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私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2022.12.12
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カテゴリ:清瀬市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこち​

清瀬市の石仏も残すところあとわずかです。今日は長命寺の東にある曹洞宗寺院 長源寺の石仏を見てみましょう。

長源寺 清瀬市下清戸4-406​[地図]


長命寺から東へ500mほど、志木街道の北側に長源寺の入口がある。門柱が立つ入口から境内に入ると正面に本堂が立ち、参道左脇には六地蔵が並んでいた。街道筋にあっても静かで厳粛な雰囲気、掃除の行き届いた境内は気持ちがよい。


丸彫りの六地蔵菩薩立像 天明2(1782)赤い衣装をまとった六地蔵。蓮台、敷茄子、石塔ともによくそろっている。


頭部に補修跡もなく、きりっとした尊顔は大きな損傷もなくホッとする。


厚い敷茄子の下、右から2番目の石塔の正面に「念佛講中」


各石塔の側面に願主名。さらに武州下清戸村、その横に造立年月日が刻まれている・


本堂の手前、参道左脇の植え込みの中に丸彫りの地蔵菩薩塔 享保6(1721)が立っていた。このお地蔵様も錫杖・宝珠ともに欠けることなく美しい。


塔の正面中央「奉造立地蔵尊」両脇に造立年月日。右側面に武州下清戸村。


右側面に願主 一名の名前。その横に講中二拾六人と刻まれている。


本堂の前、両脇に一対の立派な石灯籠 正徳2(1712)が立っていた。徳川六代将軍家宣の霊廟前に奉納された石灯籠で、長命寺同様に増上寺にあったものである。曹洞宗寺院に浄土宗増上寺の石灯篭とはさすがに奇妙な印象を受ける。増上寺石灯籠を初めて見たのは練馬の「東高野山」長命寺だったと思うが、その後いろいろなところで見ることができた。遠く山梨県塩山市にある恵林寺にもあるという話を聞いたことがある。このあたりの事情はまた調べてみる必要がありそうだ。


本堂の左、墓地の入口に大きな観音像が立っていた。その左脇に石塔が並んでいる。


竹林の前、前列に三基の角柱型の石塔。その裏にはいくつか墓石が並んでいた。


右 馬頭観音塔文字塔 文政13(1830)四角い台の上の石塔の正面に大きく「馬頭觀世音」


台の正面、左 ひき又道。右の下はうまく読めないが、資料によると江戸道だという。


塔の左側面 武刕多摩郡清戸村。台の左側面に願主 石井・・・と刻まれていた。


塔の右側面に造立年月日。台の右側面、こちらにも願主とあり、小寺・・・と刻まれている。


中央 三界万霊塔 安政2(1855)角柱型の石塔の正面にこちらも大きな字で「三界萬霊等」下の四角い台には銘は見当たらなかった。


塔の右側面 天下泰平 國土安穏 五穀豊穣 萬民快樂。


塔の右側面にはこの三界万霊塔造立の経緯が記されている。それによると長源寺11世住職が講を起こし、集まった十両で三界万霊塔と歴代住職の無縫三基を造立したとのこと。裏面には造立年月日に続いて十四世紋龍の銘があることから、造立者は14世住職で、11世が組織した講がその後何年かかけて寄せ集めた寄付金10両を資金に安政2年に11世、12世、13世の墓石とこの三界万霊塔を造立したということになるだろう。


左 妙号塔 安政2(1855)ニ段の台の上 角柱型の石塔の正面に徳本上人の独特な書体で「南無阿弥陀仏」


上のほうの台は正面を除く三面に銘があった。右側面には施主 小寺・・・・・。


塔の右側面に造立年月日。続いて當山現住紋龍叟代。隣の三界万霊塔と同じ年に同じ14世住職が主導して造立されたものらしい。裏面には「爲二世安樂 親子就念仏 修行供養寶 塔造立令數 石寄付者也」と刻まれていた。





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Last updated  2022.12.12 20:30:25
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