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カテゴリ:和光市の石仏
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地福寺のあたりから川越街道付近までが昔の「白子宿」になります。 今日は白子宿の石仏をみてみましょう。 地福寺門内 和光市白子2-18-1 地福寺の山門を入ると参道左手に六地蔵と五基の石塔が並んでいた。 左端 庚申塔 日月雲の下に「庚申塔」二段になった台の上の台正面に「講中」 塔の側面裏面、上の台の側面、下の台の正面、右側面いずれも文字が見えない。 下の台の左側面にかすかに文字があるが、これも薄くて判読できなかった。 隣 普門品供養塔 文化9(1812)台の正面に當宿中と刻む。両脇に 右 川越道 左 大山道とあった。 台の右側面に年号。続いて武州新座郡白子宿。左側面に3名の世話人の名前、 さらに講中とあり11名の名前が刻まれていた。 ここから三基の馬頭観音文字塔が続く。左 馬頭観音塔 慶應3(1867)施主 個人名。 中央 馬頭観音塔 嘉永4(1851)左上が欠け、右側も一部が削れていた。 右 馬頭観音塔 文化15(1818)正面に力強い彫りで「馬頭觀世音」右脇に年号。 塔の左側面に施主として個人名が刻まれている。 小堂の中に六地蔵菩薩立像。六体の地蔵像は同じような大きさで表情も似ている。 下の台の大きさも揃っていて、造立当時のままの可能性が高いものと思われる。 残念ながら六基とも下の台の表面が剥がれていて、造立年などは確認できないが 江戸時代後期の可能性が高いのではないだろうか。 縦長のお顔の真ん中に大きめな鼻が特徴的。どこか素朴な印象を受けた。 水元稲荷 和光市白子2-15-18 地福寺から街道に出て少し歩くと右手に「滝坂通り」があって、急な坂道に なっている。道際の排水溝からは水の流れる音がかなり大きく聞こえていた。 左手に建つ大きなマンションの敷地の隅に赤い鳥居が見える。うっかりすると 見逃してしまいそうな場所だ。 左側に「水元稲荷」このあたり、滝坂という名の通り、清水が湧き出し滝と なっていたところなのだろう。奥には不動明王坐像が祀られ、右端の石には 「水神宮」と刻まれていた。 造立年などを示す銘は見当たらない。光背の一部と左手の先を欠いているが 間近に見ると彫りも力強く迫力がある。 並木石材店前 和光市白子2-23-29 宿通りと旧川越街道の交差点の南西角、石材店の前に馬頭観音塔が立っていた。 馬頭観音塔 大正5(1916)自然石の中央に「馬頭觀世音」と刻む。 裏面に年号。施主は柴崎氏とある。親戚筋だろうか?店の前を通るこの道は このあと「大阪通り」の急な坂道を登り、笹目通りを越えて「浅久保通り」、 和光市駅を経て志木方面へ向かう。江戸時代の川越街道は今の旧川越街道でも 現在の国道246号線でもなく、こちらの大坂通りのほうのルートだったらしい。 白子宿はいろいろなムラを結ぶ交通の要のようなところだったのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.09.08 18:50:02
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