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前回が「資本主義教育」についての話だったので、さらにジャンルを広げて「英才教育」全般について私が思うことを書いてみたいと思います。
世の中には様々なジャンルですごい人がいて、各ジャンルのトップクラスに君臨している人を見ると、その能力や専門性の高さはさることながら、今まで行ってきた地道な努力にも驚かされます。 特に、スポーツや芸術の分野はすごいですね。 「3歳のときから始めました」とか「親がやっていたので、自分もそれをやるのが普通だと思っていました」とか、一部の例外はありますが、そのようなコメントが普通に出てきますからね。 まあ、競争の激しいジャンルでは、このような小さい頃からの英才教育を経て初めてトップクラスに君臨することが出来るんだと言えなくもないですが、凡人出身の私なんぞは「親はともかく、それを強要される子供の本心はどうなんでしょう?」と考えてしまいます。 前回の日記で述べた「お受験なんぞ馬鹿馬鹿しい」という個人的見解も、「つぎ込んだ資金や時間や労力の割に合わない」というのはさることながら、根本的にはそうした背景があるからです。 すなわち、「単なる親のエゴではないか!」と。 子供というのは小さい頃には自由にやらせて、ある程度の人生経験を経てから「(親が引いたレールではなく)自分自身で人生を決めさせる」というのがよろしいのではないかと思ったりします。 仮に、何らかの英才教育をさせるとします。競争が激しいジャンルでの英才教育は「モノにならない」というリスクが高いことがまず挙げられますので、もしその手の英才教育をやらせるなら、競争の少ないマイナーなジャンルのほうがリスクも小さいと思います。 あと、「そのジャンルを極めたとして、それでメシを食っていけるか?」という、大人になった際には否応なく考えなければならない問題もあります。 そういう意味では、「競争が少なく、かつ、メシも食っていける」という類のジャンルがいいかもしれません。さらに、先天的な要素は不要で、後天的な要素だけで成功できるジャンルのほうが理想だと思います。 つまり、「3歳から始めないと間に合わない」というようなジャンルはリスクが高いと思いますし、それを子供に強要するのは可愛そうな気もします。 それらを勘案した場合、「どのジャンルがいいか?」ということを私なりに考えたときに、これはもう「株式投資以上のものはない」という結論になります。 (1)競争 標準教育課程においてまともな資本主義教育がなされていないので、競争相手が少ない。 (2)報酬 結果がお金の増減にダイレクトに跳ね返ってくるので、成功すれば間違いなく食っていける (3)能力 *「生まれつきのセンス」「親の能力」「家庭の生活水準」といった先天的な要素は殆ど関係なく、「自ら勉強しようという心がまえ」と「それを邪魔する生活習慣の見直し」という後天的な要素だけで十分に対応できる *特に高い専門性や技術を要するものではなく、最低限必要な知識をある程度身につけた後は「如何に自分をコントロールすることができるか?」にかかっている (4)機会 「(ずば抜けた金持ちでなくても)ある程度の資金さえあれば誰にでも始められる」「書店・図書館・インターネットという誰でもアクセス可能な情報ソースを利用することで勉強する機会がある」という意味では、機会平等であるし、成功するかどうかに肩書きなども一切関係ない (5)時間 専業投資家を目指すということでもなければ、違うジャンルと同時並行が出来るだけの時間の余裕はあるので、自分の趣味や本業が株式投資でなくもトップクラスになるのは可能である 最後の「時間」のところにも書いたように、「やりたいことを自由にやらせるための手段」(時間的余裕・資金的余裕の獲得手段)として、株式投資を教えるのもいいかもしれません。それだけでも高い効用があると思います。もっとも、そのためには、親自身も勉強しなければならないですが。 今日の言葉: 「株式投資は、競争相手が少なく普通に勉強することでトップクラスになれる可能性がある数少ないジャンルである」 P.S. またまた子供がいない私が空想で書いてしまいました。 「将来は大成する子供になって欲しい」という親の願いはあるのでしょうけど、「やりたいことを自由にやらせる」ということでいいのではないでしょうか? 「やりたいことを自由にやらせる」に関しては、生まれてきたばかりの時には親はみなそう考えているはずなのに、子供が大きくなるにつれて、親自身が子供の可能性に制約をかけているような気がします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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