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2010.12.26
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カテゴリ:昔話・物語
マは漫画のマ 第99回 「星の夜月の朝」 本田恵子(ほんだけいこ)

 典型的な少女漫画といわれて頭に浮かぶ作品の一つが”星の夜月の朝”で、ナイーブな男の子と無神経な女の子の物語ということになるのかもなあ(大笑)。

 ある意味で、”少年は荒野をめざす(吉野朔実)”のネガポジ的な作品で、結局、ヒロインの”梁川りお(やながわ)”は運命の恋人”坂本 遼太郎(さかもと りょうたろう)”の心の飢えを理解することはできておらず、知ってはいても意識してその心の傷というか欠落を包み込むこともしなかったんじゃないかと。

 そう考えると、運命の恋人と結婚することで完結した”星の夜月の朝”は先の崩壊因子を内臓している童話であり、童話は童話のままで、それこそ”シンデレラや白雪姫は運命の王子様と出会って結婚して幸せに暮らしましたメデタシメデタシ”で終わって箱に入れておいた方が無難な話ということかもなあと。

 十代だと、”結婚すること”が一つのゴールと感じられ、”その後”を想像することは意外と難しいが故に、10代で結婚して20代前半で離婚するという実例は珍しく無い御時世になっているのかもしれませんが、結婚する前も後も”現実”が押し寄せてくるというのは御存知の方が多いかなと。

 戦前は十代で結婚する人が多く離婚なんて珍しかったんじゃないの?となんとなく思っている人が多いようなのですが、戦前の日本の結婚や離婚の実態は、昭和15(1940)年の資料だと、(ほとんどが見合い結婚だったものの)初婚の平均年齢が男28歳、女24歳という意外な数値になっています。

 ちなみに、明治31年に施行された旧・民法で”25歳未満の者が離婚するときは、”結婚を承認した者”の許可が必要”という改訂が行われた結果、明治30年に2.87だった離婚率が昭和10年頃には0.70へ劇的に低下しているのですが、その裏では法的な婚姻届を提出しない事例も増加していました。

* 離婚率:人口1千人あたりの離婚件数のこと。

 早い話、法的に離婚が難しくなったら、結婚式と婚姻届を出すまでに時間差を設けて短期間で離婚するカップルは入籍前に”何も無かったこと”として庶民は対応したということで、それを戦前は、”足入れ婚”とか”試し婚”と呼んでいたのですが、1920年頃の調査資料だと全体の17%の夫婦が”足入れ婚”状態だったりします。

 離婚が急増して話題になった2002年の離婚率が2.30ですから、法律で縛らない限り、日本の離婚率というのは2.5~3.0くらいが時代を超えて普遍的な数値なのではないかと思われますし、その理由として経済的な問題というのはこれまた意外と少数派で、相手が甲斐性無しなのは結婚する前からわかっている人が多いということかもしれません(笑)。

 もちろん、”金の切れ目が縁の切れ目”というのは今も昔も変わらない、特に金銭的な理由で結婚した人には普遍的な原則ではあるのですが、”結婚できない(彼女が出来ない)のは金が無いから”というのは一つの虚構で、旦那だけ働いて稼いで女房は専業主婦というサラリーマンの典型とされた結婚生活が破綻しただけのことなのですが、まあ、そのあたりはおいおい”怪しい話”の方で解説することもあるでしょうから以下略としておきます(笑)。

 これまたちなみに、日本の女性が結婚することに疑惑を感じ始めたのはいつ頃か?というと、その決定的な分水嶺が1995~1996年頃になっている資料が多く、その辺りで意識調査のデータが逆転し、一生独身を選択する女性の比率が結婚を望む女性の比率を逆転していて、それ以降、”お一人様”を選択する女性が実際に増加しているのは御存知の通り。

 ある意味で、”家”という血族や地域社会に支えられた制度が崩壊し、甲斐性無しな上に一緒にいても面白みのない男性は見限られ、(極めて一握りの)稼ぎの良い男性と結婚できないのなら、あえて結婚するより自分で働いて自分で老後に備えた方が人生がエンジョイできると女性が結論を出したのがその頃なのかなと。

 ということは、それ以前から事態の変化は進んでいたということで、バブルの崩壊で離婚率が上昇し結婚が困難になっていったというよりも、大正時代頃から増加していた男性並に働いて稼ぐ女性が、1980年代の”翔んでる女性”に象徴される、社会的に個人として生きていける存在として認知され、その後も金銭的な理由で結婚する必要性を著しく低下させていった変化が先行していたと言えます。

 ”家”制度の維持を前提に男性だからというだけで優遇されていた日本の社会構造が、敗戦で”家”制度の崩壊が始まり、バブルの崩壊と同時にかっての”家”制度どころか、核家族と呼ばれた親子という家庭の単位が崩壊を始めてしまうと、金銭的に稼げない男性に金銭面以外の魅力が無ければ、未婚や離婚を選択する女性が増加するのは不思議でもなんでもないと言えます。

 或いは、経済的な理由や先の読めない社会の不安定さが離婚率や未婚率の上昇原因となりうるのか?というと、日清、日露、大東亜戦争と推移していった明治から昭和にかけての日本を考えるとき、あるいは、江戸時代にまで遡ってもいいですが、”経済的な貧乏は覚悟し一緒に努力すればいいだけのこと”のようで、結局は、”結婚することが不利益になる”ことが未婚率や離婚率上昇の主因になるようで、その辺りの機微は”恋愛と結婚は違う”という名言に集約されるのかもしれません。

 不利益ってのは経済的に貧乏ってことじゃないの?と言われそうですが、確かに生活を維持するだけ稼いで倹約しながら過程を維持していく才覚は必要ですが、その一方で”人はパンのみにて生きるにあらず”というのも真理で、人は意外と精神的な孤立から全面崩壊していく事が多く、精神的な崩壊(ストレス過多と言い換えてもいいですが)から肉体が自壊していくことさえ珍しくありません ・・・ そうなるまで実感できない人の方が多いとは思いますが。

 といったことを枕にした上で話を進めると、作品として対極の展開になったのが”ぼくの地球を守って(1987~1994:日渡早紀)”と、続編で16年後の世界を次世代の小林 蓮 を(たぶん)主役として描いている(であろう)”ボクを包む月の光(2003~)”かなと。

 基本的に”ぼく球”ファンな私としては、”星月”の続編”「月の夜 星の朝35ans(トランサンカン)(2009~)」”の35歳で離婚するあたりから始まる唐突な再開と、良く分からない離婚理由とその後の展開にはかなりがっかりしたというか、そもそもハッピーエンドで終わった童話をあえてああいった形で箱から取り出して、あの後はバットエンドになりましたというあたりから再開する必要があったのか?

 もちろん、世の中には、シャーリー・テンプルのように、最初の旦那とDVが主因で離婚し、たまたま訪れたハワイで互いに一目惚れをした相手(ちなみに彼の方は初婚)と再婚しその死を看取った、”御伽噺のような幸せな結婚生活”を手にした実話もありますから、離婚が悪いとは言いませんが、”星の夜月の朝”に関しては、最初が御伽噺のような結婚だっただけにねえ?

 1980~1990年代くらいに完結して人気があった作品の続編を、実際の時間の流れと同じくらい経過させた後から描いている事例は珍しく無くなっているのですが、その多くが、かっての主人公達の子供である”次世代”へのメッセージを兼ねている事が多く、それは沈黙していた期間の作者たちの成長が反映されているとも言えるのではないかと。

 従って、”星の夜月の朝”の続編のように、次の代に何を伝え、何を残し、何を期待するのか?とか、なにはともあれ大きくなれ!幸せになれ!といった次世代へのメッセージを盛り込んだ作品ならともかく、40近くになってまだ自分探しの旅というか(それぞれに)自分しかいない世界の作品を同世代の人が読んだ時、”はあ?”という気がするのではなかろうか?

 ちなみに、”星月”と同時代に”りぼん”で連載されていた(いろいろな意味で)モンスター漫画”ときめきトゥナイト(1982~1994)”が”「ときめきミッドナイト」(2002~2009)”をリメイクに留めたのは賢明な判断だったと思いますし、そもそもが、次世代にバトンを渡して主人公から数えて三世代に渡る話を延々と描いた元祖が”ときめきトゥナイト”でもあるわけです。

 ”星の夜月の朝”が連載されたのは、1983~1985年の3年間(全8巻)で、1984年には映画化もされたことからおわかりのように、かなり人気が出た漫画でしたし、そこで止めておけば良かった漫画だとも思います。

 4歳の時に、鏡子(りおの叔母)と夏目虎彦(遼太郎の叔父)の結婚式で出会った“りおと遼太郎"が結婚の意味もよくわかっていない年齢なのに将来の結婚を約束(?)するキスを親戚一同の前でするのですが、まあ、そのあたりは”運命の恋人”の伏線と考えておけばよろしいのではないかと思われますし、中学対抗バスケットボール大会の決勝戦で偶然再会するまでは再度の接触が無かったりもします。

 が、女の子は意外と(少なくとも男性が思っているよりも)幼少期のことを根に持つ事が多く(笑)、”りお”の方はキスを含めて忘れずにいて、いわゆる運命の恋人に遼太郎を想定したりもしていたのですが、思春期とも呼ばれる発情期に突入する時期だけに、周囲も本人も次第に色気づいていくことになり、バスケ部の先輩(森村君だ)から告白されたことで、嫌でも現実に直面することになります。

 5歳の時に名古屋に引っ越していた遼太郎も中学2年の頃に近くの楠中に転校してきていますから、それだけの話の展開だと、バスケットボールの部活を舞台にした青春漫画になりそうなところですが、”りお”が叔母の鏡子の紹介でTVドラマ「北風のうしろの国へ」という、”北の国から”のパ・・・じゃないオマージュのような気がしないでもないタイトルの作品にエキストラ役で出演する展開が波乱を呼ぶことになります。

 エキストラのつもりでいた”りお”ですが、主人公の”幸美”役の(杉田かおる+松田聖子のような名前の)杉田聖子が足をケガしたことで、鏡子が怒濤の推薦し虎彦が鏡子の押しに弱いこともあり、急遽その代役を”りお”が務めることになるのですが、「北風のうしろの国へ」が白血病で亡くなった龍川 幸美(たつかわ ゆきみ)という中学生の日記がベースの作品というあたりが波乱要因なわけです。

 日記を書いた幸美は、名古屋北山中の女子バスケットボール部に所属していて、同じ学校の男子バスケ部の男の子に恋心を抱いていたのですが、病に倒れるまでの思いを綴った日記だけが残り、後にその日記が本になったところ話題になり、TVドラマ化されたという流れがあるわけで、虎彦に頼み込まれたこともあって、幸美が恋した男の子役を遼太郎が演じることになっていたりもするわけです。

 まあ、幸美が実際に恋した相手である男の子(遼太郎)を、本人がドラマの役として演じるというのはかなり本人にはストレスが生じたと思いますが、虎彦にその気はなくても、虎彦の頼み事をむげに断れないだけの理由が遼太郎には既に生じていて、その理由が”月の夜星の朝”に象徴されることにもなっているのですが、あまり書くと面白くなくなるので詳細は以下略としておきます。

 紆余曲折の末、”梁川 りお”と坂本遼太郎の結婚で御伽噺の幕は下りるのですが、本人達はあまり自覚していませんが、幸せな家庭生活しか経験していない”りお”が複数のトラウマを抱えまくっている”遼太郎”を理解できるかどうか?理解できないとしても包容し続けることできるかどうか?が作者にとって長年の気がかりになっていたとしても、それはそれで不思議ではない完結だとも思います。

 ちなみに、”運命の恋人”とか”御伽噺のような結婚生活”というのはあるんですか?と問われれば、幾つかの実例を知るだけに”(少数ながら)ある”というのが結論ですが、適当に”忘れっぽくなる”事ができない人が幸せでいることは難しいんじゃないかとも思います。

(2010/12/26):マは漫画のマ 第99回 「星の夜月の朝」:書き下ろし。





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Last updated  2010.12.26 09:12:46
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