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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2016.08.06
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今日は表慈恩寺の残りの石仏を北のほうから見てゆきましょう。

常源寺西脇道路傍 岩槻市表慈恩寺1023付近



常源寺のすぐ東から鋭角的に南に入りこむ脇道がある。道なりに進むと蛇行しながら玄奘塔の前を通り、やがて表慈恩寺公民館のある交差点で「慈恩寺道」と交差する。この道に入って少し行くと右手の畑の隅に石塔が立っていた。



日待供養塔 貞享5(1688)江戸時代初期らしく板碑型の石塔。上部に日月雲。正面中央「奉供養御日待却諸願成就」両脇に造立年月日。下部中央に願主とあり、両脇に八名の名前が刻まれている。

玄奘塔 岩槻区表慈恩寺1037



蛇行した道の先、右側に玄奘塔の唐風の山門が立っていた。



正面にそびえたつ十三重塔 昭和25(1950)正面に見慣れない字体で「唐玄奘三蔵霊骨塔」と刻まれている。



参道の両脇に一対の大型の石灯籠 天保12(1841)が立っていた。一番下の台から笠の上の宝珠までは4m近くありそうだ。堂々としたその威容は圧倒的だ。



竿部は丸みを帯びた円筒状でボリュームがある。右の燈籠の竿部「奉献石燈籠兩基」武州東叡山 文恭院殿 尊前。続いて造立年月日。さらに奥州棚倉城主松平氏、従五位下周防守源康爵と刻まれていた。



左の石灯籠、竿部の銘は右とほぼ同じで、造立年月日に続いてこちらは松平伊賀守源忠優と刻まれている。調べてみると武州東叡山は上野の寛永寺で徳川家の菩提寺。文恭院殿は江戸幕府11代将軍徳川家斉の戒名。その命日は天保12年正月30日だった。将軍家斉が亡くなったときに大名によってその墓前に奉納されたものということになるのだろう。もともと上野の寛永寺にあったはずのこの石灯籠がどうして遠くこの岩槻の地にあるのか?とても興味深い。

県道65号線交差点角の住宅庭 岩槻区表慈恩寺1607東



表慈恩寺公民館の交差点から西に向かうと県道65号線に出る。その交差点の右側の角にある住宅の庭にお堂が立っていた。この日は、たまたまご主人が庭のほうにいらっしゃったので撮影の許可をいただくことができた。



地蔵菩薩立像 元文5(1740)光背右脇に「奉造立地蔵尊 光明真言 念佛供養」左脇上部に造立年月日。左下に表慈恩寺村同行廿五人。顔は風化のためなのかあまりはっきりしないが、像は全体に比較的きれいな状態で、文字もはっきりと残っている。それだけ多くの人たちに大事にされてきたものなのだろう。



お堂の右脇の草の陰に馬頭観音塔 明治35(1902)正面中央「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。塔の左側面には施主として個人名が刻まれていた。

岩槻工業団地入口交差点北三差路 岩槻区表慈恩寺1526南



県道65号線をそのまま南下してきて岩槻工業団地入口交差点に向かう下り坂の途中、左手の三差路の角に石塔が立っていた。



道標。塔の正面上部に十二臂の准胝観音菩薩坐像を浮き彫り。塔の下部に是より慈恩寺道と刻まれている。



塔の左側面「これよりきたのかたちをんしくわんおんさんけいミち」現代の表記だと「是より北の方慈恩寺観音参詣道」塔の右側面は庭木が迫っていて見にくいが、左側面と同じ文字が刻まれている。裏面にも銘があるらしいがこちらはまったく見ることができない。資料によると岩付村とあり二十名ほどの名前が刻まれているらしい。残念ながら造立年月日は確認できなかった。





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Last updated  2016.08.08 09:06:50
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