カテゴリ:カテゴリ未分類
今日のまとめ
シンガポールの歴史 シンガポールは13世紀頃には既に交易の中心として世界の商人たちにその存在を知られていたと言われています。 こんにちのシンガポールの基礎を作ったのはスタンフォード・ラッセル卿で、1819年に英国東インド会社の交易所を設置したのがそのはじまりです。 その後、シンガポールは1942年から1945年にかけて日本に占領されていました。 自治権の獲得は1959年、独立国の誕生は1965年です。 独立後の経済の足取り 1960年代のシンガポールは労働集約的な産業が中心でした。 しかし早くも1970年代には熟練工を中心とする製造業へと脱皮し、さらに1980年代には資本集約的な産業へと経済の軸足が移ります。 1990年代にはハードディスク・ドライブなどに代表されるハイテク産業が中心となり最近はバイオテクノロジーや金融やエンターテイメントなど技術革新や情報発信に重点を置いた産業政策を取っています。 シンガポール経済の特徴 シンガポールの特徴は国全体が世界の交易の中心に位置し、その中継や仲介によって対価を得ているという点です。 また同国の500万人の住民のうち約3分の1が非シンガポール人であり、コスモポリタンかつ多言語の社会を構成しています。これは交易立国を目指す国としてはとても有利な条件です。 シンガポールは取扱トン数で世界第一の港です。 2010年のシンガポールの貿易額は7,050億米ドルであり、これは同国のGDP2,370億米ドルの約3倍です。なお一人当たりGDPは4万7千ドルです。 シンガポールの貿易相手国は東南アジアのみではなくEUや米国をも含んでおり、真にグローバルです。 シンガポールのGDPの内訳を見ると製造業だけでなく卸・小売業、サービス業、金融業、運輸倉庫業など貿易や商業の仲介に関係するビジネスが多いことがわかります。 なお製造業の内訳ではエレクトロニクス、バイオメディカル、運輸エンジニアリングなどが上位に来ています。 経済のパフォーマンス 近年のシンガポールの経済のパフォーマンスはすこぶる良いです。 上に述べたように同国は世界の貿易にガッチリと組みこまれており、しかもGDP規模の3倍にも相当する貿易額を誇っていることから逆にリーマン・ショックのような事件が起き、世界経済がスランプに陥ると大きく打撃を受ける構造になっています。 このためリーマン・ショックが起きた後、IMFはシンガポールのGDP成長率が-8%になると予想しました。 しかし実際にはそれよりも遥かに軽微な経済の緊縮(-1.3%)にとどまりました。 ITを中心とした世界的な在庫調整は短期間のうちに終了しました。物流が息を吹き返すとともにシンガポールの幅広い経済分野で回復が見られました。 雇用市場も急速に回復し、リーマン・ショックで失った雇用を補って余りある新しい雇用機会が創出されています。 銀行の融資の回復もアジア通貨危機の時より急速でした。 不動産価格はリーマン・ショックの後、急激に下げましたが今は危機前の水準まで戻りました。 シンガポール政府は健全な収支バランスを維持しています。 現在はリーマン・ショック時に講じた景気刺激策は終了し、金融政策も平常に戻っています。 このようにシンガポールの回復が際立った背景には政府の強力な指導の下、より付加価値の高い、世界に向けて開かれた、知識集約的な産業へとアグレッシブにシフトしたことが原因であると言えます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年04月12日 18時41分38秒
|
|