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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2024.05.10
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北区の最終回、吉野町の石仏です。ちょっと長くなりますが四ヶ所まとめて見てみましょう・

吉野神社 北区吉野町1-21​[地図]


ニューシャトル今羽駅から産業道路へ出て、西へ向かう加茂神社通り、駅近くの信号交差点から100mほど先の右側交差点角に吉野神社がある。敷地の南西角に朱塗りの鳥居が立ち、その奥に「庚申社」があった。


庚申塔 元禄13(1700)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。小堂を囲む板と正面の賽銭箱のために全体像はつかめない。


白カビは見当たらず彫りは細部までしっかり残っていた。三眼忿怒相の青面金剛の頭上には蛇がとぐろを巻き首を垂れる。持物は矛・法輪・弓・矢。像の右脇「奉待庚申供養講諸願成就所」その右横の狭い空間に武刕足立郡吉野村。左脇に造立年月日。


足の両脇に二鶏を半浮き彫り。足元の邪鬼は青面金剛の重さに耐え、両腕を張って顔を正面に向ける。


磐座と磐座の間に大きな三猿。両脇が内を向く構図。像全体に彫りは写実的で非凡。三猿の下、塔の最下部に二十数名の名前。下の四角い台の正面にも十名ほどの名前が刻まれているが、こちらはひらがなだった。


塔の右側面最下部に十名ほどの名前。台の右側面、こちらもひらがなで十名ほどの名前。


左側面も同様に、塔に九名の名前、台にひらがな十名ほどの名前が刻まれていた。三面合わせると男女で70名を超す大きな講になる。

地蔵堂墓地 北区吉野町2-244​[地図]


国道17号線の吉野町二丁目交差点から「しらかば通り」を東に向かい、二つ目の信号交差点を右折して100mほど進むと、道路右側に地蔵堂墓地があった。入口右脇に寺標、その隣に二基の石塔が並んでいる。


右 大乗妙典六十六部供養塔 享保20(1735)角柱型の石塔の上に錫杖を手にした地蔵菩薩坐像が乗る。左手は欠けていた。石塔の正面を彫りくぼめた中、中央に「奉納大乗妙典六十六部供養」両脇に造立年月日。右下に吉野原村、左下に願主 覺心と刻まれている。


塔の左側面 開眼長松山清浄院 法印□□。右側面に助力衆中二世安樂所と刻まれていた。


左 大乗妙典六十六部供養塔 安永8(1779)隅丸角柱型の石塔の正面中央に「奉納大乗妙典六十六部供養」右下に造立年月日。左下に吉野原邑 行者 即道と刻まれている。


境内に入ると道路沿いのブロック塀の前に多くの石塔が並んでいた。途中に墓石が集められ、その奥、卵塔に続いて大きな角柱型の石塔が立っている、


右端 百万遍供養塔 明和5(1768)角柱型の石塔の正面上部を舟形に彫りくぼめた中、蓮台に座り合掌する地蔵菩薩像を浮き彫り。その下に「百万遍供養塔」両脇に造立年月日。下部両脇に右 川越、左江戸。道標を兼ねた念仏供養塔である。塔の左側面に神山村施主とあり個人の名前が刻まれていた。


その隣 馬頭観音塔 元禄11(1698)台は無く丸彫りの立像が地面に直接立っている。一部は土に埋まっているのだろう。一面六臂慈悲相の馬頭観音立像、首に補修跡があった。頭上の様子はいま一つはっきりしないが馬頭か?切れ長の目がやさしげだ。六臂だが丸彫りのためか、合掌手以外は第二手がおなかの前に、第三手は膝のあたりに置かれている。


背面に銘が刻まれていたが、薄くなっていて読みにくい。右のほうに武刕吉野村念佛?中央□□供養□馬頭□□・・・・。左に造立年月日が刻まれていた。


左端 馬頭観音塔 文政6(1823))四角い台の上の角柱型の石塔の正面、大きな字で「馬頭觀世音」


塔の右側面に造立年月日。その奥に武陽圀足立郡 吉野原村上郷。


左側面に天下静謐 五穀豊穣。


台の正面に「講中」右奥面に 西 南とあり地名があるがくずし字でうまく読めない。西の近くに川とあるのは川越か?


左側面 手前に北、その下は「はらいち」に見える。現地から原市は東だから違うかと思ったが、こちらの地蔵堂は今羽駅西にある長松山清浄院の境外仏堂であり、この馬頭観音塔はもとは親寺の清浄院にあったものだとすると「北 はらいち」も考えられる。奥に東とあり、周りに文字は見えるがやはり地名は読めなかった。


入口の左脇に大きな丸彫りの地蔵菩薩塔が立っていた。大乗妙典六十六部供養塔 元文3(1738)四角い台に反花付き台を重ねた上の角柱型の石塔に丸彫りの地蔵菩薩立像。


総高3mを超す丸彫りの堂々たる大地蔵。享保期に続く元文期ならではか?白カビはあるものの、風化の様子は見られない。


角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中「奉造立大乗妙典六十六部供養」


塔の右側面に造立年月日。続いて開眼 長松山清浄院現住霊雄。


左側面 武州足立郡吉野見目村願主 了全。その横に助力万人講中二世安樂願満所と刻まれていた。

不動堂墓地 北区吉野町2-191-4​[地図]


国道17号線吉野町二丁目交差点から「しらかば通り」を西に進み、つつじが丘公園を越えた次の信号点を左折、南へ進むと道路右側に不動堂墓地がある。こちらも地蔵堂と同じく清浄院の境外仏堂らしい。入口近く、寺標の奥に小堂が立っていた。


小堂の中 丸彫りの地蔵菩薩立像 延享4(1747)顔ははっきりしないが、像全体に白カビもなく美しい状態を保っている。


角柱型の石塔の正面に延命地蔵菩薩経の偈文。塔の左側面 武州足立郡吉野領吉野原村 施主 個人名。さらに不動院住□□ 隆経代。


右側面に造立年月日。続いて右 遠近村助力衆中後生善処。さらに開眼 長松山 法印霊雄と刻まれていた。


小堂の左脇 馬頭観音塔 文政5(1822)隅丸角柱型の石塔の正面に「馬頭觀世音」塔の右側面に造立年月日。左側面に加茂宮村とあり個人名が刻まれている。

不動堂北倉庫 北区吉野町2-197​[地図]


不動堂墓地から北へ向かい「しらかば通り」の信号交差点を越えてさらに進み、上尾市との市境の手前、交差点の角の倉庫の敷地の隅に石塔が立っていた。


庚申塔 文政7(1824)四角い台の上の角柱型の石塔の正面 塔いっぱいの大きな字で「庚申塔」


塔の右側面に右 いわつき。その下に造立年月日。


左側面 左 はらいち。脇に武州足立郡吉野原村鈴木講中。さらに下部には世話人二名の名前が刻まれている。

以上で北区の石仏を終了します。





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Last updated  2024.05.11 06:16:43
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