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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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2024.03.20
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「浦和区の石仏」も残すところあと二回、今日は大東の北、木崎の石仏です。

大東北公園北東三差路 浦和区木崎5-36​[地図]南



大東北公園のある交差点は五差路になっていて、この交差点に二ヶ所、二基の石塔が立っている。交差点から東へ向かって写真右の道が赤山街道、左の道は三室を通って宮本方面へ向かう道。この二つの道の分岐点に小さな石塔が立っていた。赤山街道が大東と木崎の境界線で、現地の住居表示は木崎5丁目になる。


馬頭観音塔 文政年間。角柱型の石塔の正面中央に「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。紀年銘は下部が薄く文政□年 三月・・・。


塔の右側面 右 江戸□□ 。戸のしたにかすかに縦の線が見えて、川口だろうか?左 大宮 与(野)。赤山街道の道標である。


左側面 上に左とあり、宮本 三室邑、なんぶ 山﨑 □□。両側面の銘はふたつの道の道標としてふさわしく、この馬頭観音塔は昔からこの地に立っていたものと思われる。

大東北公園北歯科医院ブロック塀角 浦和区木崎5-29​-17​[地図]​​


公園の北向いにある歯科医院のブロック塀の角にも石塔が立っていた。写真左の道は県道1号線の支線で、県道65号線の木崎交差点を越えて上木崎方面へ向かう。目の前の道を右へ進むと三室、松本方面になる。


馬頭観音塔 寛政2(1790)隅丸角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「カン」の下に「爲馬頭觀音位」両脇に造立年月日。下部両脇に二名の名前が刻まれていた。

県道1号線路傍 浦和区木崎5-24​[地図]


大東北児童公園から県道1号線の支線を木崎交差点に向けて進んでゆくと、ちょうどその中間あたり、道路右側の住宅の脇にブロック塀に囲まれて石塔が立っている。


庚申塔 正徳4(1714)二段の四角い台の上、唐破風笠付き角柱型の石塔の正面に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


三眼の青面金剛。高く結い上げた髪の中に見えるのは蛇の頭か?持物は矛・法輪・弓・矢とノーマル。白カビもほとんどなく風化も目立たない。


邪鬼は個性的。両手を張って青面金剛の足元の磐座からはい出るように大きな顔をのぞかせる。このような邪鬼は初めて見た。両脇が内を向く構図の三猿。足を投げ出しリラックスして腰掛けている。


塔の左側面に善男善女人 童男童女人 施主百八拾二人村中ずいぶん人数が多い。最下部に單心 求縁とあるが、人の名前なのか、仏語のようなものか、よくわからない。


右側面中央に武刕足立郡下木崎村。両脇に造立年月日。その下に願主 廣誉殘龍敬白と刻まれていた。

秋葉神社 浦和区木崎5-10-15​[地図]


県道65号線の木崎交差点から山崎交差点に向けて道はいったん下り、その先は今度はのぼりになる。木崎交差点から約350m、坂道を下り切ったあたり、道路右側の石階段の上に秋葉神社の朱塗りの鳥居が立っていた。

鳥居の先、社殿の右横に石塔がポツンと立っている。


庚申塔 造立年不明。隅丸角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に「奉納庚申」その下に信心之施主。両脇に何某。紀年銘は見当たらず造立年などはわからなかった。

立葉堂 浦和区木崎4-3-20​[地図]


県道1号線の支線を大東方面から北上すると県道65号線の木崎交差点に出る。この信号交差点の先はやや左に県道1号線があり上木崎方面に向かう。それと並行してもう一本細い道があり、大東方面からきて交差点をそのまままっすぐ進むとこちらの細いほうの道に入る。木崎交差点から300mほど先の交差点、左側に立葉堂の墓地があった。入口からのぞくと右側の鐘楼の前に赤い屋根の小堂が見える。


小堂の中の丸彫りの六地蔵塔は比較的新しく、石塔の正面に「再建六地蔵尊」と刻まれているが、他に銘は見当たらず造立年などは不明。小堂の左脇に地蔵菩薩塔が立っていた。


華御堂供養塔 享保15(1730)舟形光背に地蔵菩薩立像を浮き彫り。頭上に梵字「カ」。手に幢幡を持つ。六地蔵では見かけるが、独尊でこれは珍しい。光背右脇に「華御堂供養塔」南区で続けて三基見てから、桜区、西区、中央区ではまったく見かけなかったが。久々の華御堂(花見堂)供養塔である。左脇に造立年月日。月日銘は華御堂供養塔に多い三月三日となっている。右下に願主、左下に名前があるが白カビが厚くこびりつき読み取りにくい。單誉直人か?。足元の部分に施主 三十五(人)と刻まれていた。





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Last updated  2024.03.20 18:51:57
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