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私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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みほとけよ祈らせ給へあまりにも
短きこの世を過ぎゆくわれに (河野裕子)
2022.01.26
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カテゴリ:ふじみ野市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

東武東上線の東の地域を、東から西へ見てゆきます。まずは「慶珍塚通り」を東から、今日は稲荷神社の石仏です。

稲荷神社 ふじみ野市谷田2-1​[地図]


県道272号線、旧富士見有料道路のすぐ西の「さぎの森小学校前」交差点を右折、北へ向かうと少し先で道路は緩やかに左にカーブして西方向に向きを変える。はじめの交差点の先、道路左側に稲荷神社があった。まわりは遊具のある広場になっている。


敷地の西、稲荷神社の南には境内社などがあり、その間には二基の石塔が並んでいる、さらにその右奥の塚の上に石仏が集められていた。


二基の石塔の左 馬頭観音塔 寛政6(1794)四角い台の上、駒型の石塔の正面に日月雲 一面六臂の馬頭観音立像を浮き彫り。


近寄って見ると口をへの字にどうやら忿怒相らしい。矛と法輪、矢と弓を持つ。


右下に福岡新田 村中。左下に同村 願主勇□。


塔の左側面に造立年月日。右側面に「馬頭觀世音菩薩建立」と刻まれていた。


右 大乗妙典六十六部供養塔 安永9(1780)角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、中央に「奉納大乗妙典六十六部日本廻国供養塔」両脇に天下泰平・國家和順。右下に武刕入間郡福岡新田。左下に箕輪氏姓 願主明了智見沙彌。廻国行者の名前だろうか?


塔の左側面、上部に願文。真ん中あたりに施入銘邑とあり、その下に福岡村、中福岡村、福岡新田をはじめ、現ふじみ野市、富士見市、川越市の18ヶ村の名前。裏面には造立年月日が刻まれていた。


右側面、願文と「施入銘邑」の下、川越、入曽、富士見市など近隣の12の村の名前が刻まれ、その下に江戸両国横山町、江戸千住橋戸町 外日本六十餘刕・・・・・・信男信女等とある。なんともスケールが大きい。


奥の塚に多くの石塔が並んでいた。手前から制吒迦童子と矜羯羅童子。銘は確認できず詳細は不明。


その後ろに不動明王坐像。光背も像自体も損傷が甚だしい。左手にかすかに羂索らしいものを持っている。前の二童子像とサイズがあっていて、不動三尊像だったものと思われる。


さらにその後ろ、右手に錫杖を持った坐像で、はじめは地蔵像かと思ったのだが、足元を見ると下駄ばき?肩のあたりから上がそっくり欠けていて詳細は分からない。


塚の斜面の左側に錫杖を持った石像がポツンと立っていた。右の坐像と大きさ、彫りの様子などよく似通っていて、ペアだったのかもしれない。左手に持っているのは数珠だろうか?足元を見るとやはり下駄ばきだった。






Last updated  2022.01.26 20:20:09
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