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テーマ:教育問題(297)
カテゴリ:教育について
《近因の第2は、教員の質の問題である。といっても学力不足の問題を言っているのではない。むしろ、近頃では、各府県の一流高校を出て、各地の国公立大教育学部や大都市の有名大学の出身者が教員の大半をなしているので、学力水準は高まっているとさえ聞く。問題は、彼らがエリート意識から脱げられず、非行を起こす子供の心が読めないことなのだ。学生時代に自分も停学を食らったような豪傑教師ならいいのだが、今の教員試験制度では、そういう人は刎(は)ねられて仕舞うのが常である。子供にいい感化を及ぼす、いわゆる個性的でユニークな教師と、どうにも仕方のない荒廃教師とは、ペーパーテストでは紙一重の違いという結果が現われ勝ちである。そのため試験に勝ち残るのは、概してもやしのような優等生である。彼らは人間に幅がない》(西尾幹二「校内暴力の背後にあるにがい真実」:『日本の教育 智恵と矛盾』(中央公論社)、p. 81) これこそ「理想論」と言うべきではないか。果たして我々は教師にどこまでのこと求めるべきなのか。しっかり教科内容を指導してくれればよい、それで合格点はあげられないのか。どうして家庭が無責任に放り出し、学校に押し付けた「躾(しつけ)教育」も教師が担(にな)わなければならないのか。 生徒の抑えが利かなくなったのは、教師が対応力が低下したからというよりも、教師の威厳が失墜し、生徒が教師の言うことを聞かなくなったことが大きいと思われる。このような状況では、いくら優れた教師であろうとも生徒を御することは困難である。かといって、今更(いまさら)無理矢理教師に威厳を持たせることも出来るとも思われない。 だとすれば、規則を厳格に適用する以外に道はない。校内暴力や非行が「犯罪行為」と判断されれば、躊躇なく警察の手に委ねることも必要となるだろう。最早学校内だけで、こういった問題を解決できる時代ではなくなったということだ。 何でもかんでもすべて教師が対応しようとすれば、業務過多となって教師は潰れてしまう。教師が教科指導に専念できるよう、スクールポリス(学校内警察)や、スクールカウンセラーの導入といったことも今後は不可欠になるだろうと思われる。 《彼らは、必ずしもたちの悪い怠け教師なのではない。熱心ないい先生なのに生徒に通じないのだ。中学生はどうせ子供だから先生の言うことは聞くものだと、先生の側が安易に決めこんでいるのがいけないのだろう。変化する子供の現実について行かなければならないのに、自分の基準を子供に当て嵌めていくことしか知らない。その結果、子供の心が見えないので対応を誤って事柄を大きくしてしまうようである》(同、pp. 81f) 成程、教師も生徒に合わせなければならないが、同時に、生徒も教師に合わせようとすべきだ。校内暴力は、明らかに生徒の方に問題がある。教師側に問題があるかのように言うのはお門違いだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.09.26 20:00:12
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