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照千一隅(保守の精神)

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2022.04.18
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テーマ:憲法改正(90)
カテゴリ:憲法

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

さて、この条文に関して、ほとんどの試案が何の問題意識もないようだ。

(1)現行憲法と文言が全く同じ

【2005年自民党案】・【読売新聞憲法改正試案】・【産經新聞「国民の憲法」】・小林節【日本国憲法改正私案】

(2)現行憲法と基本的に同じ文言だが、少し変更を加えたもの

【2011年自民党案】 第25条 全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

【平和研憲法試案】 第29条 何人も、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 但し、この平和研案には注意が必要である。<すべての国民は>を<何人も>とすれば、対象は日本人に限定されなくなってしまう。この条文は、例えば、「生活保護」の根拠となっているから、在日外国人への生活保護給付も歯止めがなくなってしまうだろう。日本に行けば生活保護を受けて安楽に暮らすことが出来るとして近隣諸国からの外国人流入が増えること必至である。そのことを分かっていながら平和研がこのように書くのなら「売国奴」の所業と言わざるを得ない。

★ ★ ★

私が第25条を問題視するのは、このような「理想」を憲法に掲げ、それに合わせて政治活動を行うことが凡(およ)そ馬鹿げたことだと思うからである。

 成文憲法には2つの方向がある。1つは、国柄を明文化するものである。そしてもう1つが、国家目標を掲げるというものである。現憲法の第25条は後者に当たる。が、先に「理想」を掲げ、それを実現するべく努力するという遣り方は「計画主義」そのものであり、要は、社会主義的手法である。このような遣り方を問題としない自民党は既に社会主義に染まっていると見て間違いない。そうなのだ。日本は、既にして自由主義政党が存在しない「左翼国家」に成り下がってしまっているということである。

《1945年暮れ。憲法学者らでつくる研究会のまとめた憲法改正草案が新聞各紙に載った。

 この中に「国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す」という一文がある。

 連合国軍総司令部(GHQ)の憲法草案や政府原案にはない言葉だ。研究会メンバーだった森戸辰男衆院議員らの提案で、今の憲法25条に反映された》(2018430日付朝日新聞社説)

 「国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す」とする根拠は何か。これを憲法に書き込めと主張した森戸は、自分を「神」とでも思っているのだろうか。「神」なら根拠は不要である。が、「神」でないのなら、根拠が要る。ワイマール憲法の生存権よりもっと踏み込んだ条文を作りたいという社会主義者・森戸の願望だけでこのような文言が憲法に書き込まれては堪(たま)らない。






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Last updated  2022.04.18 21:00:07
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Re:新憲法草案検討 第7部(第25条)(1) 改正試案が素通りする25条(04/18)   オレンジX さん
「健康」も「文化」も、歴史の文脈の中で位置付けられるのであれば意義はあると思ひます。それは、やらうと思へばできることだと思ひます。

しかし、戦後日本は歴史を否定してゐるので、「健康」も「文化」も、一時の恣意的な政治情勢によって変ヘられてしまふことにあると思ひます。

ところで計画主義の是非についてですが、もちろん自然の法則・歴史の摂理に任せて物事がうまく進むならばそれに越したことはありませんので、基本的には計画主義は避けられるべきものです。

しかし、現実には「やむに止まれぬ計画主義」といふのも有り得ると思ひます。一例としては、自然に任せれば伝統産業が衰退して将来に繋げられないといふなら、伝統産業を守るために、強力な立場にある国家が一定の計画的行動をとることは認めざるを得ません。計画主義には消極的だが、伝統を守るためには計画主義をやらざるを得ないことがあるのも現実でせう。具体的に、計画主義的行動がどのやうな場合に許容されるのかを掘り下げて考へることも大事だと思ひます。

もちろん、「生存権」がそれに当てはまるかどうかの議論は、また別に必要だと思ひます。 (2022.04.19 00:38:45)

Re[1]:新憲法草案検討 第7部(第25条)(1) 改正試案が素通りする25条(04/18)   平成ソクラテス さん
「計画主義」に対する誤解があるように思います。

「計画主義」とは、人類は「完成」に向けて進歩しているという「進歩史観」の線上で、より「平等」を目指して計画を立て、これを実行に移そうとするものです。

したがって、伝統文化を計画的に守ろうというような話とは根本的に異なります。
(2022.04.20 00:34:04)

Re:新憲法草案検討 第7部(第25条)(1) 改正試案が素通りする25条(04/18)   オレンジX さん
記事に

>日本は、既にして自由主義政党が存在しない「左翼国家」に成り下がってしまっている

とありますから、文脈上、「自由主義」の対義語として「計画主義」を位置づけてゐると解釈しました。伝統産業を計画的に守るのも、少なくとも非自由主義的政策ではあります。

要は、自由主義が必ずしも良いとは限らないと言いたかっただけです。

進歩主義思想における「計画主義」の問題についていへば、左翼が「理想」に近づくために非現実的な計画を立てること自体も問題があります。しかし、それ以上に根本的に問題なのは、左翼が示す「理想」が真の意味での理想と呼ぶに足り得ないことだと思ひます。

ですから「生存権」についても、それが現実的に可能か否かも重要な論点ではありますが、それ以上に、「正しい理想」か否かが重要な論点だと思ひます。 (2022.04.20 16:00:52)

Re[1]:新憲法草案検討 第7部(第25条)(1) 改正試案が素通りする25条(04/18)   平成ソクラテス さん
私の言う「計画主義」を「自由主義」の対義語として解釈して頂いてよろしいかと思います。
要は、社会主義政策ということで、計画という言葉で表すすべての行為を反自由主義ということではありません。

また、<正しい理想>ということを考えることは、左翼的な色合いが濃いように思います。何をもって正しいのかは神のみぞ知ることであって、あらかじめ<正しい理想>を掲げ、これに向けて社会活動を行うというやり方には賛同できませんl。
(2022.04.22 21:45:11)

Re:新憲法草案検討 第7部(第25条)(1) 改正試案が素通りする25条(04/18)   オレンジX さん
人間は過ちを犯すといふ理由で、「価値」の真贋を論じるのを放棄するのは良くないと思ひます。

もし「理想」とか「正しい」といふ言葉に語弊があるなら、「信ずるに値する」と表現したいと思ひます。左翼が信ずるに値すると主張する価値観は、私に言はせれば、真に信ずるには値しないといふことです。

また、私は「理想に向けて社会活動を行ふこと」を主張するのではなく、単に「理想の何たるか」を主張してゐるだけです。前者と後者は明確に違ひます。

果たして左翼的価値観は、自分の人生を捧げるに値するほど信頼を置けるものなのか。私は否だと言ってゐるのです。特攻隊員が亡くなったのは、日本といふ国家が「信ずるに値する」存在であったからに他ならないと思ひます。 (2022.04.23 00:42:15)

Re[1]:新憲法草案検討 第7部(第25条)(1) 改正試案が素通りする25条(04/18)   平成ソクラテス さん
個人が<理想>を抱くだけであれば問題はありませんが、社会主義、共産主義のように、これを社会全体に押し付けるとすれば問題だということです。

<理想>の中身の問題とは分けて考えるべきだと思います。 (2022.05.05 03:18:53)


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