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2021.09.11
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カテゴリ:民俗学
帰ってきた怪しい話 第0013話 「こーこーはくしだん」

 幼少の頃、実母が育児放棄気味だったこともあってか、随分と明治生まれの(特に日露戦争世代の)人たちにかわいがって貰ていたのですが、明治、大正、戦前・戦中の昭和生まれの世代というのは昭和も50年代以降に生まれた人達にとっては別星の人のように感じるかもしれませんな。

 もっとも、戦後の昭和生まれ世代に関しても、明らかに昭和45年(1970年)を境に大きな生活と言うか文化的な断層があり、ある意味で1970年あたりを境に”それ以前の日本人とそれ以降の日本人は別の民族”になっていると、私は、思います ・・・ 平成以降に生まれた世代も十分かわいいと思ってますけどね(笑)。

 ちなみに、1970年以前と以降で生じた大きな違いの中には、”あの頃から都市と田舎の情報伝達の時差が急速に縮まった”こともあり、それは各家庭にTVが普及していった光景と比例していると考えているのですが、同時に”方言が衰退していった歴史”と言えなくも無いかなと。

 生まれ年でその辺りを区分けすると昭和39~昭和41年辺りで生まれた人たちが直撃世代で、しばしばネタにしている”オタク第一世代”の中核を形成していると書いていいと思われます。

*それ以前の戦後の昭和生まれ世代は”マニア世代”とざっくりと区分していることが多いですな、私は、ですが(笑)。

 具体的な昭和45年頃に生じた文化の断層といえば、明治生まれの世代にまだまだ御存命だった方が珍しく無かったこともあって、尺貫法、旧暦(太陰暦)、数え年、男尊女卑(文化)、戦前・戦中の身分制度などなどがある意味で現役でした。

 昭和のTVドラマに”池中玄太80キロ(1980:主演:西田敏行)”という作品があるのですが、この作品にしても1970年代以前だと”池中玄100貫デブ”というタイトルになっていたかもしれません。

*重量としての”百貫”は375キロ(皆殺しの百貫デブ、が覚えやすい ・・・ 今となってはほぼ使い道がありませんし、今更、”デブ、デブ、百貫デブ~”と揶揄されてもどのくらいの人がピンとくるのかが謎ですな。

 といっても、それほど大昔の話なのか?と振り返ってみるとハードボイルド小説の雄として知られた大藪春彦の初期の作品中に主人公など登場人物の体重などが尺貫法で表記されていることがあり、昭和も中頃あたりからキログラム単位の表記が普通になったのかなあと ・・・ そういった日常的な生活単位の切り替わりの境目もまた1970年前後だったなあと(遠い目)。

 大藪作品中の単位ということでは、主人公が操るオートバイや自動車などの時速も、作品が世に出た当時だと”最高速度が時速80キロを越えて云々”とか”スピードメーターの表示が時速100キロを越えているものの実際は云々”とかいった話になっていると、”なんで主人公のバイクや車がそんなに遅いんだ?”と昭和の終盤以降でファンになったような比較的若い世代には今一つピンとこなかったかもしれません。


 その当時は日本の常識とされていて1970年頃から急速に廃れていった印象がある日常の習慣や風習としては、旧暦(太陰暦)もありますが旧暦の場合は”旧正月”や”数え年”といった季節的な風習や社会習慣などとセットになっていることが多かったこともあってか、衰退するときに加速度的に衰退していきましたし、都市部と田舎で文化が切り替わっていく際の時差が大きかった最後の頃の話になるかもしれません。

 もっとも、今となっては”都市と田舎の時差”よりも”富裕層と貧困層の間の時差”の方がふたた美広がって大きくなってきているような気はしますが。

 逆に都市も田舎も大きく崩壊した文化や風習には”男尊女卑”に基ずく文化や風習があり、それがどのようなものだったのかを若い子達に解説する際には”イスラム原理主義を主張している人達や、そういった人たちが主導している国や地域で見られる光景が比較的近い”というと分かりやすいかもなあ?と思います。

 ある意味で、”家長主義”にも類似しているというか包含されている風習というか習慣の類で、分かりやすいところでは、家族で同時に食事をする際には父親(などの家長)から食べ始める(=集団や群れの中の序列が確定する)ことが家族の中で暗黙の了解事項になっている家庭はまだ残っているかもしれません。

 ま、そこまで深刻に考えなくても、”御飯をおごってもらう場合は、原則としておごってくれる人が食事に口を付けてから食べ始めるベシ”といった一種のマナーのようなものと割り切った方が社会に出てからのトラブルも少ないとは思いますが・・・。

 そういえば、”へ~、そんな子が増えているんだ”と思った話の一つに、”非行少年たちはなぜホールケーキを3等分できないのか?”といったあたりの話を主軸にした「ケーキの切れない非行少年たち(新潮新書:宮口幸治:2020)”を読んだときに、ある種のアルファ症候群の行き着く先の現象のように思ったのですが、そもそも論で言えば”昭和の頃のように、兄弟姉妹の間で小さい頃から真剣にお八や好きなオカズのちょろまかし競争を潜り抜けてこないままで大きくなればそんなもんじゃね?”とも思ったのでした。

 それこそ、昭和の頃の複数人の兄弟姉妹がいる家庭が当たり前というか一人っ子の方が少数派という社会で、経験や知恵、体力的にも弱者である弟や妹、あるいは、兄や弟に対して腕力面で弱い姉や妹といった人間模様の中で地味に根深い日々のお八つ闘争を潜り抜けた経験がある人達にとって「お八つのケーキや好きなオカズは兄弟姉妹の間で均等に切り分けて配分されないのが当たり前(の光景)」と書いてもさほど違和感がないか、兄弟姉妹の食べ物アルアル話として納得できるのではなかろうか?

 逆に言えば、なぜホールケーキが3等分できないのかと不思議に思う人達の発想の方が、お上品というか育ちのいい(特に一人っ子)人だと、私は、思ったのですが、子供時代に兄弟姉妹でお八つのケーキを取り合った結果として、学生時代にアルバイトをしたり社会人になって給料を手にするようになって”誰にも邪魔されずに腹いっぱいになるまで心置きなく好きなケーキをホール食いする”ことができるようになった時に”大人になった~”と思った人はさほど珍しくなかったのではなかろうか?

 もっとも、戦後の昭和生まれも給食の牛乳が脱脂粉乳だった世代だと、なにかと質より量だったり、そもそもケーキを食べる習慣が無かったか年に一度のクリスマスケーキの類でさえ貴重品だったとかいった、涙なしでは聞けない語れない幼少期のケーキの話に繋がることが珍しくなかったりしますが  ・・・ もちろん、こういった場合のクリスマスケーキのクリームが生クリームではなくバタークリームだったというのは常識の部類である。

 ちなみに、「ケーキの切れない非行少年」たちの表紙絵などに、具体的に彼らはどのようにホールケーキを三等分したのか?という具体例が表示されていて、これって下っ端の弟分が切り分けても配分を差配する兄貴分や姉貴分がいる場合だと、弟分の配分が群れの中で一番小さくなるだけじゃね?その辺りの現実を小さい頃から何度となく身につまされるからこそ、群れの中の弱者ポジションにいると生活の知恵として”みんなで均等に分けようよ”とか言い出したりするようになっていったのではなかろうか?

 なお、霞ヶ関時代にすぐ下の係員だったことのあるT君が唱えた「ショートケーキイチゴの理論」という小話がありまして、彼曰く”自分たちの仕事と言うのはイチゴの乗ったホールケーキを序列に従って切り分けて皿にのせて配膳していくようなもの”で”ケーキの配膳が終った後になってから、序列に従って席に着いた上の方の席次の人ほど大きなイチゴが乗っている大きなケーキを食べることができて、食べ終わった後の片づけなどを気にするこもなく姿を消す”

で”ああ、席次の順に上の人たちが食べ終わったら自分たちも食べていいのか?と思っていたら、自分たちの分は途中で誰かに分配されてしまう”ので”かくして、皿の上のショートケーキは下っ端が口にできるまでの間に姿を消してしまう”のだけれど、”ああ、それでもせめて皿の上に残っているケーキの欠片や屑、クリームの残骸などはなんとか口にできるかも~”と思って辛抱して待っていたら”おい、皿を洗って綺麗にしておけと舐め終わって匂いだけ残った皿が渡されて泣きながら皿を洗うこといなる ・・・ それが下っ端の現実”と、しみじみと語っていたことがありましたなあ(遠い目)。

 序列といえば、戦前・戦中に生まれ育った世代の人たちに、華族などの身分制度の話を何度かしてもらったことがあったのですが”こ~、こ~、はく、し、だん”という判事文というか念仏のような話になり、基本的にイギリスの貴族制度などに類似していたそうです。

 ただ、欧羅巴の貴族制度だとある意味で最末端の階級になる”騎士(ナイト)”の階層がある国が大半で、平民と貴族の境目が”騎士”となり国と言うか貴族社会のおいて所属や由来などが管理されている点などで貴族の最下層と書いていいかもねと。

 明治以降の日本だと騎士に相当する階級が士族と呼ばれる時期を経て実質的に平民階層に飲み込まれていく(=士農工商の法的な権利が同等となった四民平等)のですが、公的な金の支給や各種の権利が国によって制度的に保障されたのが華族(制度)ということでいいようです。

 日本の家族制度の場合、下っ端から、男爵→子爵→伯爵→侯爵→公爵 と考えておけばよかったそうですが、欧羅巴の貴族制度のような準男爵とか辺境伯とかいった爵位の細分化は考えなくてよかったそうです ・・・ まあ、日本の貴族社会だと従何位の上とか下とかで序列が分かれていたり守や大臣、大納言、中納言、少納言などなど役職絡みでも話がややこしくなっていましたが(笑)。

 ちなみに、平民が華族の序列区分を覚える場合は”公に候。伯爵の子(爵)は男の子”くらいで十分じゃね?とのことでしたが、そもそも華族の選定基準がお手盛りというか腹芸というか、わかったようなわからんような話の末に明治の初めの頃に固定されると、途中でいくつか爵位の格上げは生じたものの逆の爵位格下げ事例は無いまま戦後の1947年に華族制度そのものが廃止されています。

 ただし、金銭面で行き詰った複数の華族から爵位の返上が行われて華族から平民になった事例は珍しくありませんし、一代限りの華族と継承が男子に限られるものの永代の華族に制度的に分かれて居たり、皇族が臣籍降下する場合に自動的に華族に組み込まれる制度になっていたりと、特権を手にした上級国民の大半もまた昔から現状維持が好きで自浄能力は低いな~と。

・・・ というか、現在進行形で旧華族家の親睦団体の類は、社団法人の霞会館などのように現存してます。

まあ、あれこれろくでもないことまで調べていると、某・お姫様たちが”日本国憲法で婚姻の自由が認められているのだから云々”といった主張をしていても、明治憲法下の旧・皇室典範だと”皇族の婚姻は相手が皇族か華族であることが婚姻の条件”とされていた歴史もあれば、戦後の憲法下の皇室典範の規定などでも、皇族の婚姻は男子の場合は皇室会議の承認が必要ですから、なぜ皇族男子だけ皇室会議の承認が必要なんだ!男子皇族だけが憲法の婚姻関連の規定に反してるのは違憲だ!とかなんとか、無理筋の話は珍しくないんじゃないかと。

というか、住民基本台帳に例外的に登録されておらずマイナンバーカードの登録所持もしていなくても、これを書いている時点では例外規定などを駆使しでも合法とされているのが天皇と皇族(皇室=天皇と皇族)なわけですから、やはり戦後の日本に法令で明確に残されている身分制度が皇室関連の制度であり、法の下の平等は皇室関係者こそが戦後半世紀以上経過してもなお受け入れてないということ。

憲法九条の改正をあれこれ画策するのならば、敗戦直後の憲法改正でも積み残しとなった”天皇を含む皇室関係者の身分制度の廃止”をセットで実施して法の下の平等を完全に実現すべきだと、ここの所の某・A宮家関係者の言動などを見聞きしていると思うようになりました。

まあ、日本の交戦権などを憲法を改正して明確に規定していくと、”あの”が付く三流以下の日本の国政政治家たちに核兵器のボタンを握らせる事態もありうるという ・・・ いっそ、アメリアの大統領に完全に委託したほうがマシな結果になるような気がしないでもないですな~。

 それはそれとして、ふと気になったのですが、事前情報をまったく与えない素の状態だと、某・お姫様を筆頭に某・A宮家の人たちは、それぞれホールケーキをどのように三分するのでしょうか?

 前述したケーキを三等分しようと試みた不良少年たちのケーキの分割の中にどのような仕上がりになったものがあったのかとか、彼らの分割の仕方がおかしいと思う人の方が次第に少数派になっている可能性はどのくらいなのかとか、某・お姫様たちの言動を見聞きしていると自分が常識だと思っていたことのほうが次第に怪しい非主流派の考えになっているのかもな~と。


 もっとも、今も昔も単なる怪しい話の集積地であれこれ考えるだけ無駄っちゃあ無駄ではありますが ・・・。

では、また~。





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Last updated  2021.09.11 22:19:08
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