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テーマ:教育問題(326)
カテゴリ:教育について
《公立学校の実感調査では.質の低下の原因として、テレビの普及とか家庭の崩壊という近年の文化の様変わりがヤリ玉にあげられた。こうした変化は、確かに学校教育の荒廃に一役買ってはいるものの、主な原因ではない。荒廃の基本的原因は、公立学校教育の中央集権化と官僚化であると考えられる》(ミルトン・フリードマン『奇跡の選択 自由経済をはばむものは何か』(三笠書房)加藤寛監訳、p. 232) 〈家庭の崩壊〉は、〈学校教育の荒廃〉の主な原因ではないとする根拠は何か。〈学校教育の荒廃〉は学校側の問題と、生徒側の問題の両面から分析するものであって、〈家庭の崩壊〉を排除してしまっては、十分な分析は出来ないのではないだろうか。但し、フリードマンの分析は米国の教育であるから、当事者でない私には見えていないことがあるのかもしれないが… 《公立学校への財政補助が地方当局から中央当局の管轄に移るにつれて、子供が何をどのように学ぶべきかは、親に代わって教育官庁が決めるようになる。そもそも、子供の通学校を選んだり、不満があれは転校先を選んだりするのは、親がやるべき仕事である。それを可能にする措置をとることこそ.教育権を親に戻すための最も適切で、おそらく唯一の方法だ》(同) 生徒や親が自分が通う学校を選べない、つまり、決められた学校に通わなければならないことが、学校を甘やかし、学校教育の質の低下を生んでいるという考えには私も賛同する。 《戦後の教育は、行きすぎた国家統制の弊害を恐れるあまり、間接的な教育条件整備に公的機関は全力をあげた》(加藤寛「教育荒廃の根源にあるもの」教育の自由・競争・多様化を求めて:世界を考える京都座会編『学校教育活性化のための7つの提言』(PHP研究所)、p. 44) 戦前は、戦争によって国家統制が正当化された。が、戦前を否定する戦後も、「平等」思想によって国家統制が正当化されることとなった。詰まり、戦前からずっと日本は画一主義的色合いが強いということだ。 《数多くの法令によって各種の基準が整備され、国民の教育を受ける権利を保障するため、公教育費の支出は飛躍的に増大した。 フリードマンと同じく、日本についてもこう言いたい。 「教育費の激増とともに問題がいっそう悪化したにもかかわらず、教員組合は.もっと金を注ぎ込めなどという従来の主張を繰り返す。心配する親はにがにがしくこう言うにちがいない。政治家は教育の改善より票田の開拓に奔走し、教員組合は教員組合で賃上げにうつつを抜かしている」と》(同、pp. 44f) 社会主義的色合いがより強まった戦後日本において、日本教職員組合(日教組)が日本の教育をおかしくしたのは今更(いまさら)言うまでもないだろう。戦後は、日本のみならず世界的に社会主義への期待が高まった時代であった。そのお先棒を担ぐ形で、日教組が暗躍したのは、ある意味、仕方のないことだったのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.10.15 20:00:13
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