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カテゴリ:映画
2005.01.24『パッチギ!』(邦画)119分
監督 :井筒和幸 キャスト:塩谷瞬/高岡蒼佑/沢尻エリカ (あらすじ) 時は1968年。まだパソコンもゲームも携帯も無かった時代。 京都の府立東高校の生徒は朝鮮高校の生徒とのケンカに明け暮れていた。 軟派な高校生康介はたまたま見かけた在日の娘に恋をする。 しかし彼女はよりにもよって朝鮮高校の番長の妹だった。 (解説など) またまた井筒監督にしてやられました。 しょうもないエピソードがあるなとか、乗れないストーリーだな、と思った時も 結局最後は泣かされてしまう。 いつもこうです。 多分、人の想いというものを熟知しているのでしょう。 この映画、一見軽いコメディーなのですが、かなり深刻で重いテーマを扱っています。 そしてその重さを突き破るエネルギーも持ってます。 もちろん「しょうもない」映画などではありません。 テレビであれだけ他人の作る映画に毒舌を吐いておいて、 しっかり自分でも映画を作るその根性は見上げたものですね。 某雑誌でダウンタウンの松っちゃんこと松本人志氏が『パッチギ!』の批評を書いてました。 ずっとひっかかっていたのですが、やはりちょっと違うと思い、反論を書いてみました。 ネタバレコメントに入れときます。 [DVD] パッチギ! スタンダード・エディション【BIBJ-5820】 =>20%OFF!《発売日:05/07/29》 [CD] パッチギ!/サウンドトラック フォーク・クルセダーズ/戦争と平和 [書籍] 【楽天ブックス】パッチギ! よろしければクリックしてください お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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松本氏は雑誌のエッセイにこう書いてありました。 「 『パッチギ!』はおもしろかった。 ただ一点気になるところがあった。 康介が川を渡ってキョンジャに告白するシーン。 「俺とつきあってくれ。」という康介に対して キョンジャは「もしも結婚することになったら、朝鮮人になれる?」と答える。 康介は絶句し、暗転後全然別のシーンに変わる。 これは、監督の逃げですね。 康介が逃げるのはかまわないけど、監督が逃げたらアカン。 」 ずっとひっかかっていたのですが、やはり違うのではないかと思いました。 もしシーンが変わらなければどうなっていたのか・・・ 絶句する康介。 しばしの沈黙の後、キョンジャが笑う。「冗談や」。 ホッとする康介。 キョンジャはフルートの練習を続け、それを聞いている康介。 その後のストーリー展開から考えるとこういう場面が続いたのでしょう。 井筒監督は逃げたのではなくてこのシーンを意図的に隠したのだと思います。 でがなぜ隠したのか。 『パッチギ!』には2つのテーマがあります。 「Boy meets Girl」という普遍的なメインテーマと 「日朝問題」というサブテーマ。 あそこで2人がわかりあうシーンを隠さなければ、メインテーマはそこで完結します。 そして映画がいったん弛緩した後、サブテーマを突きつけるあの涙のクライマックスシーンに突入します。 井筒監督はメインテーマの完結をあえて見せずに、映画としての緊張感を保ったままサブテーマにつなげているのです。 見事な手法としか言えません。 もし松本氏の批評がなければ私もここまで考えなかったでしょう。 井筒監督の凄さに改めて気づくこともありませんでした。 映画に対する意見を交換するのって楽しいですね。 (2005年05月12日 09時05分58秒)
私はあそこでどう答えるかというのはさほど重要ではないように思いました。
あの後お葬式があって朝鮮人のおじいさんに詰め寄られ、間にある深い溝を思い知るわけですよね。 その後の気持ちが重要なわけで、あそこでの康介の 答えにこだわる松ちゃんはちょっとピントがずれてるように思いました。 (2005年09月24日 11時48分01秒)
多分映画を観ていて、どう答えるかとドキドキした時に暗転したので、ガッカリしたのでしょうね。
確かにあの時点で康介が日朝問題についてどう思っているかはそれほど重要なことではないですね。 (2005年09月26日 10時38分16秒)
7年も前の記事にコメントありがとうございます。
松本氏が結婚したのは2009年ですので自分の事情とは全然関係ないでしょうね。 (2012年11月06日 18時45分36秒) |
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