたが…
 内容的には「想定の範囲を出るものではない」という認識です。


 もちろん、依田九段の記者会見が誠実に行われたという仮定を前提にすれば、依田九段がなぜ自分が対局停止なのか、そもそも正式な処分でなく対局禁止というのはあるのか、何故長期間にわたって説明をしないのか。
 こうした点について依田九段が不信を覚えるのはごもっともであり、棋院の対局禁止に関する内規などが不明である(懲戒に関する規約に対局禁止があるのでしょうか?)にせよ棋院執行部は非常に問題の大きいことをしている可能性が高く、あるいは執行部の誰かが暴走しているのだと仮定してもその問題ある行為を止めることもできていないなら、無責任ではいられないという感想ではあります。
 
 しかしながら、だからといって記者会見という手法が適切なのか、という記事の問題意識が解決したものとは思われません。
 むしろ、「本当なら棋院執行部(か少なくともその内部の誰か)に問題がある」という感想を抱いた時点で、いよいよ火に油を注いでしまった可能性が高いと再確認です。
 
 おりしもこの記事を書いて以降、東京高裁のマタハラ訴訟で東京高裁が「記者会見でマタハラ企業という認識を流布したことは名誉毀損」とし、マタハラで企業を提訴し、記者会見を開いた労働者側に逆に名誉毀損で損害賠償を命じています。
 片方の紛議の当事者が記者会見という形で幅広く関係者の名誉を傷つけることは、もし事実と違っていたら、あるいは事実であると立証することにしくじったらそれだけでも名誉毀損に当たると判断されてしまう可能性があるという事です。
 

 また、公益通報者保護法の視点で考えてみましょう。
 依田九段が公益通報者保護法における労働者に当たるかどうかについて、契約関係が不明ながらここではあたるものと仮定しましょう。
 しかし、この場合「通報先」は選ばなければいけません。例え内容が公益通報に当たるとしても、通報先を間違えれば保護の対象にならない=通報自体が処分の対象になりかねません。

 組織的な不正について通報するものとした場合に通報先として真っ先に選ぶべきはまずは事業者内部の通報先ですが、通報先ともめている現状からすると使えないという事になると思われます。
 そうすると次に通報すべきは監督官庁ということになります。日本棋院は公益財団法人なので、公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律で処分や処罰の対象になる行為が法的に保護される通報になります。
 この段階で「棋戦の運営にあたって一部の棋士が不公正に排除された」というのが通報の対象に当たる事実か、と言えばそれは首をかしげざるを得ません。
 棋戦の運営については棋院に大きな裁量権が存するところであり、特定の原因で誰かを排除するというのは「問題行為」であっても、公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律上処分や罰則の対象になるとは考えにくいように思います。

 その点かなり強引とは思いますが、例えば法5条5号の不公正に運営される棋戦は「公の秩序もしくは善良の風俗を害する恐れのある事業」にあたりかねず、公益財団法人としての認定取消しにつながる等と考えたとしましょう。
 しかしながら、この場合の通報先は内閣府大臣官房公益法人行政担当室または東京都となります。

 ではマスコミなどに通報・会見することはどうでしょうか。
 一応、内部通報や監督官庁以外に通報することも保護の対象にならないわけではありませんが、その場合の通報先は「当該通報対象事実を通報することがその発生又はこれによる被害の拡大を防止するために必要であると認められる者」になります。
 しかも、正当化できるのは上記の通報先に通報したら不利益を受けるとか、証拠隠滅をされるとか、または書面で内部通報したけどなしのつぶてである場合や一刻を争う場合(毒性ある食品が出荷されたので「皆さん食べてはいけません!!」と緊急告知するなど)に絞られます。
 現状この件について被害者にあたるのは依田九段一人(依田九段の碁が見たいファンの希望は法的保護の対象とは言えない)ですし、例えば他の棋士が連鎖的に処分されかねないというような話もないのですし、一刻を争うという状況ではないですから、公益目的で被害の発生や被害防止をしたいなら報道に通報して会見という手法が適切という事にはならないのです。
 もしかすると、依田九段の会見の中でこうした事情について言明があるのかな?という可能性も一応考えましたが、公表されている資料類にはその手の言及は見当りませんでした。

 依田九段の記者会見は、違法でなかったとしても、棋院の処分からも保護される可能性は薄いように思われるのです。
 

 そして、私には「一個人としての表現の自由」はありますが、逆に言えばそれしかありません。
 表現の自由以上に依田九段や日本棋院を止める義務も権利もありません。
 しかも、棋院が「依田九段の主張は事実無根である」と取材に応じたという報道もあります。
 どちらの主張が正当なのか判断する以前にもうこの紛争は行きつくところまで行きつくしかなくなってしまったのではないでしょうか。
 もちろん徹底的に争うのは棋院にとっても依田九段にとっても棋院(あるいはその関係者)にとっても権利ですが、囲碁ファンとしては残念な事態の一語です。

 今の私は、この紛争はもう行きつくところまで行ってしまうのではないかと諦観していますが、何らかの形で事態が収まるという奇跡が起きることも祈っています。






最終更新日  2019年12月10日 18時49分42秒
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2019年07月22日
テーマ:囲碁全般(733)
カテゴリ:囲碁~碁界一般編
当記事の前提としている事実について、一部報道と日本棋院の発表との間で食い違いがあることが判明いたしました。
 詳細は追って別記事の形で出しますが、当記事のマスターズカップ終了に関する内容につき、前提となる事実に齟齬があり、その真実性には現状重大な疑問があることを確認の上で、以降の記事をお読み願います。
 なお、本件を通じたネットでの世論喚起狙いが非常に危険な行為であるという論旨それ自体には変更はありません。

 



※※※※以降本文※※※※

囲碁界のベテラン棋士による棋戦、マスターズカップ終了だそうです。


 しかも、その原因について、
「参加している棋士がツイッター上で非常な悪質なものを何度も出すことになり、フマキラーさんが棋戦を降りることになりました。その棋士の責任は大きいですが、日本棋院としてもおわびしなければならない」
毎日新聞より小林覚九段談
「棋戦そのものに傷が付いたとして、フマキラー社がスポンサーを降りる意向を示していた」
読売新聞
という事です。
 朝日新聞報道も同旨であり、間違いないと見ていいでしょう。

 仮に小林九段の表明が真実であったとして、「スポンサーが降板する理由」を「降りた側が説明する」のはともかく、「降りられた側が説明する」というのは非常に疑問があります。
「一度スポンサーになったら、降りる理由を棋院にばらされてもおかしくない」ということになりかねません。
 もしかしたら「経営がまずくて資金が出せない」というような余計な疑いを招かないよう、スポンサーサイドから明示してほしいと言われているのかもしれず、それなら分かりますが…(マスコミ報道が一言一句出している訳ではないので、その辺も会場では説明している可能性はある)。


 今回問題となった依田九段のtwitterでの一連のつぶやきは私も保管してある訳ではなく、ざっと検索してみた限りログも断片的なものしか見当たらなかったので記憶頼りですが、日本棋院の運営に関する内部告発を内容とするものでした。
 確かに、twitterでの元従業員などの告発からブラック企業やパワーハラスメントなど、一定の組織的な違法行為の存在が明らかになり、更にはそれに企業が火消しを誤って大炎上する…というのも、近年よく見かける光景です。
 炎上まで期待していたのかはともかくとして、依田九段に好意的に解釈する(私個人は依田九段は良くも悪くもその辺り正直な人という印象を持っています)ならば、棋院内部の現状に対して、twitterなどから支援する動きが出てきて、依田九段が問題あると考える現状を変えることを期待していたのかもしれません。
 しかし今回の件は、日本棋院が火消ししたというよりは、消す前から自然鎮火した挙句、一番燃やしてはいけないものにだけ延焼するという最悪の結末にしかなっていません。
 
 統計がある訳ではないので私の推測・体感で書くことをお許しいただくよりないのですが、組織の内部告発をtwitterで行うことは、非常にリスキーな行為であると言えます。
 やったはいいが、告発者自身に問題があったり事実誤認があったりすることがバレてしまい、告発に問題ある現状を改善する効果はなし。残ったのは告発者自身の不名誉や、「火のない所に煙は立たぬ」「こんな奴を雇っているのか」の理屈で評価を落とされる組織…という誰一人得をしたと思われない(せいぜい炎上で盛り上がった外野だけ)構図も散見されます。
 特に炎上現象の場合、火消しを誤って大炎上する企業や、告発者自身が故意の何かをやっている自業自得…というようなケースが目立ちやすいため、「特に悪意がある訳ではない告発者の目論見の成功率」は実際以上に高く見えやすいと思われることには留意しなければならないでしょう。
 さらに、炎上したとして、それが原因で寄ってたかって人を叩く人たちが本当に問題意識を持っているのか。例えその瞬間だけは炎上した問題に対して問題意識を持ってくれても、単なる消費財として燃料を扱っているだけではないか、と言った問題点も非常に大きなものです。(私自身も、瞬間的に興味を持つことはあってもその興味をずっと継続できるケースは多くありません。)
 先日の記事にマスコミは制御不能なねずみ花火のようなものと書きましたが、ネットの炎上も似たようなものです。


 私個人としては、きちんと裏付けがあることや,内部での是正手段を尽くして(是正手段があっても危険がありすぎるなど)なお…ということであれば、twitterをはじめとする媒体によるネットでの告発自体を絶対的に否定する訳ではありません。
 とはいえそれは「絶対否定ではない」というだけの話。
 よほどのリスク、それも自分にとどまらず、告発対象の組織も取り返しのつかない傷を負う可能性があることを覚悟しなければならないし、それができないならば肯定はできません。
 自分の依頼者がやろうとしていたら止めますし、止めるつもりの全くない人からの新規の依頼はお断りという形をとるかもしれません。
 

 今回の依田九段の例は、私の見た中ではネットでの世論喚起狙いがもたらした最悪級の失敗例であると言わざるを得ません。()






最終更新日  2019年07月26日 12時03分18秒
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2019年07月14日
テーマ:囲碁全般(733)
カテゴリ:囲碁~碁界一般編
先日、仲邑菫初段の公式戦初勝利が報じられました。更にAIとの公開対局も報じられました。

 以前、プロ特別英才採用制度について、記事(『日本棋院は若年棋士の保護を責務と心得るべきです!』)を書きましたので、この記事と併せてみていただきたいと思います。

 「仲邑初段は応援するし、棋士による選考を前提とした英才特別採用制度そのものは厳正な選考を前提に反対しないが、現在の日本棋院のあり方は問題がある」
 という私のスタンスは変わっていません。




 仲邑初段の公式戦初勝利が報道されるのはまだ分かります。
 Yahooでも写真が出るニュースになる程度には注目を集めていました。
 しかし,記者会見を開いてほとんど答えられていませんでしたが、10歳の子どもを記者会見に出すのはかなり問題があるように思います。
 子役芸能人で答え慣れているならまだしも、あまり答えもできていなかった事からすると、とりあえず周囲に言われたので出てきただけ…そう見えてしまいます。

 子どもは,周囲の希望を忖度し,周囲の希望通りの対応をしようとしてしまうという話はしょっちゅうあります。
 死ぬような虐待を受けている子どもですらも、親を庇い、自分が悪いと責め立てる…そういった話を知っています。
 仲邑初段が虐待を受けているという事はないものと思いますが、「仲邑初段自身がOKしている」という仮定を前提にしても、そこに周囲の意向の忖度の要素があるということは容易に想定できるので、はいそうですかと無邪気な支持には回れないのです。
 本当に心から記者会見に出たいと思っていることについては、私には根拠なく信じる、というより祈ることくらいしかできないのです。


 日本棋院は自前の判断能力に乏しい10歳の子どもをプロにしているのです。
 碁盤の上で例え井山裕太に圧勝できるほど強かったとしても、碁盤の上だけ強ければいいというほどプロは甘くないでしょう。
 むしろマスコミなどに出るとなると否応なく碁盤の外でのハードルは上がります。
 企業や芸能人の不祥事の例を見れば,沈静化させようと記者会見を開いたのに、対応や言葉遣いを誤ったばかりに余計な反発を買い総スカンを食ってしまうというのが、マスコミ慣れしている大企業トップや芸能人の会見でも別に珍しくないということは簡単に分かるはずです。
 マスコミは制御不能なねずみ花火のようなもので、自分たちの宣伝に使おうというのは、危険極まりない行為です。(怒り心頭に発した依頼者が「マスコミを使いたい」と言ってくるケースもありますが、私はそう言って止めています)
 将来的に引退して囲碁以外の人生を歩みなおすという選択も困難になりますし、その私生活だって脅かされかねません。
 判断能力の乏しさ故の誤った判断、周囲への忖度から仲邑初段を守ることが必要です。


 日本棋院は仲邑初段を記者会見に晒すのを止めるべきです。一般の棋士と同様、勝敗や棋譜を週刊碁や碁ワールドに載せたり、幽玄の間で棋譜を中継するのに止めるべきです。
 もちろん本人に持ちかけて「本人がいいと言った」ことはまったく理由になりません。
 もうマスコミその他に初勝利が報道されるほどに注目されてしまったので、今から「一切マスコミシャットアウト」を実行するのは厳しい(下手にシャットアウトしようとすると逆に生活が脅かされる可能性が出てくる)かもしれません。
 しかし,それなら直接のインタビューに晒さず、コメント形式での対応に切り替え、マスコミとの直接やり取りはさせないという手があります。
 そこでしつこいマスコミが現れたなら、盾となるのが日本棋院のなすべき仕事です。
 棋院で守れなくなるから棋院の盾の外に出ないで!と仲邑初段に指示するのはいいですが、積極的に出していくのはすべきこととは思えません。


  そもそも仲邑初段は「最高レベルの囲碁修行をさせ、最高レベルの棋力を身につけさせて世界に対抗する」ための人材としてプロ採用されたはずです。
 プロ試験をスルーさせた上で早期にプロに登用し,プロとしての公式対局の中で研鑽させるという考え方そのものは私は反対ではありません(アマチュアのまま特別研修生としてプロ級の修行を受けさせ、返還不要の特別奨学金を出す制度設計も考えるべきだと思いますが)。
 しかし、それなら本来の建前に立ち返って、「最高レベルの囲碁修行」をさせるべきです。
 中国や韓国に遠征させるか、国内で一流棋士やAIとひたすら打たせるか、詰碁を解かせるか、棋譜ならべか。記念対局も一応は、修行の一環と取れなくはありません。
 囲碁の研鑽にどのような手法が適切かは棋士の皆さんの研究や経験則に任せるしかありませんが、入段早々マスコミに晒すのが最高レベルの囲碁修行でしょうか。
 流石にそれは断固否だと思います。
 入段早々マスコミに度々晒すのも「最高レベルの囲碁修行」というのなら、せめてその根拠の一つも示してみろとおもいます。
 もちろん、マスコミに注目されながらもトップ棋士と互角に渡り合っている藤井聡太七段の例とは一緒にできません。仲邑初段はトップ棋士と互角に渡り合えるほどの力は現状ないと判断せざるを得ないからです。(仲邑初段の棋力面に関しても踏み込んだ感想はあるのですが、私が一介のアマチュアにすぎないことを踏まえてその点は黙っていようかと思います)





 私の上記のような批判や懸念が単なる杞憂に終わることを、心よりお祈りしています。






最終更新日  2019年07月14日 01時59分49秒
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2019年04月24日
テーマ:囲碁全般(733)
カテゴリ:囲碁~碁界一般編
棋士採用の制度については、棋院のホームページにもリンクがある棋士採用規程を参照しました。
 適宜参照願います。


 仲邑菫初段の棋士採用で話題になった英才枠による棋士採用。
 仲邑初段の入段の知らせに伴って初めて聞いたのですが、その時はへーそんな制度できたんだー程度に思っていました。

 私個人としては、プロ試験や院生序列による採用制度は公平性の見地からは極めて優れた制度ですが、将来的に世界で活躍できる棋士を選択するにあたって最良・唯一の手法とは断じられません。
 どの仕組みが良いかは統計を取るなどして検証・模索されるべきですが、標本を多数準備できるとも思われず、結局のところ多様な棋士採用制度の導入と非常に長期間を経ての検証によらざるを得ず、現実的ではありません。
 棋士採用制度の多様化は賛成します。

 その場合に、対局の勝敗以外で参考になるものと言えば棋士等による推薦や審査でしょうが、公平な審査による厳正な判定の仕組みが採られているという条件が踏まえられるのであれば、一応はアリ程度に思っていました。
 




 他方記念対局が多いとは言え仲邑菫初段の負けが込んでいたこと、個人的な感覚として、内容もあまりいいとは感じられないことが気になりました。
 確かに私よりは強そうですが、プロは私より強くても自慢にはなりません。うちの県のトップ10(阿含杯勝利経験者2、出場経験者1含む、私も入れるか微妙)が10人でかかれば2、3取りこぼす、アマチュアタイトルホルダーなら普通に勝ち越してしまうのでは?という感覚です。
 そこで、関連情報を検索し、棋士採用規程がアップされていたことに気づいたので見返してみたのですが…
 私個人は「若年者の保護と言う見地から、これは酷くないか?」という感想を抱き、若年棋士の保護という観点からこの記事を作成いたしました。

 なお、もし私が何らかの日本棋院の中での重要な規約などを見落としているという事であれば、ご教授頂ければそれを踏まえて以下の主張に関しては変更する用意がありますのでバシバシご指摘ください。(ネット棋院の閉鎖でいくつかの資料が消えている)
 なぜ見やすく公開しないのかとは思いますが、そういった規約を幅広く共有することは大切です。




英才特別採用制度の大枠としては、(棋士採用規程5頁、細則5参照)

採用目的:目標達成のために棋戦に参加し、最高レベルの教育・訓練を受けることができる者を選ぶ
採用基準:実績と将来性を評価。年齢は原則小学生。
審査方法:棋士2名以上の推薦を前提に、現役7大タイトル保持者、ナショナルチーム監督とコーチ3分の2の賛成によって審査会及び常務理事会を経て決定。
棋士資格:男子は七段、女子は五段以上になったら正棋士扱い。
棋士責務:マスコミ対応への協力



 前記した通り、「棋士による審査を前提とした英才特別採用制度」そのものは、厳正な選考を前提とする限りにおいて私は否定していません。
 英才特別採用棋士の正棋士扱いが遅いことについては、私としては試用的な棋士採用の方法として一理あると考えます。

 しかし、私が瞬間的にこれはダメだろ!と反応したのが、一般の棋士にない責務として、マスコミ対応への協力が責務というもの。

 本来なら、英才特別採用制度はある種の試用・育成制度として作るべきです。実際、制度上は正棋士ではなく対局料などに区別があるということで「英才特別採用も試用的な制度」として作っていることが窺えます。
 しかし、試用制度なら試用に対しては「辞めた後」のことを最低限想定してあげなければいけません。
 見習いを殊更に外部に大規模に宣伝してしまえば、見習いは例え「自分にはこの業界は向いていなかった」と判断するようになっても辞めにくくなります。
 
そして、英才棋士に対してマスコミ対応への協力を責務とすれば、当然棋士であることが外部に向けてもスティグマとなり、自身が棋士に向かない、これ以上の向上は望めないと諦めた場合においても棋士を辞め、人生をやり直す事が困難になってしまいます。
 私は以前、早期入段は早期に棋士から引退できる可能性ができると言う点で意味があると指摘しましたが、やめにくくさせてしまってはいけません。

 それでいて、規程においても、「マスコミへの対処については、棋院が義務教育や生活への影響、囲碁への研鑽に影響がないよう配慮する責任を負う」と言う棋院側の義務の規定すらなく、小学生であることが想定される英才棋士に一方的に義務を負わせる規定になっています。
 もしかしたら他に何かの規約があってバランスをとっているのかも知れませんが、棋士と棋院の権利義務を示す規約すら棋院のホームページには見つかりません。棋士志望者が知りたいと言ったら知るのは当然の権利でしょうし、ホームページで棋士志願者募集の項目があったりするので広く知られなければいけないはずなのですが、公開しないでどうする気なのでしょうか?
 そもそも、棋士として上を目指してもらうこと、囲碁の普及のために様々な活動をしてもらうことはどの棋士であれ(やり方に個人差はあれど)変わらないはずなのに、何故小学生の英才特別採用棋士という、むしろマスコミから切り離してその心情を守りつつ研鑽に集中してもらうべき棋士にだけマスコミ対応への協力がことさらに責務として設定されているのか。(他の正棋士や特別採用棋士にマスコミ対応への協力などは特に責務として設定されていません)

 一方的に義務を負わせる規定だけど「こちらでしっかりきみを守るのできみも勝手なことはしないでね、でないとこちらもきみを守れないよ」と言う趣旨で実際そう運用されているなら弁護の余地はある(それっぽい指導は私もする)のですが、今回の仲邑初段の例を見る限り、粛々と棋士として採用したら結果的にマスコミに注目され、棋院の頑張り空しく庇いきれなくなった…と言うようには見えません。
 成果を出す前から日本棋院自らバンバン宣伝しています。
 
 そこを併せて考えると、この規定は英才枠棋士を客寄せパンダ扱いすることを自白しているも同然の規定であると思います
 仲邑初段がこれから大成して勝ちまくることで将棋の羽生善治や韓国の李昌鎬のようないい意味での客寄せパンダの役割もできるならそれもいいですが、入段早々から勝ちまくった上でもないのに客寄せパンダ前提に棋士にすることに、私は正当性を全く感じることができません。
 将棋の藤井聡太フィーバーもそう感じましたが、藤井七段はプロ入り早々トップ棋士と互角以上に強いという囲碁界では想定しがたいような存在であったため、現段階では結果オーライになっているに過ぎないと考えます。
 今の日本囲碁界に、入段早々柯潔や朴ジョンファンと互先で10局打って3局以上勝てる棋士などいるとは思えません。
 
 そして、こうも客寄せパンダ扱いで採用するようにしか読めない規定を堂々と公開しているのでは、例え入段審査がどれだけ厳正に行われたものであったとしても(その審査の中身にも既に疑義が出ていることは知っていますが、今回は一先ず脇に置きます)、そこに信用を置くことはできなくなります。
 英才特別採用制度は公平性の点に問題がある分、審査担当棋士・棋院への信頼なくして成り立たない制度であり、制度そのものの趣旨目的や審査機構が信頼を失えばその棋士には好意的とは言えない視線が向けられてしまうでしょう。
 それも、英才特別採用制度の場合小学生に、です。

 



 とまあこんな風に、英才特別採用の規定には、合格者である若年棋士の保護と言う視点から極めて大きな問題を感じています。
 仲邑初段はじめ現にこの制度でプロになった方は応援しますが、制度としての良しあしは別論です。

 平成31年度の新入段者は11人で、このうち20歳以上は僅かに1名、18歳以上でも3名のみ。
 新入段棋士の大半は、まだまだ契約にあたって保護が必要な子どもなのに、個人事業主として契約し、対局に臨む。
 本来これはいびつ・危険なこと
です。
  
 若年棋士の保護をきちんとしないことは、人材の損失と言う問題だけでは済まされません。
 法律の理屈では棋士は個人事業主でも、一般の人は棋士は日本棋院の従業員のようなものとして密接に関連しているものと評価します。
 そこで若年棋士を採用しながらきちんと守っていないと言う評価は、ブラック企業に対して厳しい非難が向けられるご時世において、日本棋院・日本囲碁界の評価を暴落させられます
 若年者ならではの必要なケアを十分にせず、当人や親に投げてしまうならば、それは囲碁界全体の品位を落とすことになるでしょう。
 アイドルが自殺し、事務所との間の訴訟が大きな話題になり、事務所に批判の声が高まっていますが、若手棋士が何かやらかしたり伸び悩んだりして精神的に追い詰められ、棋院にも家族にも相談できず自殺でもしたら、その芸能事務所の二の舞です。
 
 
 また、社会的に無知な若者に対しては、暴力団のような反社会的な勢力が関与して来ることも考えられます。残念ながら、若者の思慮無分別に乗じてぼろ儲けし、最後にはその若者をぼろ雑巾のように捨てていくクズは、いろいろな業界を狙っています。
 野球賭博の件では野球選手が道を踏み外しました。
 弁護士も、そういう反社会的勢力の甘い誘惑の声にそれと気づかず引っ掛かり、気が付いた時には金も資格も失った例だってあるのです。

 若年棋士たちは彼らが反社会勢力であることも気づかずに自分のことを応援してくれる人だと思って舞い上がり、気が付けば詐欺行為の片棒を担がされていたり、碁が不調になり心が弱っているところを狙われて薬漬けにされたり…というような事態だって考えられます。(棋士ではありませんが、仕事や生活がうまくいかず心が弱り、ふらふらと薬物に手を出す人の弁護は何人も経験しています)
 棋士になろうとするとそれなりに裕福な家庭の子が多いようで、その点でも狙いやすい面もあるでしょう。狙うは若年棋士自身よりも若年棋士の親の金、というわけです。
 誰もが持つ心の弱さや無知につけ込んでくる彼らを甘く見てはいけません。「心を強く持つ」と言うお題目は、何の役にも立たないのです。
 彼らに狙われた場合、世界でも戦える逸材棋士や一線こそ退いていてもレジェンド級の名棋士でも除名処分せざるを得ないどころか、日本棋院への信頼だって地に落ち、大口スポンサーが撤退したり公益財団法人の立場すら怪しいという事にもなるでしょう。

 更には、日本棋院がめちゃくちゃオブラートに包んだ表現をしても「決して盤石な存在ではない」ことは、真面目に囲碁界の情報を追っている大人なら多くの方が分かっているはずです。真面目に追ってない私だって分かりますからね。
 であれば、棋院の外でもしっかり暮らせるようにする。これも不可欠なことです。


 日本棋院は若年棋士を選手としてただ発見して強くするだけが大切なのではなく、盤外では棋院全体でしっかり守らなければならない存在であることをきちんと認識すべきです。
 ほめる・応援する・宣伝する・育成すると言うような形での応援だけではなく、その生活や安心・環境をきっちり守る。
 そのためには棋士としての責務をある程度後退させることもやむを得ない、そこは余るほどいる年長棋士でカバーすると割り切る姿勢をもつ。
 無知や思慮浅薄に基づく思考や行動を当人の意思の尊重と称して放任しない。
 日本棋院が面倒を見られなくなる事態が生じてしまったとしても、一人で生きていく力をつけさせていく、少なくともそれを邪魔しない。



 棋院に限らず、芸能でもスポーツでも、その意識が十分持てない業界が、専門家として未成年者を採用する資格はないと考えます。






最終更新日  2019年04月24日 01時39分31秒
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2019年01月31日
テーマ:囲碁全般(733)
カテゴリ:囲碁~碁界一般編
仲邑菫初段の入段が、囲碁界に一つの注目を集めさせているようです。

 仲邑初段と「女流世界最強」崔精九段の碁は見ましたが、棋譜を見る限り「元気いっぱいではあるものの実力差が大きすぎないか?」というのが正直な所感です。

 もちろん、世界戦での日本の惨敗ぶりを考えれば敗北自体は予想の範疇であり、仲邑初段もそれは分かっているかと思います。
 井山裕太でも日中桐山杯で古力に手も足も出せなかったような時代を経て今の地位にいる訳ですから、ここからの成長に期待すること自体は十分可能だと思います。

 プロ試験制度という視点からの批判もありますが、私個人は英才枠制度自体は否定すべきものとは思いません。「囲碁界にどのように役立つか」で決められるというのは一つの在り方と考えるからです。
 ただ、棋士採用がほぼ棋力一本で行われている現在のプロ登用制度の中に英才枠を盛り込んだので、ちぐはぐな印象を与えます。
 囲碁界発展のためにさまざまな視点からのプロ登用制度は一つの在り方(全面賛成という訳ではないですが、制度設計として一理あると感じる、程度に考えてください)と思うのですが、プロ登用制度全体の中でどのように位置づけるかしっかり考えないと単なる恣意や不公平になることも考えられます。
 せっかく鳴り物入りで入段した「英才」が見るも無残に連敗し、入段時点が棋力の限界で気が付けばしがないプロになっているのでは、意味がありません。




 …さて。
 やや後ろ向きな話になりますが、仲邑初段のような早期入段は,しばしば英才登用制度として扱われますが,個人的に思う「早期入段のもう一つのメリット」を指摘したいと思います。
 それは,「早期にプロを辞め、人生を設計し直す」という選択肢が生じることです。


 「プロ前の期待値」と「プロとしてどれだけ活躍できるか」は違います。
 プロもピンキリであり、タイトルに絡める、あるいは国際戦などで存在感を出せるような地位に一度でも行ける人は本当に僅かです。
 「現在形でタイトルに絡む棋士」まで絞ると更に僅かでしょう。数えてませんが、2,30人に一人と言った所でしょうか。

 そして、新初段の頃は鳴り物入りで期待されまくった(新初段シリーズの記事がちょうちん持ちすぎる気もしますが)新初段が、タイトルや挑戦者になるでもなく、たまに本戦にちょろっと顔を出すか、それすらないしがない中堅棋士となり、結局囲碁指導などの普及に軸足を移している…という例は、心当たりがあります。
 プロになった時点でトップ棋士と互角、棋戦でもいきなりリーグに入るくらい好成績なんて将棋の藤井聡太のような例は奇跡です。
 成功の定義はまちまちかもしれませんが、「絶対成功するメソッド」「絶対成功する人を見極めるメソッド」は確立されていないのですから、プロを採用するにあたってはある程度青田買いをせざるを得ませんし、「収穫できない青田で終わる人が出る」ことは避けて通れません。
 だからこそ、義務教育を受けさせることは必要だと思います。「絶対成功」の確約があるならそれでもありかも?程度には思いますが、そんなものはないからです。
 「絶対成功する」と言う希望的観測・机上の空論・こうあってほしいと言う願望にしがみついたことは、国民に何百万人もの犠牲者を出しました。

 
 そして、多くの棋士が普及などに軸足を移していきます。
 普及をバカにする意図は毛頭ないのですが、「新初段の頃は、普及をするにしても、井山やイチャンホ、将棋の羽生や藤井聡太のようなスター的な形での普及がやりたかったのでは?」とも思うのです。
 学生時代に入賞1回、6年前に県代表経験1回。一般の人相手なら自慢できても、ある程度強い人たちの世界の前では「あっそ」程度の今の私ですら、実は指導碁の真似事位やっていたりします。
 私の真似事とプロの普及活動を比べるのは失礼だろうと思いますが、「彼らはこれをやりたいがためにプロになったのか?」と思わずにはいられないのも確かです。

 結果として上位に行けなかった、あるいは上位にはいたが年を重ねて衰え気味になった棋士の受け皿として,普及が存在している,というのが現状であるように思うのです。
 それはそれで悪いとは思いません。テレビで見なくなった芸能人も,実は地方営業でしっかり生き残っていたりします。
 アマとは一線を画する高い棋力はもちろん、上位にいたころの知名度やプロとしての肩書は、普及にあたっても大きな武器になるでしょう。

 しかし、「本当にそれがやりたくてプロになったの?」ということを思うと、「勝てなくなったプロはいっそプロという世界から下がる」という選択肢もあっていいように思うのです。
 早期にプロを辞めれば,人生を立て直すこともできるでしょう。プロではありませんが,10代で囲碁漬け生活からプロを諦めた院生が大学に進学し、様々な方面で活躍していると言う話もよく聞きます。
 しかし、プロとして引導を渡されるのが20代後半とか30代以降になってしまうと、もう潰しが効かなくなってしまってずるずる…それが実情だと思うのです。
 それであれば,10代のうちにプロの道から下がり、アマチュアとして別の人生を歩みつつ,プロとしてのしがらみから解放する余地を残すことはあっていいのではないでしょうか。
 もちろん囲碁記者とか、碁会所経営をするとか,「囲碁には関与するが棋戦を打つプロではない」という路線もあり得るでしょう。

 

 青田で終わってしまう棋士にもっと早く別の道を用意してあげられないのか。
 それを考えると、早期引退の可能性という意味でも、早期にプロの道から離脱する余地を残す=プロに早くしてあげて代わりに引退も早くすることができるようにするというのは一つのプロの在り方のモデルではないかな,と思います。
 

 仲邑初段が今後大成することを祈り、応援もしますが、10歳のときの決断で今後の人生を全部囲碁にオールインしてしまう必要はありません。
 もし何らかの違う道を歩みたくなったら違う人生を歩んでもいい。
 仲邑初段は心の隅っこで構わないので、そのことを覚えていてほしいなと祈っています。






最終更新日  2019年01月31日 13時44分18秒
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2018年08月29日
テーマ:囲碁全般(733)
カテゴリ:囲碁~碁界一般編
囲碁講師の坂谷先生からこんな話が。






『初手小目の場合,Q17の点に打つのはマナー違反なのか?』

(リンク先参照)

 私は19路盤で黒を持ったらほぼ小目しか打っていません。(握りがめちゃくちゃ弱いので黒をなかなか持てませんが)
 そして、初手は右上R16に打っています。

 初手は局面が完全な線対称・点対称ですから,小目なら例えば4Rとか3Dなどに打っても全く価値が同じなことは、私も分かっています。
 ではなぜ私はR16に打つのか。
 そして、なぜ初手小目を選択する多くのプロ棋士・アマチュアもR16を選択するのか。


 少なくとも私自身は、あえてR16を選ぶ理由はありません。自分個人の体験からくる単なる「慣れ」のようなもので、それがマナーだと思ったことはありません。

 プロが初手小目を打つ場合に右上R16が選ばれるのも,おそらく同じだと思います。

 何故R16が定着したかは分かりませんが、私個人の仮説としては『右利きの人が多く、また場所的に一番打ちやすいのが右上であるから右上が定着し、それを皆がまねして現在に至る』ということではないかと推測しています。
 この推測が当たっていれば、左利きの方であれば,左上の方が打ちやすいと言うこともあるように思えます。
 人間の左利き率が9割だったら、初手小目はDが大半になっていた…というのが私の仮説です。

 1999年の第24期名人戦の挑戦手合で、黒番の依田紀基九段が初手を左上に打って話題となったことがありましたが実は依田九段は左利きだったりもします。


 ただ、そういった「慣れ」があるので、もし自分が白を持っている状況で別の小目に打たれたら,引っ掛かるものを感じることは否定できないでしょう。
 思わず相手の顔を見てしまうかもしれません。
 これは何なのだろうか?気分転換?ゲン担ぎ?挑発?作戦?などと余計なことを考え始めてしまう可能性はあると思います。
 なので、私相手に黒を持ったら右上以外に小目を打つと言うのは精神攻撃作戦としてそこそこ有効かもしれません(笑)。
 局後の検討をする場合、尋ねるタイミングがあったら「珍しいですね?」位の声はかけるかもしれませんが,そこで「あなたブログでR16以外の小目を打つと乱れるかも知れないと書いてたじゃない」とでも回答すれば完璧でしょう(笑)。


 もちろん、私はそういった引っ掛かりをマナー違反であると糾弾する気にはなりません。
 「右利きが多いから定着した」という私の仮説が正しければ,「左利きの人は打ちたい所から打つこともできない」となりかねず、差別的ですらあります。
 他にも、体の小さい子どもなどが「自分の手元に近い所が打ちやすいからQ3から打つ」なんていうのもいいことだと思います。


 それに、対局中に正当な着手でもって精神的な揺さぶりを狙うことは実は私自身も戦術としては多用します。

「同じくらいの価値のヨセが複数ある場合、逆ヨセを選ぶことで相手にしまったと思わせ焦りを誘う」
「特に勝負所と思えない所ではあまり考えずポンポン打つことで、相手にも釣られてポンポン打たせ、時間を残しつつミスを誘う(置き碁アリの大会で下手打ちする場合に使う戦術)」

程度の精神攻撃に近い着手はやっているわけです。
 ヒカルの碁で、海王囲碁部部長の岸本が三谷に「つまらないコウを争って力戦派の三谷の精神を乱す」という戦術を仕掛けましたが、これもアリでしょう。
 そこまでダメと言われた日には私はもう大会の類出禁となること請け合います。


 今度、もし自分の対局の棋譜が採録されることがあったら,初手を17ー4以外の小目に打ってみようかと思います。
 文句言ってくる人がもしいましたら受けて立ちます。
 万一それが法的問題になった場合においては無料で弁護しますのでご一報ください。






最終更新日  2018年08月29日 23時40分01秒
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2017年01月20日
テーマ:囲碁全般(733)
カテゴリ:囲碁~碁界一般編

 白石勇一六段。新人王獲得経験もある実力派棋士の一人です。



 彼は高校・大学で活躍してからプロ試験を受け、合格しました。



 彼と私は、同じ高校・大学の大会に出ていたこともあります。

 私が囲碁歴を聞かれた場合、囲碁界の有名人で私と年代が近い人、というと真っ先に思い当たるのが白石六段なので、年代を分かってもらうために勝手に引き合いに出しています。

 

 といっても、白石六段は当時から自分にとって雲の上の人。

 私は高校で急に強くなったのをいいことに粋がり、トップの洗礼を受けまくった思い上がり野郎。

 大会で当たるところまでもいかず、練習対局で打っていただいたこともあるのですが、勝負にならないレベルでやられました。

 それでも、棋士は軒並み雲の上の人と感じている中では、まだ近い人というイメージを持っています。(後は年代が一回り下の下坂美織二段くらいでしょうか)

 

 

 さて、白石六段は昨年からブログtwitterを始めていました。

 ブログでプロ棋戦の棋譜紹介をしていただいて、私も興味深く見ていたのですが、どうもスポンサーの意に染まない点があったらしく、棋譜紹介を当面中止することになったとのこと。


 現在調整をしているところのようで,どうなるかの状況は注視しています。


 一応、自己の対局棋譜の利用は日本棋院&対局相手の同意不要、他の棋士の対局棋譜を不特定かつ多数に提供する場合には棋院の(対局棋士のではない)事前同意を得る必要があるという規定があるので、白石六段はある程度包括的に同意を取った上でやっているのだと思っていたのですが…。
(日本棋院対局管理規定3条,棋譜の使用に関する権利規定参照)

 


 こんな件もあったことを契機に、個人的に棋譜の利用について思ったことを書いてみます。

 なお、白石六段の件が具体的にどうもめたかのやり取りは不明瞭・情報不十分なので、下記は白石六段の例を離れた一般論としてお読みください。

 




 日本棋院は、こちらの公式ホームページの記載や対局管理規定を見ればわかる通り、棋譜は著作物であって対局者に著作権が発生する、という立場を崩していません。

 その上で、日本棋院としては、プロ棋戦については棋譜の第一次利用権がスポンサー、著作権は対局料を対価として対局者から日本棋院に譲渡される,という考え方を採用しています。

 こちらも参考になるかと思います。

 

 

 ただし、これは日本棋院の棋戦内規に過ぎず、本当に「棋譜が著作物である」と見解が日本棋院の外で大手を振って歩けるかは,難しい問題だと思います。

 チェスの棋譜については、海外で著作物でないという扱いになっていると聞いていますが、囲碁や将棋・オセロ、その他ゲームの棋譜については、現在日本の裁判所の判例は見当たらないようです。

 「どちらの見解にも一理あると見ざるを得ない、学説上は著作物にあたらず、誰もが自由に使えるとする説が優勢」というのが私の現状認識ですが、統計を取っている訳でもなく正確性担保は無理です。

 結局棋院やスポンサー、あるいはお隣将棋連盟が何らかの形で裁判に出て判決が言い渡されるか、立法的解決でもされないと結論は出ないものと考えられます。

 

 もっとも、棋院が公式見解として棋譜の著作物性を認め、判例がある訳でもないという状況ですし、スポンサーに配慮すべきことは当然ですから、日本棋院の棋士や職員としては現状その立場を尊重し、それに従った対応が求められるでしょう。

 将来的に棋譜が著作物ではないと認められる可能性はあると思いますが、仮にそうなったとしても、今の段階で組織統制上それを勝手に無視することは不適切と考えます。




 そして、上記の規定はプロ棋戦の運営に関するものにすぎず、アマ棋譜の著作権(プロが対局する場合でも棋院の管理運営しない対局などはこちらに入ります)まで統制するものではありえません。

 「棋譜は著作物」という立場をとるにあたって、プロの棋譜だけが著作物でアマの棋譜は著作物ではないということはないでしょう。

 価値はモナリザと落書きくらい違うかもしれませんが、日本棋院の考え方からすれば、著作物であるという一点は共通のはずです。





 そして、私自身も、地元の新聞や県版に棋譜が載っています。テレビ放送されたことも何度かあります。

 一回だけ全国大会に出られた時には、全国大会の棋譜が自分の住んでいない東京の夕刊に載ったこともありました。(かなり後になって知りましたが…)

 そして、掲載にあたって「この棋譜載せたい・テレビ放送したいんですが大丈夫ですか?」と聞かれたことはありません。

 謝礼・報酬に属するものももらっていません(交通費は頂いたことがあります)。

 

 

 アマ本因坊戦のようなアマ一般棋戦の対局の場合、参加者はスポンサーや主催者の職務上対局しているという訳ではないので、その棋譜の著作権は主催者と出場者の間で別段の合意がなければ対局者双方の共同著作物となり、著作権が共有されるものと考えられます。

 「別段の合意」として、主催者である新聞社や棋院との間で棋譜の著作権帰属の規約が存在している可能性もあると思います。

 しかし、検索しても、棋譜著作権の帰属について示したルールは見つからず、個人的にもそんな規約を見せてもらった記憶はありません。

 対局ルールは日本囲碁規約に準拠します、とかコミ6目半で持ち時間何分と言われたことはあっても、自分の棋譜の著作権はどこに、という説明を受けたことは学生棋戦でもアマ棋戦でも記憶の限り皆無です。

 

 

 また、雑誌や週刊碁では読者から投稿された棋譜が掲載されているのも見たことがあります(最近碁ワールドなどは読んでいませんから情報が古い可能性があります)が、この場合、投稿者の対戦相手の承諾はおそらく取れていないでしょう。

 棋譜に著作権アリという見解からは、対局者の一方の同意を採れないまま一方対局者の投稿のみに基づいて棋譜を掲載することは、やっていいのかどうか疑わしいです。
 一応、幽玄の間の対局の棋譜については、著作権が日本棋院に帰属することが規約にしっかり書いてあったりするのですが。(こちらの7条)

 

 

 棋譜が著作権の対象になるということは、アマ棋戦において主催者が対局者の棋譜を掲載することも,対局者個々人の持っている棋譜に対しての権利を制限するものという位置づけになります。

 従って、当然主催者としてもこのような事実を伝え、参加者にそれを理解した上で参加・不参加を選択する機会を保障すべきものです。

 アマチュア囲碁界の慣習だから、で通すのは難しいだろうと思いますし、何より棋院自身の主張に反します。




 棋譜の著作物性を認める立場からすれば、こうした状態はれっきとした著作権侵害の温床であり、由々しき問題ではないでしょうか。




 

 なお、誤解なきように付言しますが、私個人は棋譜が著作物であると認められたとしても、私の棋譜の使用を著作権侵害というつもりはありません。これまでも、これからもです。

 囲碁界に話題が提供でき,囲碁界の活性化につながる(すそ野を広げるだけでなく既にある野が枯れないよう水をやるのも大切な普及と考えます)のであれば、私個人は報酬の有無に関係なく棋譜の提供に同意するつもりがあります。

 むしろアマチュアの私には過ぎたる名誉と考えています。

 また、主催者側も、景品出して、昼食出して、会場借りて、機材集めて休日に人手を集めてやっていれば、数千円の参加費で足りているか疑わしい所があります。

 その点に対する謝礼というか参加費の一部と言う意味でも、棋譜を使われるくらいは「安い物」という視点もあります。

 

 ただし、これはあくまでも私が個人的な感覚に基づいて取るであろう個人的対応に過ぎず、他人に強制してよい性質のものではありません。

 棋譜を著作物とし、それで運営するという立場で行くならば、棋院もアマの棋譜を大事にする姿勢を示すべきではないでしょうか。

 プロの棋譜は著作権で使わせないのに、アマの棋譜は好き勝手に使います、ということのないようアマの棋譜利用について明確にすべきなのではないかと思います。

 棋譜は例えアマのものであれ好き勝手に使ってはならない大事なものだ、という意識を持たせることは、プロの棋譜の価値を高めることにもつながるはずです。

 






 そして,棋譜の掲載などについて参加アマから許諾を取る態勢にしたところで、おそらく多くのアマは自分の棋譜は断固使わせないとは言わないのではないでしょうか。

 

 現にアマ棋戦の棋譜についてこんな記事を書いているのは私くらいで、しかもその私も棋譜を使われることが分かっても抗議など考えたこともなく平気で大会に出ているわけですし(笑)。

 






最終更新日  2017年01月20日 18時50分07秒
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2017年01月10日
カテゴリ:囲碁~碁界一般編
(この文章は私個人としては正課運動の関係者にかなり好意的な補正をかけた上で書いていることをお断りしておきます。)


  囲碁を小中学校の正課に,という運動があるそうですが,現状において私個人としては乗りません。
  私も知らないような何らかの特別な効能が立証されたとか,公教育サイドから特に囲碁の効能が注目され,囲碁が新正課候補として挙げられるなど具体的な形になってきている中でプッシュするとかなら,分かるのですが…
 一応,平成27年には囲碁が全国の小中高70校で正課として取り上げられたそうでそこがとっかかりと言えなくはないですが,微々たるものと言うのが私の評価です。
 
  少なくとも私個人の知識の範囲内では,囲碁に他の様々なものを押しのけてやるだけの価値は感じられず,私としては今のところ署名をしていません。
  仮に私が学校で好きに授業を持つことができるなら,選ぶのは囲碁じゃなくて防犯とか法教育でしょう。こんな話とか。




 私も,物は試しに趣意書を読んでみました。

 どれだけ囲碁が素晴らしくて,正課に取り入れるだけの価値があってもおかしくないぞと思わせられる記述に唸らされる・・・と思いきや,実質僅か1頁で,


①教育面、教養面、文化面を通じて青少年の健全な成長に大きく役立つ。

②幼少時から囲碁に携わることは思考力、集中力、記憶力、判断力、忍耐力ほかの精神力を蓄え、礼節をわきまえ、コミュニケーションを円滑にするなど、人間形成に想像を超えた効果を発揮する。


実質これだけで,無理じゃないかと思いつつも期待もしながら読んだ私としては肩透かしを食わされた感があります。


 囲碁正課運動に好意的に解釈するならば,正課運動を進めている方々が,私の知っている囲碁の実情と比べても正課にするだけの価値を感じる何かを感じているととらえることは不可能ではないと思います。
 実際,発起人の中には,私の知っている中にも碁会所経営やインストラクターをしている有名人が何人かいます。
 代表の菊地康郎氏など,緑星学園で幾人ものプロ棋士やアマ強豪を育てた実績のある人物です。
 囲碁が人格形成に役立った(と思われる)人物がいること自体は私にも理解できます。
 こういった方々は一介のアマチュアにすぎない私と比べてもつぶさにそういうのを見ているからこそ,評価している…と捉える余地もないわけではありません。




 しかし,それなら趣意書そのものか,あるいは趣意書に別紙でもつけて,もっと具体的な根拠をつけて書くべきです。
 それも,一部の成功例だけをつまみ出しているのではなくて,全体としてそうなんだ,というだけの根拠が必要でしょう。
 手っ取り早い所で,先述した70校の囲碁を正課に取り入れた学校での取り組みの成果はどうだったのでしょうか?
 そもそも,その70校のうち,翌年も正課として続けます,と言ってる学校は何校あるのでしょうか?

 さらに,私個人としてはそれは囲碁に限った話ではないと感じるので,特に囲碁が有効である理由を示すべきだとも思っています。
 3才から囲碁的な思考に慣れ親しんだ私は,いろんな競技や社会現象,時には裁判とかでも囲碁的なものをしばしば見出しますが,逆に言うと「囲碁的なもの」はどこに行ってもあるのだ,という感覚も持っているのです。
 
 そういった具体的な論拠も実例も書かないで,ただ囲碁は幅広く認められている,といわれてそうですか,と言えるほど,囲碁の有用性が公知の事実だ,とは私には思えません
 生まれて30年近く,人生の9割囲碁を打っていた私がそう思っているということは,囲碁を知らない人たちはますます根拠薄弱と感じるか,逆に囲碁に対しての漠然とした印象,平たく言えば無知につけ込む結果となりかねないように思います(そうなるくらい囲碁が普及してるなら,こんな署名も多分ないと思われる)。



 なお,将来的に囲碁の効能が認められ,正課に取り入れるだけの価値が社会的に認められたので,本当に正課になった上で,実際に教育的な効果が幅広く出たというのであれば囲碁好きとしては喜ばしいことだという感覚は持っています。
 そういう意味では,囲碁が正課になるのは私の望みでもあると言えなくはありません。
 しかし,これは酔っぱらいが「酒をいくら飲んでも健康を害さないことが医学的に立証されればいいのにな~」とふと思う程度の望みであり,現段階でこの運動に賛意を示すかどうかは全く別の話です。


 少なくとも,現在の私の持っている囲碁の知識と趣意書の記載内容の限りにおいて,囲碁を正課に取り入れることには説得力を感じません。






最終更新日  2017年01月10日 18時55分09秒
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2017年01月05日
テーマ:囲碁全般(733)
カテゴリ:囲碁~碁界一般編
 お正月、私は顔をヒクつかせながら過ごしていました。
 野狐囲碁なるネット碁のサイトに登録して、東洋囲碁と合わせて(九段まで上がったIDが残っていたのでプレミアム室でタダ見できる幸運)強豪vsAI囲碁の対局を見ていました。

 当然、Master(AlphaGo)とDeepZenGo(DZG)を主に見ていたわけですが・・・、
 はっきり言って
「なんじゃこりゃ!!」
と顔をヒクつかせるしかありませんでした。

 いや、AGの2局目や3局目を見た時もそう思いましたが、こんなにあっさりとそれを上回る「なんじゃこりゃ!!」が出てくるなんて思いませんでした。
 新年早々今年1年の驚きの半分を使い果たした気分です。
 
 本業でこっちの主張を根底からひっくり返される証拠を出された時ですら、(もちろん見えない所で)こんなに顔をヒクつかせはしなかったのではないでしょうか・・・
 DZGは、第2回囲碁電王戦より腕を上げていると思いました。
 東洋九段の強豪連が為すすべもなく次々撃沈されていくのは、それだけで顔面蒼白と言う感じです。
 たとえ治勲先生があそこで打っててもあんなには勝てないと思います。
 ただ、DZGはまだしも死活ミスをした光景が見られました。
 東洋九段もアマチュア率は結構高いことは知っていた(キープできないとはいえ私も一応九段なので)こともあって、まだ付け入るスキがなくはないのかな?という印象をもちました。


 ところが、さらにその上を行ったのがMaster。後にAlphaGo(AG)であることが公表されました。
 世界戦を追い回さなくなって久しい私にも世界最強候補としてその名が聴こえてくる世界トップ棋士たちが、あれよあれよという間に撃沈されていくのです。
 序盤から明らかにポイントを挙げられて、そのまま挽回の可能性が全く感じられないまま撃沈。
 人間目線からすると不思議な手でも、どんどん理にかなっているのが分かってくる。
 これは行ったか?と一瞬思っても私の目から見ても問題として出されれば難しくない手をサラサラと打ち進めてはい、コミガカリ。間違っていたのは私の目でございましたごめんなさい。
 とにかく弱点らしい弱点が全く見当たらないのです。
 3月のAGより強くなっていても、何らかの弱点が見つかっていたならば、私はこんなに驚かなかったと思います。
 ところが、全く弱点が見つからないのがさらに驚きに拍車をかけました。
 ネット上ではsaiを思い浮かべる人もいますし、確かに彗星のように現れたネットの最強棋士という点はsaiだと私も思っています。
 しかし、おそらくその実力はsaiでも及ばないというか、佐為ならむしろ喜んで石を置いて教えを請うのではないかと思います。
 それほどの力の差を感じてしまうのです。
 
 去年3月のAlphaGoでは、まだ超手数一本読みという弱点をセドルがついて一矢を報いました。
 しかし今度はもう弱点らしい弱点が全く見当たりません。トッププロがよってたかって快刀乱麻という状態で私に弱点が見つけられるなら、私はもうプロで結構打ててるんじゃないでしょうか(苦笑)
 


 将棋のPonanza作者である山本一成氏の例え(現在はちょうどセルゲーム終了くらい)を借りるなら・・・
 これまでの人間の世界トップはフリーザ様を倒した時の孫悟空くらい。
 Masterはセル完全体くらい差を感じました。

 まだ魔人ブウだのビルスだのが出てくるのではないかという可能性を思うと笑うしかありません。

 全王様がご降臨して囲碁を極め尽くして終了させるのはいつなのでしょうか。



 え?私?ゴミめと言われたおじさんくらいでしょうか。
 もうちょっと前なら人間性最低なミスターサタンくらいとか言ったと思うんですが・・・
 もっともしがないアマチュアからしてみればラディッツの段階で白旗ですが。



 あの碁を見た今となってはむしろ囲碁より将棋の方に人間の勝機を感じる気がします。

 プログラムのほんのわずかな弱みは、一本道超手数の読み(DZGが死活ミスをする原因でしょう)なので、盤面が狭く長手数の読みに近い将棋の方が、まだワンチャンある。そう感じるのです。
 言うなれば、囲碁というゲームが将棋より深いからこそ、人間が勝機を捉える可能性は皆無ではないかもしれないが、もう天文学の域に入ってしまった・・・と感じました。




 この件で、色々と囲碁に関する感覚の変わったこと、意外にも?変わらなかったこと、考えたこともあります。
 このあたりはおいおい、書いていこうかと思います。






最終更新日  2017年01月05日 20時10分07秒
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