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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2024.01.18
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ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

前回の続き、永昌寺参道左とその周辺の石仏です。

永昌寺 西区中釘1698​[地図]


参道左には二つの六地蔵の小堂を中心に石塔が並んでいた。


手前から 蔵経塔 寛政8(1796)二段の四角い台の上、隅丸角柱型の石塔の正面「蔵経塔」蔵経=一切経だという。


塔の右側面に造立年月日。左側面に當寺十二世明□建立。門前の観音霊場供養塔と同年の造立で、永昌寺12世の銘があるが、あちらは「良明」で、こちらは「明□」同一人物だと思えるのだが不思議だ。


続いて小堂の中 六地蔵塔 享和3(1803)三基の台にそれぞれ二体の丸彫りの地蔵菩薩像が乗っている。六体は蓮台に立ち、サイズ、顔の様子もよく揃い、いかにも六地蔵らしい。


真ん中の台の右端から「有縁無縁 三界萬霊」続いて造立年月日。この台は風化のために多く剥落が見られるが、さいわいにも大事な銘の部分だけは残っていた。


左右の台には合わせて二十ほどの戒名が刻まれている。


二つの六地蔵の小堂に間、三界万霊塔 安永4(1775)二段の四角い台に反花付き台、角柱型の石塔に分厚い敷茄子と蓮台を乗せ、丸彫りの地蔵菩薩立像。総高約3m。よく見て見ると、こちら前回見た参道右の大地蔵塔とそっくりで造立年も一緒、顔の様子だけが違っていた。


石塔の正面に「三界萬霊」右側面に造立年月日。


左側面に施主 中釘 原 村中。助力 近里遠村。さらに閑遊禅定尼、こちらは願主か?裏面に現永昌寺十一世良榮代と刻まれている。永昌寺は石塔の数が多いので、参道右と参道左の取材を日を分けて別々におこなった。そのために昨日までうかつにも左右の大地蔵菩薩塔の相似に気が付かなかたのだが、今日確認に行ってみたら参道右の大地蔵菩薩塔の裏面にも現永昌寺十一世良榮代と銘があった。どうやらこの二基の地蔵菩薩塔は一対のものらしい。なぜか右は施主が上野村の個人で正面の銘が「先祖諸精霊」、左は施主が中釘村と原村の村中で、正面の銘は「三界萬霊」となっている。そのあたりのいきさつはどうなっているのか興味深いものがある。


その隣 小堂の中に六地蔵菩薩塔 天保6(1835)二つの台の上に丸彫りの地蔵菩薩立像。こちらの六地蔵もよく揃っていた。


台には多くの戒名とその命日が刻まれている。


台の右側面に當山拾五世禅量代。


台の左側面に造立年月日。施主 木野下村とあり個人名が刻まれていた。


続いて小堂の脇に石灯篭 天保6(1835)四角い竿の正面に「奉納 六地蔵尊寶前」


竿の左側面に施主 木野下村とあり、六地蔵の施主と同じ名前が刻まれている。
右側面に造立年月日。六地蔵といっしょに造立されたもののようだ。


右端 万霊塔 文政3(1820)二段の四角い台の上、角柱型の石塔の正面「萬霊塔」両脇に願文。敷茄子、蓮台を重ねた上に合掌する地蔵菩薩坐像。


塔の右側面には四行の偈文。


左側面「依多年志願造立焉」その横に當山十二世圎眼良明叟。さらに十四世良□代。十二世のとき発願、十四世のとき造立ということか。一番奥に造立年月日が刻まれていた。永昌寺にある多くの石塔は十一世から十五世まで歴代住職の銘があり、その時の御住職の呼びかけに、村の人々、また村の有力者が応じて造立されたもののようだ。

松葉堂 西区中釘1421北​[地図]


永昌寺の北を通る道を西に向かいその先のT字路を左折、60mほど先を右折して細い道に入りしばらく進むと松葉堂が立っていた。堂の扉には錠がかかっていて中には入れない。


扉の隙間からのぞくと左奥に馬頭観音坐像が見えた。三面八臂?の本格的な馬頭観音だが銘などは確認できない。


右側に舟形光背型の地蔵菩薩立像。これもきれいな形の地蔵菩薩像で江戸時代初期のものと思われる。この松葉堂の石仏についてはごく最近知ったばかりで、いつか近くで見る機会があったら取材したいと思う。

永昌寺北西路傍 西区中釘1998北​[地図]



清河寺交差点から北へ上尾の平方方面に向かう県道216号線。市境の手前、角に埼玉運輸支局のある信号交差点を左折、交差点から300mほど先、大きな立体駐車場の脇の細い道を左折して道なりに南へ進むと、路傍に瓦屋根の小堂が立っていた。


小堂の中 庚申塔 昭和17(1942)再建。四角い台の上の駒型の石塔の正面中央に「庚申」右脇に造立年月日。左脇に旧原一同。その下に世話人三名の名前が刻まれている。






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Last updated  2024.01.18 20:05:56
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