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カテゴリ:人生
がん:家族の有り難さ痛感 41歳男性「人生で一番大事」 (毎日新聞)主婦の妻と2人の幼い子どもを持つ、働き盛りの36歳会社員。ある日突然、がんを宣告されたら......。 現在大阪市住之江区のガス導管・材料商社「新和産業」に勤める川上秀和さん(41)=京都市下京区=は05年12月30日、突然、「キーン」と左耳筋から頭にかけて痛みを感じた。微熱と首のしこりも現れ、年明けに当時の勤務先の広島市内で病院の診察を受けた。血液のがん・悪性リンパ腫の一種「非ホジキンリンパ腫B細胞型高悪性度悪性リンパ腫4期(バーキットリンパ腫)」だった。 「やばすぎる。死ぬのか」。診察室で川上さんは体が固まった。無限にあると思っていた人生の時間が有限になったと感じた。妻由美子さん(41)と小学1年の長男、園児の長女の顔が目に浮かんだ。隣で凛(りん)とした様子で医師の説明を聞いていた由美子さんは涙を流し、「頑張ろう」と一言だけ言った。転職10年目だった会社に事情を話し、休職した。 06年2月、入退院を繰り返す生活が始まった。抗がん剤投与や白血球をコントロールする治療は第6クールまで続いた。高熱で意識が無くなりかけたり、副作用で髪が抜け、激しい口内炎に苦しんだ。友人らから励ましの手紙が届いたが、暗に「死なないか、大丈夫か」ととれるものもあり、「治ります、ご安心を」と自分を鼓舞するように返信した。同年7月の長女の6歳の誕生日は自宅で過ごせたが、「来年は一緒に祝えないかもしれない」という不安が脳裏をよぎった。 治療期間中、常に死への恐怖と「なぜ自分だけ」という孤独感に襲われた。「いつ死んでも直前の思いが家族に分かるように」と小まめに闘病記を書いた。感覚が研ぎ澄まされ、感情の起伏が激しくなった。見舞いや子育てを献身的にしてくれる由美子さんに感謝する一方、ささいなことで腹を立ててしまった。「後悔しないように」とスケッチや読書、作詩など趣味を広げた。輸血の際、善意の提供者の存在を思い、「一度も献血したことがない自分はなんて愚かだったのだろう」と後悔して泣いた。 つらい治療が効き、07年1月、病院から症状が安定する「寛解」と認められた。翌2月、約1年ぶりに職場復帰した。 入院中、家族の有り難さを心から感じた川上さんは言う。「自分は病気になって、仕事第一主義から家族第一主義に変わった。病気の人もそうでない人も、時には歩みを止めて『人生で一番大事なもの』を考えてほしい」【土本匡孝】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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