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カテゴリ:雑学
裸の王様の話は、デンマークのアンデルセンによって書かれたものが有名ですね。
正直者で善人にしか見ることができない着物と騙された王様がはだかで行進します。 詐欺師がうまい話を思いついて、王様に金襴豪華な着物を高額で売りつけたのです。 インチキな話なので、当然なにもなく身につけた王様は裸にしか見えないのです。 ところが王様も家臣たちも善人づらしたいので、みえないとは誰も言い出せないのでした。 王様は意気揚々と豪華な?みえない着物を身に纏(まと)って町を歩いたのでした。 それをみた純真なこどもたちは口々にいいました。 「みてごらん、王様が裸で歩いてる。裸の王様だ」 そこで人々は王様の裸に気付くのであった・・・・・云々という話でした。 さて 東洋の裸の王様の話です。 昔々のインドのお話です。 ある国に毒の雨が降りました。 その毒水を飲むと、ひとは7日間気が狂うのです。 その国の王様は乳母からその話をきいたことがあり、毒の雨が降る前に井戸にふたをしたのでした。 しかしながら家臣たちや町の人々の知らせるのが遅れてしまいました。 家来たちはみんな毒の水を飲んでしまい気が狂ってしまったのです。 毒水にやられた家来たちは気が狂い、裸になって踊りだす始末で宮殿になだれ込んできたのでした。 宮殿の王様は毒水を飲まなかったので正気でした。 王様が一人だけきものを着ているのを見た家来たちはいいました。 「たいへんだ。王様が狂ってしまった」と騒ぎ始めたのでした。 困った王様は言いました。 「みんな聞いてくれ。私はたしかに病気かもしれない。治療するための薬を飲んでくるから待っていてくれ」 王様は奥に行き、裸になって戻って来ました。 家来たちはそれをみて一安心するのだった。 そうして7日間が過ぎ、毒水の効果が失われると家来たちは裸でいることに気づいて服を着て宮殿に行きました。 宮殿にいくと王様が裸でいるではありませんか。 「王様が狂われてしまった。これは大変だ」 とまた騒ぎ出したのでした。 王様は苦笑いしていいました。 「わたしが狂っているのではない。ただ皆の者にあわして裸でいただけだよ。どうれ服を着てこようか。」 こうしてはなしはまるく収まったのでした。 「仏教のぞうひ喩経」にでてくるお話。 「仏教とっておきの話・ひろさちや著」より引用しています。 このインドの王様は素晴らしい人だと思います。 この世の中は欺瞞に満ちていると言えます。 世の中のバランスを取るために、価値のないモノに価値をもたせていると言えるかも知れません。 アンデルセンの話に出てくる王様が一般的な人たちだと思われます。 アンデルセンの裸の王様もおかしいと気付きながらも世の中の常識のなかで生きようとしているのです。 正しいのは純真な子供たちでした。 だれしも真実を口にしたいのに、口にできないもどかしさがあると思います。 インドの王様のやりかたが賢い方法だと思います。 間違っているひとに間違いを指摘しない。 気がつくまで、ひたすら待ち続ける。 正しいことを知っているけど、気付かないふりをする。 問題がある人に、きづきの機会を与えるということ。 「愛のパワー」がないとそれもできないな~ と感じる今日この頃なのでした。 「ザ・シークレット」を書いたロンダ・バーンの「ザ・パワー」を読みながら 愛について考えている秋の夜長のMOOSEでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年10月16日 22時42分15秒
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