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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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2016.03.14
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カテゴリ:東京 板橋区の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

「板橋区の石仏」の最終回は東光寺です。2014年12月31日の記事でこちらの庚申塔を紹介しています。2014年のトリに続き今回はシリーズのトリ、不思議なめぐりあわせですね。

東光寺 板橋区板橋4-13-8

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旧中山道から現在の中山道に出る交差点を左折し歩いてゆくと右手に東光寺の入り口がある。山門を入ると左手に多くの石塔が整然と並んでいた。

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左から地蔵菩薩立像 宝永5(1708)延命地蔵型だが左手の宝珠を欠く。下の台の正面に湯嶋 五丁目 施主 萬屋九兵衛と刻まれていた。

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隣 庚申塔 寛文2(1662)唐破風笠付角柱。 2mを越そうかという大きな庚申塔。こちらの造塔は観明寺の庚申塔から遅れること一年ということになる。

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日月雲の下、青面金剛立像 三面六臂。前の左手はショケラを持つことが多いが、ここでは羂索。両脇に二童子を従えている。

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足下には邪鬼がうずくまり、その下に四夜叉が生き生きと彫られていた。さらに四夜叉の下には御幣を持った一猿と一鶏。青面金剛から猿・鶏まで多くの要素が揃い、かなりにぎやかで立派な庚申塔である。

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塔の右側面 上部に正誉上人と刻まれ、下部には本村とあり三名の名前。左側面には造立年月日。その下部にはやはり三名の名前が刻まれているが、宿場の店の主人と思われる名前もあり、前回見た観明寺の庚申塔も合わせて、板橋宿の繁栄をうかがうことができる。

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続いて地蔵菩薩立像。このお地蔵さまも左手の宝珠を欠いていた。下の台の正面「國土成就」他に銘は見当たらず詳細は不明。

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さらに不明塔、手水鉢が並び、一番右端に地蔵菩薩坐像 享保4(1719)高さは3mにもなろうか、像、台ともに規模が大きい。蓮座の下の塔部正面に銘が刻まれているが、かなりなくずし字のため判読できない。ただその五行目に享保四歳という文字が確認できた。

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塔の右側面に 開眼導師 丹船山東光寺 豊誉上人と刻まれている。左側面は中央に「奉納一字三礼書写御經」その右に向かって地蔵本願經、浄土三部經、千手陀羅尼、右端は無量寿号二万遍一号一礼、左に向かって延命寺像經、妙法蓮華經、三世佛名經、最後に地蔵尊号二万遍一号一礼。続けて法俗二名誌 願主 稱誉 敬白と刻まれていた。

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下の台の正面中央に「六道利生・・・」両脇に十方施主二世・・、瞻仰男女滅罪・・いずれも続きは土の中で見ることはできない。その周りに薄い文字でたくさんの名前が刻まれている。

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台の残りの三つの面にもやはり細かい字で多くの名前が刻まれていた。四つの面を合わせると二百名ほどではないだろうか。それだけたくさんの人たちがこのお地蔵様の造立に関わったということなのだろう。

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後ろのほうに二基の馬頭観音塔が並んでいる。右 馬頭観音塔。自然石の正面を平らにして中央に堂々と「馬頭觀世音菩薩」残念ながら他に文字は見当たらない。

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左 馬頭観音塔 昭和2(1927)こちらも正面に「馬頭觀世音菩薩」右側面は一部剥落が始まっているが、その中に造立年月日が刻まれていた。

いやぁ~長かった~ 「板橋の石仏」シリーズも今回でやっと終わりました。10月2日から始めて記事数は全部で77回、ほぼ2日に1回のアップで5カ月以上かかりました。資料にあったなかで見つからなかったものもありましたが、ひとまずこれで終了といたします。

今年の正月から日曜日・祝日限定で次の候補地として岩槻区巡りを進めています。きのうまでで9回訪問して、全体の半分位は終わったかと思いますが、記事にするにはまだ少し時間がかかりそうです。かわりに、平日の朝、仕事前に自転車で往復できる地域として富士見市の石仏を取材中です。こちらはもう少しで回りきれそうです。準備ができ次第記事をアップする予定ですのでしばらくお待ちください。





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Last updated  2016.12.31 16:56:30
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