カテゴリ:宮城県や川崎町のこと
先日、津波の被害に遭われた方が、持ってきてくださった石んこ地蔵たち。夫が表面を薄く削り取り、鉄さびと墨で色を付け直し、元の姿のように、生まれ変わりました。 下の写真が、持ってきてくださったときのものです。 石神彫刻工房もどうぞ。
きょうの3時間目。地元の宮城県川崎町の川崎第二小学校で、「石巻から非難されている方々との交流会」と題した会が行われました。今、ここ宮城県川崎町には、石巻市から二次避難の方が160名くらいいらしています。その中の4人の方との会です。 先週、皆さんと小学校側の都合を合わせるつなぎ役をして、日程が決まりました。また、ご自分が撮られた写真や、石巻河北という地域の新聞の切り抜きをいただきに上がったりして、資料を作りました。 おとといは、学区内のお宿ということで、校長、教頭が直接ごあいさつしたい、ということで一緒に各お部屋を廻ってお話して来ました。 そして、当日の、お宿と学校との送迎は、町の社会福祉協議会がやってくれました。
今日の会の最初は、石巻でハーモニカの教室を開いていらっしゃるAさんご夫妻。 ドナドナ、大きな古時計、赤とんぼ、ふるさと、世界にひとつだけの花、そして、荒城の月。 ドナドナ。売られていく仔牛を、被災された皆さんとダブらせて、哀愁を帯びた演奏でした。 また、荒城の月はハーモニカのために見事に編曲されていて、2つのハーモニカを持って、分散和音の伴奏とメロディーだったり、装飾がなされていたり。素晴らしいものでした。
雄勝町のSさん。2次避難所のお宿に届けられる石巻河北新聞の「読者からの写真」の中から選んだもの、ご自身が4月に撮ってこられた雄勝町の様子、の写真を実物投影機でスクリーンに映して、棒で指さしながら話してくだいました。 3月11日、地震の4時間前に写真館で撮られたご夫婦の記念写真。なぜだかわからないけれど、その日の朝、急に、「今日写真を撮りに行こう。」と思って、お二人で行かれたそうです。この3月で消防団を退団なさるので、3月中には撮りに行こう、と思ってはいたそうですが。 大事にされているお写真を見せてくださいました。 奥さまは、いまだ見つかっていないそうです。 なぜ、その日、急に思い立ったのでしょう。こんなことがあるものなのでしょうか。
Kさん、女性です。車いすのKさんは今までお会いした会では、いつも息子さんが付き添っていました。 津波から逃げる時の様子を、文章に書いて来てくださり、こどもたちにも分かりやすく話してくださいました。 もう間に合わない、というとき、「私はいいから、あんたたちだけ逃げて。」と言ったそうです。でも、「お母さんを置いては行けない。」と言った息子さんたち。その時ちょうど、どなたかがすくい上げてくださったのだそうです。 そして、泥の中から見つかった赤いオカリナを吹いてくださいました。まっすぐな音でした。
全校54名の子ども達。1年生には難しいところもありました。でも、全員の心に届かなくても、誰かの心に響けばいい、と思います。山の子ども達にも、海の事がすこしでも伝わればいいのだと思います。 実際にお話しを聴けるなどということは、そうあることではありませんから。とても良い会になったと思います。 子ども達の前で、お話や演奏をしてくださって、本当にありがとうございました。来週は、別の小学校の親子行事としても、このような会をするそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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