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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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みほとけよ祈らせ給へあまりにも
短きこの世を過ぎゆくわれに (河野裕子)
2024.10.23
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東大宮から東へ進みます。今日は堀崎町と島町の石仏を見てみましょう。

稲荷社 見沼区堀崎町1203​[地図]


第二産業道路、大砂土中学校のすぐ北の信号交差点から広い道路を東へ向かうと、550mほど先、信号交差点を二つ越えたあたりから道路両側に団地が広がっている。団地の東端の交差点を右折すると突き当りに赤い鳥居の稲荷社があった。


参道右側、敷地の北のフェンスの前に五基の石塔が並んでいる。


右端 庚申塔 文政8(1825)四角い台の上の角柱型の石塔の正面、日月雲の下に大きな字で「庚申塔」


台の正面を彫りくぼめた中に三猿。両脇がともに外向きに座る構図はかなり珍しく、私が覚えている限りでは見沼区大谷の市民霊園北の住宅脇の庚申塔に次いでこれが二例目になる。足の組み方もそれぞれで面白い。


塔の右側面中央に造立年月日。その右に 北 あげを はらいち 道、左に 東 いわつき 江戸 道。道標になっている。


左側面に武州足立郡堀崎村。その横に講中と刻まれていた。

薬王寺 見沼区島町1806​[地図]
 

堀崎町と小深作を東西につなぐ道路の中間あたりから、細い道を北に入った先に薬王寺がある。木々に囲まれた長い参道の先に本堂が立っていた。


入口左脇、ブロックの垣根上の茂みの中に庚申塔が立っている。


庚申塔 天明3(1783)角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。


見沼区で数多く見られる「萩原庚申塔」三眼の青面金剛、高く結い上げられた髪の中央の先端は向かって右に折れる。ショケラは大きく足を折り曲げ手で顔を覆い丸くなっていた。


足の両脇に二鶏を線刻。足元の邪鬼は左足を立てて猫のように丸くうずくまり、合わせた両こぶしの上に大きな顔を乗せ不機嫌そうな眼付きで正面をにらむ。その下に両脇の猿が内を向いて座る構図の三猿が彫られていた。


塔の右側面に「奉造立庚申供養」


左側面に造立年月日。その下に南部領嶋村講中。続いて世話人とあり二名の名前が刻まれている。


入口右側の垣根上にも石塔が立っていた。


六地蔵菩薩塔 享保11(1726)駒型の石塔の正面、三段に蓮台に立つ六体の地蔵菩薩像を浮き彫り。舟形光背型と駒型の違いはあるが、膝子一里塚で見た正徳4(1714)年の六地蔵菩薩塔と似ている。こちらは白カビも少なく美しい。像の右脇「奉造立六地蔵爲二世安樂也」左脇に造立年月日。下部左から嶋村 敬白と刻まれていた。


参道途中右側、手水舎の手前に小堂が立っていて、中には五基の石塔が並んでいる。


右 地蔵菩薩塔 宝永5(1708)二段の台の上に丸彫りの地蔵菩薩立像。像は比較的風化が少なく美しい。上の台の正面に嶋村。


塔の背面中央に「奉造立地蔵尊二世安樂之處老若男女敬白」その両脇に造立年月日が刻まれていた。


右から二番目 馬頭観音塔 文化10(1813)四角い台の上の駒型の石塔の正面に二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。塔の上部の多くの部分が剥落、顔の様子などは全くわからない。


塔の右側面に造立年月日。左側面に惣村中。その下に世話人とあり三名の名前が刻まれている。


中央 地蔵菩薩塔。二段の四角い台に角柱型の石塔を重ね、その上に蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩像。石塔の正面に三つの戒名、右側面に刻まれた紀年銘(享保2年×2・天明3年)は命日と思われ、個人の造立した墓石だった。


その隣 聖観音菩薩塔。四角い台の上の舟形光背に聖観音立像を浮き彫り。光背右脇に戒名、左脇に命日が刻まれていて、こちらも墓石である。


左端 大乗妙典六十六部供養塔 宝暦10(1760)四角い台に上の駒型の石塔の正面中央「奉納大乗妙典六十六部日本廻國供養塔」風化が進み白カビも多く銘は読みにくい。


上部両脇に天下泰平・日月清明。中ほど両脇に造立年月日。右下に武刕足立郡南部領、左下に願主 嶋村とあり一名の名前が刻まれていた。





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Last updated  2024.10.23 19:16:32
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