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みほとけよ祈らせ給へあまりにも
短きこの世を過ぎゆくわれに (河野裕子)
カテゴリ:さいたま市見沼区の石仏
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深作の残り、国道16号線の東の地域の石仏を見てみましょう。 氷川神社筋向い 見沼区深作2-24[地図]西 国道16号線の深作(南)交差点から東へ進み、二つ目の交差点を左折、その先の二つ目の交差点を右折すると道路左側に深作氷川神社がある。道路をはさんだ筋向い、空地の脇のフェンスに囲まれた一角に小堂が立っていた。奥には大きな石碑が立ち、その手前には遊具が見える。 小堂の中 地蔵菩薩塔 造立年不明。四角い台の上、丸い敷茄子と蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩像。石塔部を欠いても総高2mあまり、堂々たるたたずまい。 風化のためか顔はいま一つはっきりしないが、錫杖・宝珠ともに健在で、首に補修跡も見あたらない。 台の正面には大きな蓮の花が彫られていた。右端に武刕足立郡 深作村、左端に念佛講中。念仏供養塔として造立されたものだろう。紀年銘は台の側面か、台の上に乗っていたはずの石塔部のほうにあったと考えられるが、これだけの立派な丸彫りの大地蔵菩薩塔、おそらく享保期あたりの造立ではないだろうか。 小堂の奥、植え込みの間に庚申塔 享保10(1725)四角い台の上、宝珠を乗せた唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめて、外に日月雲、中に青面金剛立像 合掌型六臂。上右手にショケラを持つ変則的「岩槻型」青面金剛。 三眼でしかめ面の青面金剛。首に髑髏の首輪をかけ、髪の間から蛇が首を垂れる。二組の後ろの腕の付き方がH型に近くやや不自然。上右手は足を折り曲げたショケラの髪をギュッとつかみ、上左手は剣を逆手に持つ。下の両手には弓矢。 足元に上半身型の邪鬼。M字に張った腕の間から大きな顔を正面に向ける。その下に両脇が内を向く大ぶりな三猿。左の言わ猿の足と中央の聞か猿の右足は破損。三猿の下に二鶏を浮き彫り。この位置は珍しい。左の牝鶏は剥落、跡だけが残っていた。さらに台の正面に大きく法輪と卍が彫られている。 塔の右側面に「青面金剛供養塔」左側面に造立年月日。その脇に武刕足立郡深作本村講中と刻まれていた。 続いて植え込みをはさんでその奥 馬頭観音塔 寛政10(1798)荒彫りの台の上の駒型の石塔の正面 忿怒相二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。全体に白カビが多い。衣装の裾が大きく跳ね上がっていた。 顔の周りは特に白カビ多い。怒髪の中には馬頭が見える。像の右脇に造立年月日。左脇に助力 久左衛門と刻まれていた。 さらにその奥の植え込みと植え込みの間に不明塔が立っている。風化が進み塔の形態も不確か。正面には銘は全く見えないが、塔の上部、側面などに人名の一部など銘らしきものがうかがえる。こちらに祀られているからにはなにかの供養塔と思われるが、現在のところ判断が難しい。いつか再調査してみたいと思う。 風間橋北路傍 見沼区深作5-2西[地図] 深作(南)交差点からまっすぐ東へ向かう道は、まずは深作川を越え、その先で綾瀬川を越えて岩槻区に入ってゆく。綾瀬川にかかる風間橋のすぐ手前の信号交差点を左折すると、深作川と綾瀬川にはさまれて北へ向かう道に入る。交差点から80mほど先を左に入ると右手の空地に石塔が並んでいた。 雨除けの下に三基の石仏。その右脇に庚申塔の文字塔。 右 庚申塔 万延元年(1860)四角い台の上の角柱型の石塔の正面 日月雲の下に「庚申塔」 台の正面を彫りくぼめた中に正面向きの三猿。彫りは分厚く立体的。両脇の言わ猿と見猿は片手使い。座り方も三者三様で面白い。 塔の右側面に造立年月日。左側面に深作村。台の両側面にそれぞれ十数人の名前が刻まれていた。 雨除けの下 右 聖観音菩薩塔 造立年不明。光背右脇に戒名。初めに阿闍梨、最後が不生位となっていて僧の墓石らしい。 中央 地蔵菩薩塔 造立年不明。錫杖の先、宝珠を欠き、顔はのっぺらぼう。蓮台、石塔も損傷が著しい。石塔の正面に□□山 光明院とあるが、他に銘は見当たらない。 左 地蔵菩薩塔 造立年不明。やはり錫杖・宝珠を欠く。蓮台以下も風化が進み溶けかかっている。像の背面も見てみたが銘は全く見当たらなかった。 八反田橋東交差点付近 見沼区深作5-37南[地図] 風間橋手前の信号交差点から北へ350mほど、道路右側の交差点の角に小堂が立っていた。小堂のすぐ北の電信柱の立つ交差点から西へ進むと深作川に架かる八反田橋に出る。 小堂の中 庚申塔元禄7(1694)擬唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめて、外に日月雲、中に青面金剛立像 合掌型六臂。上左手にショケラを持つ「岩槻型」像は風化のために摩耗、全体に漠然としている。 顔のあたりははっきりしないが忿怒相か?頭上には蛇が首を垂れる。持物は十字戟・ショケラ・弓・矢。足を折り曲げたショケラはやや斜めに吊るされている。合掌した手の先は擦り切れていた。 足の両脇に二鶏を半浮彫り。足元には上半身型の邪鬼が両腕の間から大きな顔を正面に向ける。その下に行儀よく並ぶ正面向きの三猿。三猿の下の部分に細かい字で十五名の名前が刻まれている。 塔の右側面に造立年月日。風化のために表面は剥落もありごつごつしていて銘も読みにくい。 紀年銘の右下に光明院 俊了。願主だろうか。さらに最下部に六名の名前が刻まれていた。 左側面に「爲奉造立庚申供養二世安樂也」こちらの面は比較的きれいで銘もしっかり残っている。最下部にやはり六名の名前が刻まれていて、正面と両側面合わせると講中二十七名になる。 関前橋東交差点 見沼区深作5-159西[地図] さらに北へ進むと最後はT字路にぶつかり、左に折れて道なりに進むと見沼区の最北端丸ケ崎新田に出るが、そのT字路のすぐ手前の交差点の東南の角に小堂が立っていた。この交差点から西に向かうと、深作川に架かる関前橋を通り、さらにまっすぐ進むと国道16号線の深作(西)交差点を経て東大宮方面に至る。 小堂の右脇の雨除けの下 庚申塔 文化10(1813)二段の台の上の片岩の正面に「庚申塔」その両脇に造立年月日。 上の台の正面、白カビが薄く覆っている中、右端に深作村とあり、続いて中山氏以下十数人の名前が刻まれている。 小堂の中 地蔵菩薩塔 宝暦4(1754)四角い台の上に角柱型の石塔を重ね、その上に敷茄子・蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩像。いつ訪ねても多くの花が供えられていた。丸顔のお地蔵様は欠損なく静かに佇んでいる。 正面に彫り物を施された厚い敷茄子の下、角柱型の石塔の正面中央「奉造立地蔵尊」両脇に造立年月日。 塔の左側面 上部中央に施主とあり、その下右から深作村、新田中、細田氏の名前が刻まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.10.30 09:34:40
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