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2021.10.14
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カテゴリ:昔話・物語
帰ってきた怪しい話 第0021話 「社会を変えたTVアニメ その5」

 春画というのは、所謂、公衆トイレの落書きのような稚拙なものから美術品として高値で取引されるものまで幅広い作品群といった見方もできるのですが、時代を遡るほど”紙が高価な貴重品”という現実にも直面することになります。

 千年を越える寿命があると実証されている”和紙”が製造されるようになるのは(諸説ありますが)7世紀ごろからのようで、国産化に成功したというか大和朝廷の行政機関としての機能が増強するほど木簡や竹簡などに記録を残すことに物理的な限界が生じるようになり、”紙”の発祥地である中国から紙を高値で輸入するより国家プロジェクトとしての国産化が試みられるようになったようです。

 その辺りで興味深い事として、現在にまで続く和紙製造段階の”紙を漉く(紙漉き)”という表現が散見されるようになるのが平安時代に入ってからという技術的な面での国産化というか製紙技術の変化が生じていることで、素直に考えると秦氏などの帰化人のもたらした製紙技術から国内産の原材料を使って行政記録にも耐える品質の和紙の製造に成功したのが古墳時代から奈良時代初期のことで、そこから遣隋使や遣唐使などを経由して伝来した大陸の製紙技術の改良というか魔改造が進んで現在の和紙の直系が登場したのが奈良時代の末の頃だったのかなと。

 ちなみに、日本への紙の伝来は3世紀頃になるようで”論語”や仏教の経典の伝来が記録に残っていて、行政関連の記録や経典などの筆写(写経ですな)が奈良時代頃から紙が安価になればなるほど盛んになっていくのですが、和紙のもう一つの特徴として、障子(しょうじ)や襖(ふすま)、屏風(びょうぶ)などが分かりやすいと思いますが、建具や家具などの素材に使われたり、油を塗布して撥水性を高めた油紙は雨具の素材として使われていくようにもなります。

*雨傘が普及するのは江戸時代に入ってから。

 紙が貴重品だった頃だと絵巻物が分かりやすいですが巻物に製本されることが多く、個人の手紙などは一枚ものの紙にちまちまと隙間を詰めて書かれることが室町時代の末頃まで続いていて、私たちの知っている本の形の製本が主流になるというか大衆にまで普及するのは戦国時代が終わって世情が安定し産業が振興し教育も普及していく江戸時代に入ってからの話になります。

 当然のように、戦国時代の頃までは一枚ものが主流だった春画も江戸時代に入ると量産化が進んだこともあって複数枚を綴って一種の写真集のような体裁のものが登場し、販売方法によっては風紀取り締まりの対象になって裏ルートで流通している時期もありますから、エロ漫画の起源をその辺りに感じないでもありません ・・・ 嫌なら嫌な人だけが見なければいいことで、政治や宗教がらみの内容でもないのに、なんでエロものまで赤の他人の見るものを規制したがるのかは謎というか一種の嫌がらせですな(笑)。

 ちなみに、春画のユーザーは男性だったのか?と聞かれれば、良家の子女の嫁入り道具の定番教材だったというのは比較的知られた話で、枕絵といった若干ソフトな呼称で呼ばれていることもありますが、女性もある程度の知識があった方が優位に立てると、”婿入り婚”の頃から実体験込みで考えた諸先輩が後輩たちに残した一種の知恵なんでしょうな ・・・ ま、それもまた”嫌で不要”だと思う人だけが利用しなければいいだけのことだとは思います。

 とは言うものの、女性の方が恋愛も絡むドロドロものを(男性よりも)好む傾向があるのは一種の常識の類で、少女漫画に一種の革命を持ち込んだ”ベルサイユのばら(1972~1973:池田利代子:1947~)”のように、社会現象になり、仏蘭西政府からレジオン・ドヌール受勲シュバリエ章を叙勲(2009)されるところまで突き抜けてしまった事例もありますな。

 池田利代子の代表作である”ベルサイユのばら”の面白いところは、人気漫画がTVアニメ化されて認知度が上がって社会現象になったのではなく、宝塚歌劇団の演目になった(1974)後、宝塚歌劇団の空前絶後の大ヒット演目となっていったことで社会現象になり、その余波で当時としては珍しい女性漫画家の作品がTVアニメ化(1979)され、実写化(1979)もされたことかなと。

 空前のヒットとなったにも関わらず宝塚歌劇団が現金書留で池田利代子に送り付けた”大入り袋”の中身が100円玉一つだったことなどで知られる、池田利代子と宝塚歌劇団の”ベルサイユのばら”をめぐるギャラ闘争も、池田利代子と原作漫画ファンに対して宝塚ファンが仕掛けた”ベルばらの所有権抗争”などなど
、自分の作品の権利を保持確保するために当時の池田利代子が獅子奮迅の活動の末に権利を守り切ったことは特筆に値すると、私は、思います。

 まあ、その後も女性漫画家の多くは女工哀史のような労働環境でピンハネや中抜きされることが珍しくなく、ある程度のヒット作に恵まれないと日常生活の維持さえ難しく、体を壊して実質的に引退する人や寿引退が珍しくない現実が知られれば知られるほど新規参入者は減少し、結果的に新規参入者の減少は少女漫画市場そのものの衰退に直結していったと、私は、思うのですが、花の24年組として括られることもある萩尾望都(1949-)、竹宮恵子(1950-)や、一条ゆかり(1949-)、池田利代子といった漫画作品がTVアニメ化、劇場アニメ化、実写ドラマ化されたり、演劇の演目になったりしたことでも金銭的な収入を得た大御所級の女性漫画家達と、ほぼ漫画本の売り上げだけに終わった同世代の女性漫画家達との経済格差には酷いものがあるなあと。

 意外かもしれませんが、初期の魔女っ子ものとして知られる”魔法使いサリー”は(鉄人28号の)横山光輝、”ひみつのアッコちゃん”は(元祖・天才バカボンの)赤塚不二夫といった具合に、男性漫画家が原作の少女向け(?)TVアニメされた作品は珍しくないにもかかわらず、女性漫画家の作品がTVアニメ化されることが珍しくなくなっていくのは”ベルサイユのばら”が社会を変えて以降の話と書いてもいいのかもしれません。

 その”ベルサイユのばら”でさえ、TVアニメ化されたのは宝塚歌劇団の成功後のことですし、一種のタイアップというか番宣として、当時人気が高かった”ルパン3世の第2期”で「101話(1979/9/17):ベルサイユは愛に燃えた」オスカル(声優は二木てるみ)が、TVアニメ”ベルサイユのばら”の放送直前に放送されるという、当時としては異例のプロモーションが行われています。

 かくしてTVアニメ”ベルサイユのばら(1979/10/10~1980/9/3)”が放送されたのですが、こちらのオスカルの声優は幼少期:鈴木れいこ、成長後:田島令子、相方のアンドレの声優は幼少期:野崎貴美子、成長後:志垣太郎となっていて、ルパン3世版とは別の声優さんになっているあたりがなんとも。

 もっとも、TVアニメの関係者の危惧が杞憂だったのかと言えば、TVアニメ版は宇宙戦艦ヤマトがTVシリーズを編集再編した劇場版で社会現象になったことにも影響されたのか、TVシリーズを編集再編した劇場版(1987)が上映されていて、その後もDVDやブルーレイでボックス版が出たりオンデマンドの時代にも生き残っているくらい長寿の定番作品になっています ・・・ 薔薇はいつの時代も美しいのかもしれません。

 が、”ベルサイユのばら”の黒歴史として知られているのが実写劇場版の”ベルサイユのばら(1979)”で、特別に許可されてベルサイユ宮殿などでも撮影されたとか、俳優に無理に日本人をねじ込んでいないとか、前評判はよく、資生堂と口紅のタイアップ(劇的な、劇的な、春です。レッド)したこともあってTVの(口紅の)CMもバンバン流れて煽りまくったのですが、内容的にも興行(製作費の10億円に興行収入が届かなかった)的にも惨敗しています。

 ちなみに同時期のカネボウ化粧品の口紅(スーパーローズ)のキャッチコピーは”きみは薔薇より美しい(歌”君は薔薇より美しい”は布施明だ)”で、起用されたオリビア・ハッセーは1980年に布施明と結婚(1989に離婚)したり、角川映画で実写化された小松左京の”復活の日(1980)”のヒロイン役になるなど、日本でも一時代を築くことになります。

 実写版の”ベルサイユのばら”のプロモーション自体は資生堂が絡んでいたこともあって、赤塚不二夫の弟子筋にして女性ギャグ漫画家の開祖というか草分け的な存在として知られる、土田よし子(1948~)”
が盛り上がって吉祥寺戦争と書いたりしていましたが、当時の土田よし子は”つる姫じゃ~(1973-1979)”を連載していた時期でしたが、”つる姫じゃ~”のTVアニメ化は随分と毒気が抜かれてマイルドな演出になった上で1990年に放送されることになりますから、その辺りでも純粋に作品として人気が出ているからTVアニメ化されるということが、少なくとも女性漫画家の作品に関しては珍しいというか稀有な時代だったのではないかと。

 元祖・猫耳少女漫画として知られる大島弓子(1947-)の”綿の国星(1978-1987)”にしても劇場版アニメ(1984)にはなってもTVアニメ化されることは無く、実写映画や実写TVドラマ化された作品の方が多いというのは微妙な気がしないでもない(笑)、かえって女性漫画家作品のドラマ化やアニメ化に関しては、元祖・アホ毛の女子高校生(チッチ)の”小さな恋のものがたり(1959ー、これを書いている時点では45巻:実写ドラマ1974、TVアニメ1982)”などで知られる”みつはしちかこ(1941-:ちなみに現役)世代の方が恵まれているのかもなあ?という気がしないでもない。

 24年組といえば、池田利代子が因縁をつけたことで処天(ところてん)戦争が勃発した”日出流国の天子(1980-1984)の山岸涼子(1947-)も映像化された作品は”妖精王(1977-1978)”くらいで、その妖精王にしても元はOVAの60分単発(1988)作品だったものが劇場公開もされたくらいですから歯痒いというか ・・・ 手描きセルフィルムの時代だと無理でも、CGが発達した今の技術なら原作のイイメージを壊さずに日出る処の天子などのTVアニメ化が可能になっているような気がしますな~。

 ちなみに、処天戦争というのは、池田利代子が”四天王寺に依頼されて”史実に忠実な「聖徳太子:1991-1994」を正史に沿うように努めて描いた”と豪語した(2007)ことで処天ファンが激怒した騒動のことで、連載当時に(内容が内容だけに)山岸涼子が法隆寺の関係者に恐る恐るお伺いを立てたときに法隆寺側が”(内容はともかく)そこから興味を持ってもらえたら・・・”という大人の対応をしていたこともあり、処天ファンが池田利代子の発言を露骨な挑発と捉えて激怒したわけですな。

 そもそも論で言えば、聖徳太子は実在しなかったという説や歴史の授業で教わる(教わっていた)伝承の大半は後世に盛られたという説もあるくらい、聖徳太子に関する資料(とされるもの)には曖昧なものが多いというか、飛鳥時代の服装や食べ物といった基本的な事柄さえもほとんどわかっていないことからも、それを絵で表現すること自体が本来無謀だと、私は、思いますし、山岸涼子も連載当時から想像で埋めていることが多いことは何度となく告白しています。

 一万円札に聖徳太子の肖像として採用された画の元の絵(唐本御影)にしても、少なくとも聖徳太子をモデルにした絵ではないことは学会の主流の見解になっていますし、衣類や装飾品、髪型などなどにしても8世紀頃のものと考えられるだけに、流石に飛鳥時代の上級貴族や皇族の御影とするには無理があるようです ・・・ 私は、絵にして雰囲気がそれらしければいいんじゃね?と思ってますから山岸涼子派です(笑)。

 描いた時期に10年以上の時差があることを考えれば、その間にも歴史研究は少なからず進んでいるわけですから、後出しジャンケンをしている上に、処天を読んで(本当のところはどんなんだったのか?と)興味を持った人が少なからず増え、そんな聖徳太子の人気に乗っかっただけじゃね?と言われてもしかたないんじゃないかと。

 というか、7世紀頃が舞台の処天に比べて、圧倒的に資料が豊富な18世紀末の仏蘭西革命の前夜を舞台にしている”ベルサイユのばら”の時代考証の酷さを考えれば、他の漫画家さんの歴史漫画にあれこれ正確性で難癖を付けるのは明らかに悪手ですし、当時の仏蘭西の貴族制度や兵制などに詳しい人からすれば
笑うしかない設定や描写が多い”ベルばら”が出世作になった人に”時代考証の正確性”と言われてもねえ?

 なお、ベルサイユのばらの連載が一段落したことで、”これでしばらく週刊マーガレットを買わなくて済む!”と思っていた当時の女の子たちを直撃し、ベルサイユのばらを一気に過去の作品にしてしまったのが”エースをねらえ!(1973-1975、1978-1980)”で、後に新興宗教”神山会”の巫女を経て教祖になってしまう山本鈴美香(すみか:1949-)の出世作として知られています。


 デビュー2年目で初の長編漫画になったのがエースをねらえ!だったのですが、画力も内容も20代前半の女性が描いたと言われても信じがたいクオリティだと、私は、思いますが、TVアニメは第一期(1973-1974)、続編ではなく新・がついてリメーク版となった第二期(1978-1979)になります。

 第一期の第一話が劇場版として1973年に上映され、新・エースをねらえ!が好調だったことで劇場用として新作が1979年に作られて上映されていますが、その後、OVAでシリーズ化(1988-1989)されたり、2004に実写ドラマ化されたりと息の長い作品になっていますし、その間、確実に日本のテニスプレーヤーを学校の部活動からプロまで増加させることに貢献して社会を少なからず変えてしまったなあと、私は、思います ・・・ 宙ぶらりんの”七つの黄金郷”に関しては思うところが(かなり)ありますが。

 一種のパロディとして”トップをねらえ!(1988-1989)”が、映画”王立宇宙軍オネアミスの翼(1987)”がこけて借金を抱えたガイナックスから、借金返済目的で庵野秀明の初監督作品として世に出たのですが、思わぬヒットとなり、1980年代OVAの金字塔といった評価で知られている一方で、本格的な”乳揺れアニメ”の元祖という説もあります。

 なお、トップをねらえ!はエースをねらえ!を知っているとクスっとあちこちで笑えますが、テニスとは無関係のSFロボットアニメに分類されることが多いので、未見の方は多くを期待しない方が、コアなエースをねらえファンはいっそのこと未見のままでいる方が良い作品かもな~と、私は、思います。

 思ったよりも長くなってしまいましたので、宇宙戦艦ヤマト以降の松本零士を軸にした話は、次回の講釈ということで ・・・ たぶん、きっと。





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Last updated  2021.10.14 23:53:15
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