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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2024.03.03
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テーマ:大東亜戦争(217)
カテゴリ:思想・哲学

私は〔丸山眞男〕氏の『現代政治の思想と行動』を熟読したが、この労作が証明するものは、著者の意図とは逆に、日本にはファッシズムは存在しなかったということだけである。

日本にはルイ王朝風の絶対主義やナポレオン3世流のボナパルティズムが存在しなかった如く、ムッソリーニ流のファッシズムもヒットラー流のナチズムも存在しなかった。明治憲法はワイマール憲法ではない。ヒットラーの党はワイマール憲法を否定破壊することによって新政権とナチス体制をつくったが、日本ではそんな大政変はおこらなかった。

ただ明治以来何とも正体の知れない「右翼」という「暗黒な勢力」があった。それは一度も政権を奪取することなく、しかも軍部を動かし軍部と結んで「満洲事変」と「日支事変」をおこし、ついに「太平洋戦争」を開始した。「この点ファッシズムに似ているようで似ていないが、似ていないようで似ている」という、わかったみたいでわからない論証が丸山学説である。(林房雄『大東亜戦争肯定論』(番町書房)、pp. 236f

 学者丸山眞男は、連合国が捏(でっ)ち上げた、第2次大戦は「ファシズムと民主主義との戦い」なる公式を正当化するために書かれた『現代政治の思想と行動』によって幕を開けた。そのため、死ぬまで「ファシズムと民主主義との戦い」という呪縛から逃れられなくなってしまった。

 政権奪取を目的としないファッシズムはあり得ない。にもかかわらず、「日本の右翼は政権を奪取することなく政府を脅迫しつつ『天皇制ファッシズム』なる日本独特の政治形態を完成し、独伊と同盟して、世界の民主主義国に挑戦した。故に日本もまた独伊とともにファッシズム国家であった」というのが戦勝民主主義諸国の論理であり、それに追随した進歩学者諸氏の論理であった。(同、p. 240

 日本も独伊のように「ファシズム」だったというのは屁理屈でしかないし、ソ連やシナが英米のような民主主義であったなどというのもまた屁理屈である。この屁理屈を首肯(しゅこう)してしまった以上、その後の丸山理論は、どうしても屁理屈臭が漂わざるを得ないのだ。

ばかげた理屈である。第1次世界大戦では日本は民主主義諸国側にたった。その時の日本は「天皇制デモクラシイ国家」であったというのか?(同、pp. 240f

 「ファッショ」とは「束ねる」という意味の言葉だ。だから、独伊のように「独裁者」によって束ねられたのもファシズムであるし、日本のように「天皇」によって束ねられたのもファシズムだという理屈である。が、独伊のファシズムは、政治的に束ねられたものであり、日本のファシズムは、文化的に束ねられたものであるから、この2つをごちゃ混ぜしては議論が成り立たない。






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Last updated  2024.03.03 20:00:11
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