カテゴリ:雑感
諫早高校サッカー同好会の昔話(これで最後)
私は最近知ったことですが、実は、高田弘幸は高校進学前、諫早中学3年生の時に小嶺監督に島原商業に誘われていたそうです。 サッカー部がなく公式戦に出られない諫高か強豪の島商か… サッカーに強い思いを持った彼の中で強い葛藤があったことは容易に想像できます。 警察官であった父親の強い勧めもあり、結局、彼は地元の普通校である諫高に進学。 彼のサッカーをやりたいという思いに引っ張られて、諫早中学出身メンバーは他中学から来たサッカー経験者を勧誘。また、サッカー経験者以外でもノリの良いメンバーも勧誘しまくりました。 学校非公認のサッカー同好会として活動を開始。 学校のグランドが使えないため、本明川の河川敷でダッシュや基本練習、高城公園の芝生の隙間でボール回しやミニミニゲーム、小鳥居病院の近くの資材置き場でロングキックの練習、時々国体競技場のサブグランドで広いプレーの練習などあちこちに遠征(笑)しながら、高田が工夫して組立てた練習を続けました。 そんな練習場探しから練習メニュー作成に加え、学校への働きかけや認可に向けた署名活動まで高田を中心に(というかほとんど彼が)やりました。 本明川の河川敷を練習で使うのに市役所に交渉しに行ったりもしました。 前回書いた通り、他校の指導者の先生方との練習試合の交渉も全て高田がやってくれました。 携帯もメールも無い時代に電話でのやりとりは大変やったと思います。 大人の指導者や先生の助けがない中やり切れたのは、高田の熱い思いに加えて、私たちも「やりたいことをやってやれ」「サッカー部が無いのなら作ったれ」という気持ちがあったからだと思います。 今思えば、毎日がムチャクチャ充実した楽しい時間でした。 そして、2年生の時に学校に公認され同好会として公式戦出場が許されました。 詳細は覚えていませんが、初出場で2回戦まで勝ったように記憶しています。 二人いた上級生の先輩も卒業して3年生になった時、1年の時からのほぼ同じメンバーで練習や試合をしてきた諫高サッカー同好会は少しずつ力をつけていました。 3年生の最後の大会、高校総体では県大会ベスト4まで勝ち上がりました。 長崎大橋競技場での準決勝にはスタンドに大勢の諫高生が応援に来てくれました。 学ラン姿の応援団を見た時には武者震いがしました。 準決勝の相手は小嶺監督率いる島原商業。 圧倒的に押されながらも守護神樟の好セーブ連発で前半失点は1。 高田のPKで1点を返し前半1-1で折り返しました。 後半も猛攻をしのぎましたが、オフサイドトラップのミスで失点。 結局1-2での惜敗でした。 県で優勝した島商は全国でも圧倒的な強さで勝ち進み、インターハイ全国初優勝。 負けといて自慢もないですが、1点差の接戦は唯一諫高だけだったのは胸をはれました。 九州勢として全国初制覇でもありました。 高田と一緒にやってきたこれらの経験は私の人生に大きな自信みたいなものを与えてくれました。そして彼からはたくさんのことを学びました。 もし彼が島原商業に進んでいたら、こんな楽しい高校生活は送れなかっただろうし、私の歩く道は大きく変わっていたかもしれません。 彼は私の恩人であり、私は彼を心から尊敬し、感謝しています。 諫高サッカー部の創立当時にこんなコトがあり、こんな素晴らしい男がいたんだ…と少し覚えていただいたら幸いです。 彼のことを思い出し語り伝える事が、供養でもあり恩返しでもあると思い、当時の楽しかった色々なことを書き連ねました。 長々と書きましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。 合掌 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.05.04 19:43:21
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