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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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2024.06.15
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東浦和の石仏の最終回です。

明神神社 緑区東浦和2​[地図]


大北釈迦堂の前の道を南に進み、JR武蔵野線を渡ってすぐ、道路右側に明神神社の鳥居が立っていた。鳥居のすぐ先、参道左脇に石塔が見える。


庚申塔 宝暦7(1757)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


風化が進み白カビもところどころに、青面金剛の顔はつぶれていた。持物は矛・法輪・弓・矢。がにまたで邪鬼を踏む。


足元の邪鬼は仰向けに寝ていた。これはほとんど見かけたことがなく珍しい。その下の三猿はそれぞれに自由なポーズ。片足を立てて座ったり寝そべったり、すっかりくつろいでいる。


塔の右側面は無銘。左側面に足立郡井沼形村講中。その横に造立年月日が刻まれていた。

薬師堂墓地 緑区東浦和2-46​[地図]


明神神社から南へ進み、東浦和駅南通りを越えてすぐ、道路右手に薬師堂墓地の入口があった。


入口から緩いスロープを進むと右側に多くの石塔が集められている。その多くは無縁仏だった。


石仏群の先。角のところに比較的大きな像塔が並んでいる。写真奥に見えているのが薬師堂。


念仏供養塔 宝永2(1705)大きな舟形光背に錫杖宝珠を手にした地蔵菩薩立像を浮き彫り。白カビは多いが彫りは細かく堂々たる佇まい。光背左脇に造立年月日。


光背右脇「奉造立大菩薩念佛講中為二世安樂也」


左下の部分に木崎領井沼方村と刻まれていた。


薬師堂に向かう道の左の角に二基の大型の石仏が並んでいる。


右 阿弥陀如来坐像 宝永3(1706)大きな四角い台の上、厚い蓮台に丸彫りの阿弥陀如来像。頭、首、胸のあたり、白カビが目立つ。


台の正面に「大和尚」の文字が見え、こちらは高僧の墓石らしい。両脇の紀年銘は命日だろうから、造立年は宝永4年以降ということになる。

左 庚申塔 延宝4(1676)雄大な舟形光背に二臂の青面金剛立像を浮き彫り。全体に動きは少なく素朴な印象を受ける。二臂の青面金剛というのはかなり珍しい。


上部に日月雲は無く、頭の上に「諸願成就」と刻まれていた。髪の中のぐるぐるは蛇だろうか?光背右脇に武州足立郡井沼方村。左脇に造立年月日。


光背右下に導師□□法印□僧□。左下に施主名。右手に羂索を持ち、左手にはショケラを吊るす。さらに虎の頭の前垂れをしていて、このあたりも相当にユニーク。足元に邪鬼と二鶏の姿は無く、最下部に正面向きの三猿だけが彫られていた。江戸時代初期ならではの個性的な庚申塔と言っていいだろう。


墓地は南側にも広がっている。入口近くの大きな個人の墓所の中にとりわけ個性的な石塔が立っていた。


三界万霊塔 寛政5(1793)四角い台に敷茄子・蓮台付きの角柱型の石塔を乗せ、さらにその上の敷茄子・蓮台付きの舟形光背に三体の仏像を浮き彫り。凝った構成になっている。角柱型の石塔の正面に「三界萬霊」その右下に施主名が刻まれていた。


舟形光背に浮き彫りされた三尊像。瑞雲に包まれた蓮台の上に智拳印を結んだ金剛界大日如来坐像、その左下に右手与願印、左手に蓮華を持った聖観音菩薩坐像、右下に三鈷杵を手にした弘法大師坐像。それぞれに気品があり美しい。


塔の右側面に二つの戒名と命日。左側面には施主の俗名と造立年月日。さらに童子戒名が刻まれていた。


裏面に「奉納 秩父 坂東 西國 四國 百八十八ヶ所為二世安樂」両脇に天下泰平・日月清明。順礼供養塔も兼ねている





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Last updated  2024.06.15 19:49:18
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