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カテゴリ:蕨市の石仏
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今日は中央6丁目にある正蔵院の石仏を見てみましょう。 正蔵院 蕨市中央6-2[地図] 中央小学校の東、住宅街の中に正蔵院がある。その入り口は狭い路地に面していてわかりにくい。本堂に向かう参道は広く、左側に石塔が並んでいた。 小型の馬頭観音塔、三基の駒型の庚申塔、大きな唐破風笠付角柱型の庚申塔。四基の庚申塔が集められているのは蕨市内ではここだけである。 左から馬頭観音塔 享保17(1732)舟形光背に馬口印を結ぶ二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。慈悲相の観音様の頭上には馬頭がくっきり。右脇、梵字「カン」の下に「馬頭観音爲現世菩提也」左脇に造立年月日。その下に下蕨施主とあり、個人名が刻まれていた。 2番目 庚申塔 元禄15(1702)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。顔は削れている。右脇「奉供養庚申講中」左脇に造立年月日。青面金剛の足の両脇に二鶏が線刻。足元は今一つはっきりしないが邪鬼はいないようだ。その下にひな壇のようなくぼみを作りその中に正面向きの三猿。さらにその下の部分に10名の名前が刻まれていた。 3番目 庚申塔 宝暦3(1753)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。像全体が白カビにまみれている。頭上には蛇だろうか?足の両脇に二鶏。足元にひしゃげた邪鬼。その下に三猿だが、中央の猿は風化の為ほとんど原型をとどめない。塔の左側面は荒彫りだが右側面を平らに削られていて、その上部に造立年月日。その下に武州足立郡下蕨村 講中二十六人と刻まれていた。 4番目 庚申塔 正徳4(1714)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。比較的白カビが少なく彫りもしっかり残っている。とぐろを巻く蛇を頭に乗せ、目を吊り上げた青面金剛。右脇に「奉供養庚申」左脇に造立年月日。足の両脇に立派な二鶏。足元の邪鬼は手足ともに折り曲げて屈服している。その下の三猿は両脇が内を向く形。三猿の下の部分には施主とあり、10名の名前が刻まれていた。 右端 庚申塔 宝永8(1711)唐破風笠付角柱型の大型の庚申塔。合掌手以外の二組の腕が同じ格好で同じようについているのは珍しい形。足の両脇にしっかりとした二鶏。足元の邪鬼は頭が右で磐座に這いつくばる。三猿は台の正面に彫られていた。邪鬼の磐座の下の部分、細かく文字が刻まれているようだがかなり薄くなっていてうまく読み取れない。資料によると50名ほどの名前が刻まれているらしい。塔の両側面には蓮が彫られている。その隙間、右側面に宝暦八辛卯年、左側面に正月吉日。その下に講中と刻まれていた。 本堂の左側一帯が墓地になる。堂の近くに三基の石仏が並んでいた。 左 馬頭観音塔 宝永5(1708)舟形光背に二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。頭上の馬頭はしっかり、観音様の顔はつぶれていてその様子はわからない。右脇「皈(帰の俗字)依三宝尊 祈亡畜菩提也」左脇に造立年月日。 足元の部分に銘が見えるが今一つはっきりしない。右は同行拾五人だろうか? 中央 大日如来坐像 元禄12(1699)四角い台の上に反花のついた台を重ね、さらに敷茄子・蓮台の上に大日如来坐像、大きな舟形光背が印象的。 梵字「バン」の下、宝冠を被った大日如来。腹前で印を結ぶが一部破損ため印相は断定できない。光背上部両脇に造立年月日。その下、右脇に願主、左脇に法性海と刻まれていた。 蓮台、敷茄子ともに重厚。反花付きの台の正面に三十数名の名前が刻まれている。 右 地蔵菩薩立像 宝暦11(1761)長方形の光背に錫杖と宝珠を手に持つ大きな地蔵菩薩像を浮き彫り。頭の後ろに輪光背。風化も少なく堂々としている。像の右脇に「南無地蔵大菩薩」左脇に造立年月日。 蓮台の下は台が二段になっていて、上の台の正面には武刕足立郡 戸田領下蕨 講中廿二人と刻まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.03.13 07:55:14
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