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2009.11.01
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カテゴリ:昔話・物語
マは漫画のマ 第39回 改訂版「吸血遊戯」 JUDAL

 漫画家さんは、一つの話を延々と長く描く大河小説タイプと、中編や短編を次々と世に出すタイプに分かれていく事が多く、寡作な作家とまではいわないものの、冊数は出ていてもタイトル数が少ない先生が実在します。

 今回とりあげているJUDALも世に出しているタイトル数は少ないものの、その多くが巻を重ねているタイプの漫画家さんですが、ま、長い物語を厭きさせずに上手に読ませるタイプという事ができるのかもしれません。

 ただ、いささかマイナーな親書館から出ていたこともあって「吸血遊戯」そのものの知名度は一般にはさして高くないのですが、内容としては、”かつて聖王フェリオスと相討ちになった吸血王デューゼルが転生することで復活し、自分と同じように復活しているであろう聖王フェリスの転生体に復讐しようとするファンタジー”とでもいったことになります。

 長編の上手な人に共通しているのが、従来の定番を踏襲しながらも、誰もが思いつきそうで思いつかないアレンジを少し加える事で話をこじらせていくのが上手いことで、吸血遊戯の場合も、転生した先が(吸血遊戯の世界では珍しくもなんともない)野生の猫の一種だったという始まりと、猫に転生した後に、こともあろうに聖王の曾孫で、(一部で)やんちゃなことで名の知れている王女イシュターに拾われてペットにされてしまったあたりが秀逸ではないかと。

 いかんせん、かっての大魔王も転生した先が猫では、転生したとはいっても子猫では、体も弱ければ魔力もほとんど復活していかないという、ある意味で、その辺の猫と大差の無い存在に過ぎず、イシュータ姫のおもちゃとして生きていかざるおえない立場に追い込まれてしまいます。

 逆に言えば、物語が進むに連れて猫は成長し、猫の成長に比例して本来の吸血王としての力を取り戻していくことになっていくのですが、力を取り戻していってもイシュータとの上下関係は潜在意識のレベルまで擦り込まれたのか最後まで続くことになり、それがエンディングを大きく左右することにもなっていきますから、そのあたりでも伏線の張り方というか基本設定とストーリー構成が上手いなあと思うわけです。

 ちなみに、イシュータのペットということは、その人生というか猫生の大半を王宮で過ごしていくことになるわけですが、その正体が伝説の吸血鬼の王なわけですから、正体がばれればその場で子猫だろうかなんだろうか殺害されるといういささかスリリングな設定でもあるわけです ・・・ が、イシュータ姫は堂々と、”ヂューちゃん(正式名:デューゼル)と名付け、正体不明の最初から正体が判明した後まで持ち歩いています。

 数奇な運命で宿命のライバルの子孫に拾われ、奇妙な成り行きで、聖王が誰に転生しているのかをイシュータと協力しながら探すことにもなっていくのですが、これが王家の内乱やら外国からの干渉やらと絡んで波瀾万丈の物語にもなっていき、そのドロドロした人間模様に接しながら、我等がヂューちゃんは、支配者とは、国とは、といった事をイシュータともども彼らなりに考えていくことにもなります。

 また、魔王デューゼルが封じられた後、勢力を衰退させていた妖魔たちも、失地回復ということで再び人間達と事を構えようと暗躍し、実際、国を一つ手に入れかけるのですが、そこで目障りになったのが、我らがデューちゃんであり、イシュータ姫ということになり、デューちゃんは、かっての仲間というか自分の過去と対峙する事にもなっていきます。

 この手の物語では定番のキャラクターで、”君が光なら、僕は君の影だ”という、姫の子守役というか護衛役というか、恋人にして生きているおもちゃという立ち位置のダレス君は、文字通りなんどか死にかけながら姫を守り通すことになります ・・・

・・・ 下手にがんばってしまったが故に、姫の残りの人生も生きている限りガードする羽目になったわけで、まじめな人というのは自縄自縛になりやすいという定石も踏襲しています。

 もっとも、イシュータ姫の近くにいていらぬ苦労を背負い込むのはダレス君だけではなく、最終的に、デューゼルは、転生する前の吸血魔王としてのデューゼル、転生した後のデューゼル、姫のペットとしてのデューゼルという3つのキャラクターを持つことになり、その立ち位置の多様さからか、人間のような感情も持つに至り、それは彼の本質を変化させ物語の方向性にも影響を与えることになります。

 なお、イシュータ姫とデューゼルの間に最後に交わされたというか確認された契約の内容というのは、”う~ん、こういうオチは本邦初ではなかろうか?”というものですが、それ故に、おそらく真似する作品が今後幾つか出てくるだろうなと思われます。

 ある意味で、不死の象徴でもあるバンパイア(吸血鬼)にとって、その永遠に続くであろう人生(?)に意味があるかどうかは微妙で、転生してきたデューゼルが感じる違和感のようなものには、限りある命への憧れのようなものが含まれているのかもしれません。

 もっとも、デューゼルは吸血鬼ではあっても不死身かどうかは微妙な設定ですし、このあたりは詳しく書くとネタばれになりますので、このくらいで、内容に関しては略としておきます。

 ところで、人も何度となく転生しているという説があり、印度を中心に輪廻転生の思想が世界中に広まっているわけですが、もちろん、そうした現象を否定する人達も珍しくなく、賛否両論がある状況が長く続いています。

 転生否定派の方は、”魂なんてものはなくて、人は死んだらモノになり、そこでお仕舞い。”ということに要約できるようです ・・・ そうした立ち位置を科学的とするか、殺伐としているとするかは微妙ですが。

 肯定派の方は、これまた幾つかに分派しているのですが、印度系では定番のカルマの法則に従って転生が起こるという考え方をする人が多いようです。

 では、観念論ではなく、具体的に前世の記憶を持って生まれ変わった人はいるのか?ということになると、世界的な傾向として、前世の記憶を口にしていた子供も、4~7歳くらいの間に急速に前世の記憶を消失してしまうようで、これは今生での自我が確立していくにつれて前世の記憶が上書きされて消えていくということかなと。

 考え方によっては、多重人格の弱い方のキャラクターが強くなってきたキャラクターに吸収されたり統合されていく過程と類似しているのかもしれませんが、前世の記憶があることが必ずしも今生を生きていく上でプラスになるとは限らないということは言えると思います。

 実際、前世を織り込んだ漫画の最高峰でもある”ぼくの地球を守って(日渡早紀)”連載時に一部の読者に見られ、ちょっとした社会現象にまでなったように、”現在の惨めな私は本当の私ではない、生まれ変わる前の私はもっとすばらしかったはずだ”という思いこみは、大なり小なり人間の意識のどこかにはあるものではないかと私には思われます。

 ちなみに、転生したデューゼルの場合は、イシュータ達のために何かしてやりたいと思う優しさを自分の中に感じたときに、”でも俺の前世って魔王じゃん?こんなことやってていいのかオイ?”とでもいった、逆の前世症候群がそこには散見されるわけで、そのあたりの不統合にデューちゃん自身も何度となく悩むことになります。

 前述したデューゼルとイシュータの最後の選択というか契約にしたところで、彼らがそうしたかったからそうなったという話であり、今生で幾つかの経験を経た彼らにとって、転生前に彼らがなんだったのかということはさほど意味を持たなくなっていきます。

 あれこれ考えていると、吸血遊戯というのはデューゼルの魂が救済されていく物語でもあったんだなと思うわけです ・・・ イシュータ姫の冒険活劇としての印象が強い事も確かな作品ですが、例によって、読んで損のない作品だと私は思います(笑)。

(2009/11/01):マは漫画のマ 第39回 改訂版「吸血遊戯」:初出:フルーツ
ブログ「一夢庵の漫画な日々」





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Last updated  2009.11.01 03:02:52
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