私家版 さいたまの石仏

2018/03/30(金)20:56

越谷市 瓦曽根の石仏

越谷市の石仏(157)

ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら 旧蒲生村、残りは瓦曽根になります。ここまでくると越谷駅も近くなり、旧蒲生村の一部というよりも越谷駅周辺というほうがしっくりくるような気がします。今日は三か所の石仏をまとめて見てみましょう。 照蓮院 越谷市瓦曽根1-5 県道49号線の瓦曽根ロータリー交差点の東、細い道を入り込んだ先に照蓮院の山門が立っていた。 山門を入ってすぐ右、塀の前に六地蔵の小堂があり、その左脇にも石塔が立っている。 六地蔵菩薩立像 享保元年(1716)六体はほぼ似たようなサイズで台も同じような印象を受ける。頭部はいずれも新しいもののようで、あとから補修されたものかもしれない。 3番目の像の敷茄子の正面に造立年月日があり、その両脇に施主 村中と刻まれていた。 左脇の石塔は如意輪観音坐像 寛文9(1669)舟形の光背上部に天蓋を施し、その下に二臂のたっぷりとした如意輪観音坐像を浮き彫り。その頭のあたり、周りに「奉造立如意輪観音二世安樂所」体の両脇に造立年月日。右下に念佛講、左下に三十五人と刻まれている。 瓦曽根二丁目自治会倉庫脇 越谷市瓦曽根1-5 照蓮院の南の大きな空き地は照蓮院の駐車場になっていて、同じ敷地内に自治会倉庫、消防分団、防災備蓄倉庫が立っている。自治会倉庫の脇に金網に囲まれていくつか石塔が並んでいた。 庚申塔。舟形光背に日月 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。光背は大きく破損。顔もつぶれている。金網の中には入れないので正確なところはわからないが紀年銘も残っていないようだ。足の両脇に二鶏。足元の邪鬼は頭を左にしてうずくまり、その下には三猿が彫られていた。 栃木銀行裏路傍 越谷市瓦曽根1-1 県道49号線の瓦曽根交差点から西に入り、県道49号線と並行して走る旧道を横切った先、駐車場の向かいの空き地に多くの石塔が集められていた。 右端 大きな丸彫りの地蔵菩薩立像 明治29(1896)こけしのような風情のお地蔵様。錫杖を欠く。下の台の正面は無銘。左側面 請負人 仕立人とあり、各一名の名前。右側面は右端に造立年月日。続いて12名の名前が刻まれている。 その隣 大きな基壇の上に秋葉大権現塔 文政10(1827)笠付きの石塔の正面「秋葉大権現」台の正面に「秋葉講中」両側面にそれぞれ12名の名前。いずれも名前の上に屋号が付いている。台の裏面 右端に造立年月日。続けて世話人とあり8名の名前。最後に石工名が刻まれていた。 六面六地蔵石幢をはじめ残りの石塔は肩を並べるように立っている。駒型の三基は庚申塔で、残りの小さな石塔は墓石だった。 六面六地蔵石幢 文化元年(1804)六面にそれぞれ地蔵菩薩立像を浮き彫り。六地蔵のうちひときわ大きなお地蔵さまは子供を抱いていて、足にも子供がすがりつく「子安地蔵」だった。写真右下に立てかけられた笠はこの石塔のものだったのだろう。 下の台の正面に「三界萬霊」右側面に造立年月日。左側面に 當所念佛講中とあり、続いて世話人3名の名前が刻まれている。 北向きに並んだ四基の石塔の右端 庚申塔 宝暦2(1752)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。かなり白カビが目立つ。右脇に「奉造立庚申尊像」さらに両側面に渡って造立年月日が刻まれていた。足元は磐座だろうか?三猿はもしかしたら土の中かもしれない。 西向きに並んだ四基の石塔の左から2番目 庚申塔。日月雲 青面金剛立像 剣・羂索持ち六臂。風化が進み紀年銘などは見当たらない。うつむき型?の三猿。この辺りではこのタイプの三猿をよく見る。三猿の上は磐座で、その上に狛犬のような邪鬼が頭を右にして伏せている。磐座の両脇のくぼみの所に二鶏が彫られていた。 左端 庚申塔 寛政2(1790)三基の庚申塔の中で一番彫りがきれいに残っている。駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。足の両脇に二鶏。足元の邪鬼はふてぶてしくにらみを利かせている。その下にはっきりとした三猿。塔の右側面に造立年月日。左側面には新町とあり個人名が刻まれている。 「越谷市の石仏」シリーズも130回を越えましたが、いよいよゴールが見えてきました。残るは蒲生の東、川柳町、瓦曽根の東、西方、相模町、大成町と続き、さらに東の吉川市と隣接する東町。あと20回くらいでしょうか。もうしばらくお付き合いください。

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