★佐和山城の外堀?発見、訪れた時を思い出し。
「佐和山城、外堀の遺構を初確認」のニュースが流れました。滋賀県文化財保護協会は18日、戦国武将・石田三成(1560~1600年)の居城があった同県彦根市の佐和山城跡で、大規模な外堀の遺構の一部が見つかったと発表しました。三成による大改修で造成されたと推定され、専門家は「豊臣秀吉政権期の都市設計を解明する発見」としています。 三成は文禄4年(1595年)に城主となり、家臣の書状には、翌年から城下町を外堀で囲む「惣構(そうがまえ)」を築く大改修に着手したと記されていますが、具体的な位置や規模はわかっていなかったといいます。大発見!です。2016年12月11日、友人の案内でここを訪れたのを思い出します。「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」も有名です。因みに、島の左近の居城は、奈良県生駒郡平群町椿井にあった椿井城です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<■石田三成らの居城・佐和山城、外堀の遺構を初確認 城下町囲む造り>2022/8/18朝日新聞/藤井匠戦国武将・石田三成(1560~1600)の居城として知られる佐和山城跡(滋賀県彦根市佐和山町)で、外堀の一部とみられる大規模な溝が初めて見つかった。県文化財保護協会が18日、発表した。出土遺物などから、三成が城主だった時期に造られたと考えられるという。 これまで田畑の配置や地形から外堀があったことは推定されていた。今回、国道のバイパス工事に伴う発掘調査で実際に確認された。 溝が見つかったのは佐和山城本丸から北東約700メートル付近。全長約7メートル、幅約10メートルで90度屈曲していた。最も深いところで約70センチあった。通常の溝と考えるには大規模なことなどをふまえ、外堀の一部と判断。近くに川があり、つないでいたとみられるという。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<朝日新聞デジタル><発掘調査で見つかった佐和山城の外堀の遺構(滋賀県彦根市で)><2016年12月11日撮影、友人の案内でここを訪れた時><島左近と椿井城>