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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2023.04.30
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内谷の石仏、最終回です。

普門寺 南区内谷5-16​-3[地図]


県道79号線、一乗院の入口から南へ向かい、400mほど先の信号交差点のすぐ手前を左折すると、道路右手に普門寺の入口があった。


入口右のブロック塀の裏、本堂に向かい合うような位置に石塔が並んでいる。うち三基は住職の墓石だった。


東向きに立つ4基のうち、左端に宝篋印塔 安永9(1780)基礎正面に「念佛供養」右側面に二つの戒名。


左側面にも戒名が刻まれていて、こちらも基本的には墓石である。裏面に造立年月日が刻まれていた。


その隣 百万遍供養塔 安永5(1776)舟形光背、梵字「カ」の下に地蔵菩薩立像を浮き彫り。


瞼が腫れたお地蔵様、妙に人間くさいリアルな表情を浮かべている。光背上部両脇に天下泰平 日月清明。続いて右脇には「百万遍供養塔」左脇に造立年月日。百万遍供養というと普通は念仏供養だろう。


さらに右下に美女木村 内谷村 講中。左下に願主 是照。爲先祖菩提とあり一名の名前が刻まれていた。


続いて夏念仏供養塔 延宝5(1677)美しいフォルムの舟形光背の上部に梵字「カ」その下に丸顔の地蔵菩薩立像。彫りは厚く堂々としている。


丸顔ながら尊顔は厳粛。光背右脇「奉行夏念佛爲二世安樂也」左脇に造立年月日。


足元の部分、右から下笹目村、美女木村、曲本村、四谷村、田嶋村、沼影村、鹿手袋村、最後に内谷村と全部で八ヶ村の名前が刻まれていた。「夏念佛」は初見でどんなものかわからないが、こちらの念仏供養塔の造立には多くの人たちがかかわっていたようだ。


墓地の奥に多くの石仏が集められている。紀年銘などを調べてみると、享保期を中心に江戸時代の地蔵菩薩、聖観音菩薩、如意輪観音菩薩など像塔も數多いが、そのほとんどが戒名と命日が刻まれた墓石だった。


前列右端のこの地蔵菩薩塔、光背右脇に「奉納華見堂地蔵菩薩現世安穏後世善處爲」と刻まれていた。華御堂供養塔 元禄9(1696)大谷口、中尾、など東のほうに多く見られ、ここまで南浦和より西では見ることが無かったが、「華御堂供養塔」がここ内谷にもあった。資料にはこの石塔の記載はなく「新発見」だとするとやはりうれしい。彫りが薄くなっているが、うっすらと円形の頭光背が見える。光背左脇に造立年月日。その下も銘が薄く自信はないが道行(=同行か?)五十五人。足元の部分、左は破損していて右端に備景菩提也と刻まれていた。

松本橋東住宅前 南区内谷1-5​[地図]


荒川左岸の松本あたりから荒川の土手に平行して排水路が流れている。この通称「さくら川」は笹目橋近く早瀬まで続き、その川沿いの道路は道幅のわりに多くの自動車が行き交う。この排水路に架かる「松本橋」のすぐ東、交差点の住宅の前に庚申塔が立っていた。


庚申塔 天明2(1782)笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめて、日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


頭上にとぐろを巻いた蛇。持物は矛・法輪・弓・矢とスタンダードな構成。


足元の邪鬼は正面向きの上半身型。朱塗りの跡が残っていた。両手を張って口をへの字に青面金剛の重さに耐えている。その下に小型の三猿。両脇の猿が内を向く。


塔の左側面は無銘。右側面に造立年月日。さらに内谷村講中十七人、願主一名の名前が刻まれていた。

【行方不明の石仏】
2013年12月の取材時、上の庚申塔から100mほど南の交差点の角、地蔵菩薩立像 安永5(1776)が南向きに立っていた。念仏講中四名の名前が刻まれていたものだが、現在は見当たらない。

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Last updated  2023.04.30 19:06:25
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