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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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2020.03.31
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46P目 緑区 御成街道上野田交差点北路傍の石塔 文化2(1805)角柱型の石塔の三面の上部を舟形光背の形に彫りくぼめて、それぞれに石仏坐像を浮き彫り。その下の銘文を見ると、三つの面それぞれに全く違った内容の銘文になっていて面白い。


県道105号線、日光御成道の上野田交差点から岩槻方面に進む。100mほど先、道路右手に小堂があって、中に二基の石塔が並んでいた。


左がスケッチの石塔 文化2(1805)正面上部に薬師如来坐像。像はかなり風化が進み顔もはっきりしないが、左手に薬壺を持つ形に見える。両脇に天下泰平・日月清明。中央には「爲諸病悉除村中安全」村に病がはやらないようにと祈ったもの。いつの時代でもヒトは祈るしかないのかもしれない。両脇に造立年月日。下の台の正面に「念佛講中」と刻まれていた。


右側面の上部には阿弥陀如来坐像。こちらも像は風化のために漠然としているが、どうやら阿弥陀定印を組んでいるようだ。その下に「百万遍供養」念仏供養塔ということになる。施主は個人名が刻まれていた。


左側面上部には聖観音菩薩坐像。その下に先祖とあり、その下は戒名だろう。両脇の紀年銘は命日。右下に守屋三代目分、続いて俗名。左下に七代目 施主とあり、右側面と同じ個人名が刻まれていた。酒井さんの推察どおり、四代前のご先祖の供養をしたということなのだろう。


右 地蔵菩薩立像 宝暦6(1756)静かにたたずむ丸彫りのお地蔵様。顔の一部、錫杖の先、宝珠などに欠損が見られる。首筋に補修の跡があり、たぶん廃仏希釈の折に被害にあったのだろう。痛ましいことだ。蓮台の下、石塔部の正面に「奉造立地蔵尊」と刻まれていた。


右側面に造立年月日。左側面には武州足立郡南部領 新染谷村講中と刻まれている。


希少塔編も残すところ2ページ。ラス前の47P目 浦和区岸町 稲荷社境内の庚申山石塔。


白幡の医王寺の東を北へ向かう一方通行の道を上り切って突き当りを右折すると、左手に稲荷社があった。社の左脇にスケッチの石塔が立っている。


自然石の正面上部に「庚申山」その下に「佐田彦大神」「大宮比大神」と二神を祀った石塔。佐田彦=猿田彦で、調べてみると稲荷三神の一柱であるという。大宮比のほうも伏見稲荷の祭神であるらしい。石塔の裏面に文字らしいものが見えるが、たぶん紀年銘だろう。残念ながら読み取ることはできなかった。



48P目 希少塔編の掉尾を飾るのは緑区東浦和 清泰寺の甲子供養塔 元治元年(1864)自然石の正面に「甲子供養塔」こちらの甲子塔については2019年2月27日の記事の中で触れているが、その時は造立年不明と書いてしまった。自然石の石塔の場合、裏面に銘が刻まれるのはよくあることで、なぜ見落としてしまったのだろう。


今朝は早起きして清泰寺まで行ってきた。スケッチの甲子塔は境内西の一角に300庚申の親庚申塔と並んで立っている。


裏面にはっきりと紀年銘が刻まれていた。見落としが許されるようなレベルではなく、恥ずかしい限りである。

以上で酒井さんの石仏画集の紹介を終わらせていただきます。記事にして162回、約1年かかりました。酒井さんの残された素晴らしい作品を少しでも多くの人に見ていただきたいと、このシリーズを始めたのですが、私自身、酒井さんのお仕事の跡をたどるように多くの石仏を見直すことができて、本当に勉強になりました。酒井さんとの出会いには感謝しかありません。あらためて、ご冥福をお祈りいたします。

さて、4月からは新しいシリーズ「新座市の石仏」に入ります。よろしくお願いします。





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Last updated  2020.04.01 09:47:12
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