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2009年09月04日
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お金の運用とアニマルスピリット


5つのアニマルスピリットは、もちろん、お金の運用にも関係するはずだ。例を探すのはさほど難しくない。

安心」か、そうでないか、という二分法で「これは安心だ」と決めつけて損失の確率・期待値を無視して投資を決める人は少なくない。たとえば、個人向けの社債や劣後債などは、多くの場合、確率や期待値を計算して投資するようなプロが買わないから、手間の掛かる個人に向けて販売されているわけだが、これを買う投資家の意思決定は、予想されるデフォルト確率と利回りを較べるというようなものではなく、「○○○○○○なら、大きな会社だし、たぶん大丈夫だろう」という安心の決めつけがベースになっていると推察される。

逆に、バブルが崩壊して、投資で損をした人の物語が説得力を持つような時期には、投資における「安心」が大幅に後退するので、かつてなら手が出たような割安な株価にも投資家は手を出せなくなってしまう。

隣人が投資で儲けている場合、それが羨ましいという感情の中には、自分もいい思いをするのでなければ「公平でない」という感情が潜んでいる。金融や不動産のセールスマンは、見込み客のこうした感情につけ込むことが巧みだ。たとえば節税用の投資案件のセールスマンは、顧客の同僚や同業者がいかに有利な節税をしているかを巧妙に強調する。

また、バブルの末期によく起こりがちな、金融マンの高給への反感や、にわかにお金持ちになった「IPO長者」への処罰欲求などの「公平」意識に起因する感情は、場合によっては政策レベルでの影響を持ったりもする。

他人の富に対する嫉妬の感情に対しては、自分で意識的に相当の距離を取ることが冷静で的確な投資行動のためには好ましいが、「腐敗と背信」と言いたくなるもののレベルを観察していると、マーケットの行き過ぎが分かることがある。80年代の財テク・バブルを後押しした違法行為である「握り」の横行、粉飾決算に使われてこれを扱った外資系金融マンをお金持ちにしたデリバティブのビジネスの行き過ぎ、近年のある種の不動産金融のビジネスに関わった人たちの人材の質、などを見ていると、「いつ」と定かにいうことは難しくとも、「このビジネスはそろそろ末期だな」と思わせるものがあった。狡いことをやっている人々の収入が、彼らの能力や貢献に較べて不当に高いという状況は、どこかで価格の歪みが起こっていることの有力なサインだ。

そもそもインカムゲインとキャピタルゲインを合わせて損得を判断することが難しい投資家が多いくらいだから、「貨幣錯覚」ももちろんある。デフレ下の低金利は、実は有利な実質金利を意味している場合が多々あったのだが、「こんな低金利ではやっていられない」という感覚の下に、「貯蓄から、投資へ」暴走して一敗地にまみれた、可哀想な人(特に理解が乏しいという意味で)は少なくない。こうした人たちは、実質価値や、将来のフェアな価値の計算を意識するようにならないと、何度でも、同じような失敗に陥るだろう。

その他、分配金の多寡だけで有利不利を判断したり、高金利通貨の債券や預金は期待リターンが高いと無条件で信じたりするような人たちも、実質価値や正確な損得が計算できずに、印象で損得を判断しているという意味では貨幣錯覚の支配下にある人の同類だ。

また、株式市場でも為替市場でも「物語」は重要だ。物語の出来によっては、実はツマラナイ会社が高成長企業に過大評価されて巨大な時価総額を持ってしまったりすることが株式市場ではよくあるし、先に挙げた日本の「土地神話」のように、控え目に見ても数百兆円単位のミスプライスを創り上げた超一級の物語もあった。

近年、日本株式市場における日本人機関投資家の影響力の低下もあって、日本株に関して、かつての「ウォーターフロント」とか「国際金融都市東京」といった大きな影響力を持つ物語が生まれなくなったが、投資家はそろそろ次の物語を求めているような気がする。

「安心」、「公平」、「腐敗と背信」、「貨幣錯覚」、「物語」の5つは、役割や理論的抽象度などが異なる、正直に言ってあまりスマートとはいえない概念の羅列だが、その分、現実に近いので、投資家あるいはビジネスパーソンは、手帳にでもメモして、折に触れてチェックしてみる価値があるのではないだろうか。


(理屈好きの方への補足)行動経済学・ファイナンスとの関係


「アニマルスピリット」で著者達が取り上げた5つの概念とその影響は、「フレーミング効果」、「プロスペクト理論」、「オーバー・コンフィデンス」、「双曲割引」といった、行動経済学、行動ファイナンスの分野で知られた概念と既存の経済学を組み合わせると相当程度説明できるように思う。つまり、両者には少なからぬ重なりがありそうだ。

たとえば「貨幣錯覚」は、名目額を中心に置いて経済的な意思決定をするフレーミングの間違いだし、その下での賃金の下方硬直性は参照点に較べて「損」をすることを重く評価するプロスペクト理論の前提条件(価値関数)で相当程度説明できる。

「公平」もフレーミングされた一種の参照点に対する拘りだし、「物語」はある意味でフレーミングを作る行為そのものだ。他人との比較で何を公平と感じるのか、あるいは、どんなストーリーを現実に重ねるのかという精神作用は、結果として合理的経済行動からの逸脱につながっているが、「感情」に訴えかけるいわば前処理の段階は高次の精神的機能なので、これらを「アニマルスピリット」と呼ぶのは、どうもしっくり来ない面がある。もちろん、冒頭でも触れたように、「ケインズの(言った)アニマルスピリット」として従来使われてきた概念とも大きな隔たりがある。

また「腐敗と背信」は、それ自体は倫理的に悪くはあってもある種の経済合理性を持った行動であり、エージェンシー問題を分析する枠組みなどで扱うことができる、割合古典的な経済問題だ。ただ、市場や経済の状況と「腐敗のサイクル」ともいえるような、腐敗の混じり具合・行き詰まり具合との間の現実観察に基づいた関連性は、単純にゲームやエージェンシー問題に押し込むと面白くない。

個人的なものと社会的なものの両方を含めたストーリーとそれに関わる心理的な側面の重視、それに現実を「公平」や「腐敗」と解釈する倫理観や文化の重視も含めて、「アニマルスピリット」の方法論は、経済学の一部(主流となる一部である可能性も大きい一部)が普通の文科系の学問研究方法に回帰しつつあることの兆しなのかも知れない。

「アニマルスピリット」という語感から連想される原始的な感情の反応と一番よく結びつくのは「安心」だが、今後、この安心のレベルに対して影響する要素は何で、どのような要素が「安心乗数」にどのような影響を与えるのか、ということが研究されるようになるかも知れない。

「アニマルスピリット」と行動経済学は多くの重なりを持っていそうだし、両者で扱う概念は、整理統一が可能なのではないかと思われるが、そのためには、何を説明するためにどういう概念が必要なのかがもう少し明らかになるまで時間を置く方がいいのかも知れない。

かつて、「アノマリー」の研究(主に1970年代から1990年代前半)で集められたファクト・ファインディングが、徐々に整理されて行動ファイナンスにある程度体系化された(1990年代後半から2000年代初頭)ような流れが、マクロ経済学を含むある意味では主流の経済学の中でも起こるのかも知れない。

そういった期待も込めて眺めてみると、本書「アニマルスピリット」には、まだ洗練されていない格好の悪さがあるものの、アノマリーの研究にあったような新たな視点による現実へのアプローチの「わくわく感」(たとえばリチャード・セイラー「セイラー教授の行動経済学入門」(篠原勝訳、ダイヤモンド社)を読むと感じてもらえるだろう)がある。





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最終更新日  2009年09月04日 15時02分38秒


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