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2011.07.11
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カテゴリ:歴史
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第154話 「稲本位制」

 江戸時代を調べていて良く分からなくなるのは、主食である”米”に関して”田(=土地)”の大半を専有し、国内唯一の武装階級であった武士が困窮していくことだったりします。

 一応、戦乱が終結したことで社会が安定し、貨幣経済が進展したことで経済活動が活発になり、生活が豪奢になっていったことで(収入が増えない)武士階級が困窮していったとでもいった程度の解説は学校の歴史の授業で行われているようです ・・・ 未だに(笑)。

 ただ、ここでハタと疑問が生じるのは、国民の胃袋を掌握し、生きていく上で不可欠な稲を(ほぼ)独占栽培し、何か文句が有れば武力で捻り潰すことができる ・・・ ある意味で、武力闘争で勝ち残った最強集団が江戸時代の幕藩体制を支えた武士達だっただけに、”なんで貧乏しなければならないのか?”が謎になるわけです。

 つまり、生活に困ったのなら、”なんか貧乏になっちゃったから、5キロを1000円で売っていた米を、5キロ3000円でなければ売らない!”とすれば、基本的に武家は米本位制の給与体系(何十俵なんとか人扶持とか、○万石とか)だけに、所得が一気に跳ね上がるのではなかろうか?

 そして、”そんな米の値段にされたら、おらたち食っていけねえだ!米代だけで干上がるだ!”と町人が騒げば、”ならこれを食らえ!”と鉄砲玉でも撃ち込めば話が済むだけに、”なんでそうせずに、”武士は食わねど高楊枝”と揶揄されて数百年が経過したのか?が理解できないわけです。

 これまでにも怪しい話では、日本の通貨に関して何度か考察してきたのですが、試作品である富本銭あたりから歴史が始まり、和同開珎の登場と普及で”銭(=銅貨)”がそれまでの物々交換や強奪が主流だった経済活動を大きく変えていくことになります。

 これまた学校の歴史の授業で習ったこととして、その”銭”を日本が中国からしばしば輸入していることがありますが、これは資源として鉱物の銅は国内で産出していても、それを精錬し加工する技術が未発達だったことが主因になるようです。

 例えば、日本固有といってもいい製鉄の技法に”タタラ”があるのですが、タタラで使われる鉄の原料は基本的に砂鉄で、鉄鉱石を掘り出して砕いて精錬していくわけではなく、それこそ砂金を川の砂の中から集めるように、砂鉄を山や川の土から採取するあたりから話が始まっています。

 川から砂鉄がそんなに採れるものなのか?と言われれば、例えば備前刀で知られる岡山の場合、原料である砂鉄が川から大量に採れるというか、川の水を汲んで瓶の中に寝かせて置くと底に砂鉄が沈殿していくくらいの濃度で砂鉄が存在する河川が複数流れ、それだけの砂鉄が流れ出す山があるわけです。

 また、それを精錬するために必要な燃料としての松の木(これは備前焼の燃料としても使われる)が大量に利用できたことも、岡山の備前界隈が刀の産地として知られるようになっていった大きな理由でもあり、後は、交通の要衝であり、製鉄技術の伝播が早かったことなどもあるようです。

 その砂鉄の部分が砂金に置き換えれば、海外だとゴールドラッシュがしばしば起きていますが、砂金が採れる川があれば、その砂金をそのまま流通させてもいいですし、砂金を溶かして金塊の形にして一定の重さ(両)で流通させることもできたわけで、地面を掘って金脈を発見して、掘り出した金鉱石を精錬しなくても、砂金が利用できればとりあえず金の調達は可能だったと言えます。

 また、火山国である日本の場合、火山活動の恩恵とでもいいましょうか?金鉱床が全国的に存在し、確かに世界でも屈指の金の埋蔵量を誇っていた(誇っている)のですが、金鉱石を彫りだして精錬するのが本格化するのは戦国時代くらいからの話になったようで、武田信玄の隠し金山とかいった伝説として語られることがあるのは御存知の通り。

 そして、隠し金山の伝説がある武将には、隠し湯(温泉)の伝説がつきまとうのも御存知の通りですが、江戸時代に入って貨幣経済が発達してくると、金の採掘が増えればその分ストレートに使える金が増えるだけに、とても熱心に金山開発が行われ、佐渡金山などのように地形が大きく変わるほど掘って掘って堀まくられたこともまた御存知の通り(笑)。

 そう考えると、”米(稲)”、”金銀”という財の基本を押さえていながら、なんで武士が(その頂点に立った徳川家までも)貧乏に悩むことになったのか?そして、基本的に身一つと算盤で世を渡っていた商人は、紀伊国屋の豪遊に象徴されるような荒稼ぎが可能になっていったのか?

 そこでハタと思い当たるのは、実際の海外のゴールドラッシュにおいて、実際に富豪になった人は金を掘り当てた人ではなく、金を掘りに来た連中を相手に商売をした人に多いという現実があることで、金を掘り当てた人も、掘り当てた金を使った人は使い終われば姿を消し、掘り当てた金を元手に事業や運用に成功した人が富豪として残っていったと言えます。

 それは、日本においても、実際に金を掘っていた人足で富豪になった人よりも、その金を前提に上手に金を運用した人が富豪になる確率の方が高いのと基本的に同じといえば同じで、大本の権利を有していることで生じる利益より、それを運用することで生じる利益の方が大きくなる ・・・ 大きくする仕掛けを作る事ができたということになります。

 日本で通貨制度が(複雑怪奇ながらも)成立し、金銀稲銭の持つ価値を前提に経済活動が行われるようになっていくと、次第に”借金”に悩む人が増加することになっていき、プラスの方向にもマイナスの方向にも”利が利を産む”ことを理解できているかいないかで明暗が分かれていくことになります。

 それこそ、江戸時代初期くらいまでの、武家が後の屯田兵のような生活を前提としていた頃ならば、別に金銀銭は不要で、主食やオカズは自給自足していたわけですし、生活物資も米と交換できたわけですから、後は布(や被服)も自給してしまえば貨幣経済とは無縁でいられたわけですし、実際、現在でもその傾向があり、農家が自給自足して自家消費している食料を税務署が所得として課税対象にしていないのは御存知の通り(笑)。

 物々交換で一番大量に用いられていたということでは、日本は金本位制ならぬ稲本位制の時代が長かったわけですが、武士が農地から離れて町暮らしをするようになってくると、いささか話が違い始め、それでもまだ知行地を与えられて農地を自分(ないし代官)で経営しているのならともかく、給料として年に○俵の支給という形になると、自給自足のメリットが皆無になっていったわけです。

 つまり、農地とは無縁の都会暮らしをするとなれば、支給された米を”銭”に変えて、銭で生活必需品を購入するしかなくなるわけで、ちょっと蚕を飼って絹を生産して被服を自給しようとか、1年食べられるだけのタクワンを漬けるための大根を自給しようとかいったことができなくなり、それこそ大根一本、鰯一匹から”購入”する必要が出てきたわけで、貨幣経済に組み込まれていくことになります。

 しかしそれでも、”なんで米価を値上げすることで所得を増加させなかったのか?”という謎は残るのですが、これは調べていくと、米の価格決定権が幕府から商人に移ったことが最大の理由で、幕府が”○石の米は○両でないと売らない!”としたくても、実際に売買している商人が売買価格を決定し利益を(談合などの手段を含めて)コントロールしているとできなかったということです。

 江戸時代以降、為政者が自分の売りたい価格で米を売れるようになるのは、大東亜戦争が勃発し、主要物資を政府の完全コントロール下に置き、米の先物市場を強制的に閉鎖させて以降の話となり、実際、米の先物市場が閉鎖され、闇米の存在はつきまとったモノの、政府が米の大半を管理し価格を決定していた時代に米価の急騰に庶民が悩まされる光景というのは激減しています。

 この政府が(ほぼ)全量管理して販売価格を決定できるかどうか?は。米価の決定に関してはかなり重要なポイントで、戦後の闇米のように、政府に売るより利益が見込めることから生産者段階から横流しをして裏ルートの別枠で価格を決定する行為が横行すると、実売価格が高騰しましたし、戦時中でさえ出なかった餓死者が経済的な下層ほど珍しくなくなっていったのは御存知の通り。

 そう考えると、なぜ江戸時代の米価の決定は、戦中戦後の政府米と闇米のような二重構造にならなかったのか?という謎も、そもそも、商人が決定していた米価が闇米の価格決定と同じ理屈だったからということに行き着きます。

 つまり、買い占めや売り惜しみなどで意図的に不足を演出することで価格を釣り上げるような分かりやすい話だけではなく、先物取引で本来は生産者が手に出来る販売利益を先物取引に従事している連中が横から抜ける仕組みを考案したということで、少なくとも、稲作栽培に従事している百姓が飢饉で餓死することはあっても、米問屋などの商人は飢饉で肥え太ることはあっても餓死することが無かったことは確かな話になります。

 徳川幕府最大の財政上の失政は、米の売買を民間の商人に委託し、商人が編み出した先物取引制度を止めさせることが出来なかったことで、米の不作などで市場の米価が高騰してもその差益を武家が手にできなかったことからも、米価の決定権とそれによって生じる利益の恩恵から武士が切り離され、経済運営の主導権を他の同様の分野でも失っていたことを明示していると言えます。

 ならば、現在で言えば”所得税”に相当する税金を商人に課税すればいいのではないか?というのは正論で、田沼意次などはそういった商人を幕府財政の財源に組み込む方向で制度改変を試みているのですが、そういった改革を妨害したのが”儒教”で、武家の自業自得の部分が少なからずありますし、商人が新たな課税を不要な支出と同義語として捉えるのは本能レベルの反応だったりしますから、その場しのぎの一時金で誤魔化しているようです。

 長くなって参りましたので、その辺りの話はまた別の機会に。

初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第154話:(2011/07/05)





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Last updated  2011.07.11 00:20:15
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困ったものです。   はうリング さん
はじめまして。
いつも、興味深く拝見させていただいてます。
今日の内容は過去の記事と合わせて考えると昔の話ではなく、これからの話になると思うのですが、買いだめくらいしか、自衛策が思いつきません。
お米って、どのくらい保存がきくのでしょうか。
元手が乏しい身分としては、※取引で勝ち組になるのは厳しいし、困っております。 (2011.07.11 20:43:00)


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