石仏画集 地蔵菩薩・如来・弘法大師像編 緑区山崎 宝蔵院墓地
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら20P目は緑区山崎にある宝蔵院墓地の地蔵菩薩立像 明和2(1765)光背右脇に「奉造立花見堂尊像供養為二世安樂也」と刻まれている。前回の中尾中丸の墓地のお地蔵様に続いて「花見堂地蔵」ということになる。スケッチの右に花見堂供養塔として四基を上げているが、その中に中尾中丸のお地蔵さまが見当たらない。スケッチの日付を見るとこちらは’03.3.28、中尾中丸のほうは’04、2,11となっていて、この時点では確認した花見堂供養塔はまだ四基だけだったということだろう。その後酒井さんが市内各地の石仏探訪で探し出した花見堂供養塔は十数基にのぼる。「花見堂」とは何か?定説はないらしいのだが、その紀年銘を調べてみるとちょっと面白い。大間木 内谷墓地 享保11年3月、木崎の立葉堂 享保17年3月、辻 萬蔵寺(これだけが馬頭観音塔)は宝永7年3月、中尾中丸墓地 延宝3年3月、こちらの宝蔵院が明和2年3月。いずれも造立が3月である。3月で「花見」というと桃の節句と関連があるのか?また、花見堂供養塔はそのほとんどが地蔵菩薩塔であり、地蔵菩薩=子供の守り神という性格が強く、桃の節句は女の子の成長を願う行事、となると「花見堂供養」というのは春に行われる子供のための行事のようなものと推測したくなるところ、本当はどうなのだろう?第二産業道路、山崎交差点のすぐ西にある宝蔵院。ブロック塀の入口手前、参道の両脇も墓地になっていた。境内の右側が高くなっていて、斜面の上に玉蔵院の墓地が広がっている。ブロック塀の手前から坂道を上ると六地蔵の脇に三基の石仏が並んでいた。右 庚申塔 明和8(1771)今年の3月10日「庚申塔編」で紹介済みである。左 馬頭観音立像 天明8(1788)こちらは「観音菩薩像編」で取り扱うことになる。中央がスケッチのお地蔵様だった。地蔵菩薩立像 明和2(1765)先がとがった舟形光背、梵字「カ」の下に錫杖・宝珠を持つ地蔵菩薩立像を浮き彫り。足元、前出の部分正面に三室村 山崎 願主 講中と刻まれていたta