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カテゴリ:韓非子
亡国の音(いん)
古代中国春秋戦国時代のこと。 周の威光も衰え、諸侯が争っていた時代の話です。 衛(河南省)の霊公(在位紀元前581年 ~紀元前554年)が晋の国(山西省)に向かう途中、 濮水(ぼくすい・山東省)のほとりにさしかかった。 すると何処からともなく、いままで聞いたことがない、妙なる調べが流れてくるのです。 その旋律といい、音色といい、この世のものとは思われないほどのすばらしさに霊公はすっかりほれ込み、お抱えの音楽師の師けんに命じて譜面に書き写させた。 そうして晋国についた霊公は、さっそく旅の途中で覚えたばかりの曲と言いながら・・・音楽師に琴奏を命じて、晋の平公にきかせた。 そのころ晋には名うての音楽師、師曠(しこう)がいた。 音楽を奏でると、鶴が舞い白雲を呼び寄せるといわれるほどの名人であった。 衛の霊公が新しい音楽を聞かせるということで、師曠(しこう)にも登城のお召しがあった。 師曠が大急ぎできてみると、まさに演奏の真っ最中で、霊公が満面の笑みで悦に入っているところだった。 その新しいらしい?音楽を聞いた瞬間、師曠はおどろいた。 すかさず演奏している師けんの手を止めさせて言った。 「しばらくお待ちください。これが新しい音楽だなんてとんでもない。これこそ亡国の音楽(亡国の音)ですぞ」 おどろき、いぶかる両君にむかって、師曠はことのいわれを次のように語ったのである。 「昔、師延(しえん)という名人がいました。殷の紂王(ちゅうおう)に仕え、王のために新声百里とか靡靡(びび)の楽などという淫靡な曲をつくって献上していました。 王はたいそう気に入り、日夜演奏させていたそうな。 殷の紂王は、ご存知の通り、その悪逆非道がゆえに周の武王に滅ぼされてしまいました。 紂王を失った師延は、楽器を抱いて東へ走り、濮水までいき入水自殺したのです。 それからというもの、濮水を通りかかると必ずこの曲が聞こえてくるようになりました。 死んだ師延の魂が成仏できずに、宙をさ迷って、この曲を奏しているのです。 人々は《亡国の音だ・・・》といって耳をふさいで通り過ぎるようにしているのです。 新しい音楽だなんてとんでもないことです。すぐおやめ下さい。」 それを聞いた両君は身震いして、すっかり興ざめして再び演奏させるどころではなかったということです。 この話は『韓非子』の十過篇にくわしく描かれています。 亡国の音・・・・・滅亡した国の音楽。 また、亡国の運命を暗示するかのような、みだらで哀れな音調の音楽。 亡国の声 耳に心地よい言葉・・・・・亡国の音ではなかろうか? 世も中に、そう簡単にうまい話は転がっていません。 行き着く先は 天国か? 地獄か? ジパング国 はっ富山首相、民衆党の政策のことです。 全然関係ないことを書きます。 亡国といえば、イージス? MOOSEは、亡国といえば・・・・・ 西村寿行氏の滅びの笛でしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年03月13日 00時24分42秒
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