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テーマ:大東亜戦争(217)
カテゴリ:思想・哲学
《むろんこの3つの類型は固定的なものでないし、具体的には1人の人間のなかにこのうちの2つ乃至(ないし)3つが混在している場合が多い。だから嘗(かつ)ての無法者も「出世」すればヨリ小役人的にしたがってヨリ「穏健」になり、更に出世すれば神輿的存在として逆に担がれるようになる。しかもある人間は上に対しては無法者としてふるまうが下に対しては「役人」として臨み、他の人間は下からは「神輿(みこし)」として担がれているが上に対してはまた忠実小心な役人として仕えるという風に、いわばアリストテレスの質料と形相(けいそう)のような相関関係を示して全体のヒエラルヒー〔=階層〕を構成している》(丸山眞男「軍国支配者の精神形態」補註:『増補版 現代政治の思想と行動』(未来社)、p. 129) 人は、環境や状況に応じて「3要素」、すなわち、<権威><権力><暴力>が相混ぜ合わさって顕在化する。権威的な人もいれば、権力的な人もいる。はたまた、暴力的な人もいる。が、たとえ権威的に見える人物であっても、権力的側面もあれば、暴力的側面もある。要は、その強弱によって権威的に見えたり、権力的、暴力的に見えるだけなのだ。 《ただここで大事なことは、神輿-役人-無法者という形式的価値序列そのものはきわめて強固であり、従って、無法者は自らをヨリ「役人」的に、乃至(ないし)は「神輿」的に変容することなくしては決して上位に昇進出来ないということであって、そこに無法者が無法者として国家権力を掌握したハーケンクロイツの王国との顕著な対照が存するのである》(同、pp. 129f) が、神輿、役人、無法者は、それぞれ異なる次元に属しているのであって、これらを同一直線上に置くことなど出来ない。だから、価値序列を付けることなど本来的に不可能である。 《上の3つの類型とその構造連関はそれぞれファシズム期だけでなく、日本帝国の政治的世界の分子式でもあった。したがってたとえば既成政党の内部構造についていえば、総裁は「神輿」的存在であり、総務や幹事長は覚官僚として実権をにぎり、院外団が無法者の役割をつとめた》(同、p. 510) 丸山は何をもってこのように言うのか。その根拠は何か。政党が政治集団である限り、そこにあるのは「権力」である。したがって、総裁は、「最高権力者」でしかない。 丸山が党の総裁に「権威」を見るのは、「神輿>役人>無法者」という自分が立てた価値序列を既成政党の「総裁>党官僚>院外団」にただ当てはめただけである。総裁が政治権力を第1としない政党など「張りぼて」でしかない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.02.22 20:00:13
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