母校の校歌を作詞した宮澤章二さんの記念芸術祭が行われるそうなので紹介する。
拙者の母校だけでなく、市内の多くの小中学校の校歌の作詞も宮澤さんだ。更に、ミニバスの試合に行く近隣の小学校の校歌も宮澤さんが作詞しているのを多々見られる。下の引用部に「宮澤章二が作詞した校歌の学校」が挙げられているけれど、これは全体の内の一部だな。
羽生出身の詩人宮澤章二に触れる芸術祭 23日開催
埼玉県羽生市出身の詩人で、2005年に亡くなった宮澤章二の功績を振り返る「宮澤章二記念芸術祭」が23日、同市産業文化ホールで開かれる。入場無料。合唱や朗読、絵画、生け花など様々なプログラムを通じて宮澤の人となりを知ってもらう内容になっている。
宮澤章二は1919(大正8)年に現在の羽生市で生まれた。現在の東京大に進学するが、40(昭和15)年に父の友二が死去。中退して地元に戻り羽生尋常高等小学校(現在の羽生北小)の代用教員となった。その時の教え子が、ソプラノ歌手で今回の実行委員会の幹事役を務める杉下友季子さん(61)の亡父栄男さんだった。
栄男さんが宮澤と親交を続けていたせいで、「宮澤先生の名前や作品には親しみを感じていた」と杉下さんは話す。それが身近になったのは、実行委員会のメンバーで元教員の萩原澄江さん(78)との出会いだ。
萩原さんは同市の小中学校で社会と国語の教員を40年近く務めたほか、民生委員もやるなど地元に貢献してきた。宮澤の功績をもっと多くの人に知ってもらおうと、2015年に有志で「宮澤章二顕彰会」を立ち上げた。毎月1回の学習会や市内の小中学校で出前授業を行い、宮澤の紹介や詩の朗読を続けてきた。20年の朗読会で、萩原さんが「宮澤作品を演奏してほしい」と杉下さんに持ちかけたのを機に縁ができた。
萩原さんが「あなたの学校の校歌は誰が作ったか知っていますか」などと話題にするほど、宮澤は多くの校歌を手がけた。県内だけでも熊谷、所沢、川越、越谷、さいたまなど、200校近くの小中高校の校歌を作詞した。ほかにも合唱曲、市民歌などを多数創作。「ジングルベル」の日本語訳詞も手がけた。
芸術祭では、宮澤作品をはじめ、生け花や絵画、写真などを展示する。詩の朗読やハーモニカ演奏、宮澤作詞の幻の卒業歌「花かをる」の演奏など多彩なプログラムも用意されている。
杉下さんは「宮澤先生のすばらしい作品や精神を受け継いでいってもらえる機会にしたい」と話す。当日は午後1時開場。(佐藤太郎)
宮澤章二が作詞した校歌の学校
【小学校】
羽生北、大宮南(さいたま)、見沼(同)、泰平(同)、太田(久喜)、大滝(秩父)、栗橋西、上高野(幸手)、宗岡第二(志木)
【中学校】
菖蒲、大麻生(熊谷)、玉井(同)、平野(蓮田)、桶川東、瓦葺(上尾)、新曽(戸田)、寺尾(川越)、鯨井(同)、朝霞第五
【高校】
大宮西、越谷北、八潮、所沢東、上尾南、狭山清陵、狭山経済、大宮ろう学校、大宮光陵※宮澤章二記念館のHPから抜粋、統廃合前の学校も含む