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もうずいぶん前になるが、
岩沢学院を卒業していった生徒の話をします。 Mさんは中学になってから入塾した女子生徒。 最初の頃は「明日中間テストなので家で勉強するので休みます。」 というように、塾をやっている方なら分かると思うんですが、 特にやる気があるわけでもなく、成績も思わしくない状態でした。 途中、中学で人間関係のもつれもあり、不登校になったり 勉強にも全然気持ちが入らなくなりました。 塾には来ているんですが、このままだとズルズルといってしまい 決して良い結果にはならないでしょう。 中2の終わり頃、私も意を決して話をしました。 「今の人間関係がどうあれ、今後どうするかはMさん次第。 このままでは普段の生活も勉強面も良くはならない。 せっかく塾に来ていても良い結果は出ないよ。 本当に変わりたいならいくらでも付き合う。 でも、そうじゃないならズルズルとこのままの状態は時間の無駄。 そんな状態なら塾を辞めた方が良い。 ここで本気で一度自分のことを考えて!」 2年生の終わりのそのときのMさんの成績は オール3よりちょっと上の9教科合計29でした。 その後3年生になったMさん、学校には行けない日があっても 塾には毎日来るようになりました。 塾が開く時間には一番に来て、 塾が閉まる最後まで一人で残って勉強する。 本当に人が変わったように勉強し始めました。 毎日毎日 どんな雨の日も風の日も 一番長く塾で勉強しています。 分からないところだらけだった教科も 出来ないところからコツコツと勉強をし続け とうとう追いついてきました。 3年1学期の成績が出ました。 Mさん、Mさんのお母さんと一緒に面談です。 そのとき見せてもらった成績は9教科合計39。 なんと、一気に10も伸ばしてきたんです。 そこで「ここまで伸びてきたら今までと違う高校選びができます。 公立上位校も良いですが、3年生の成績だけでいける私立高校はどうでしょう? もう少し伸びればここも行けるようになりますよ。」 と、ある有名大学付属高校のパンフレットを渡しました。 Mさんのお母さんは言います。 「先生、Mはここまで本当によく頑張ってきました。 毎日ず~っと塾に来て、長時間勉強して、親としてこれ以上やったらこの子、身体を壊してしまうんじゃないかって心配なんです。 もうこれ以上は無理だと思います。」 実際、本当にがんばっていたのでお母さんの心配はよく分かります。 確かに、これ以上は厳しいかな、、、 そう思っていました。 ところが、 Mさん 翌日から今までのように塾にずっといるのはもちろん、 帰ってから家でも勉強するようになりました。 毎日だぼっとしたジャージ姿で それこそ一日中寝間着のようにそれを着ているんでしょう、 着替える間も惜しんでという感じで その姿でずっと勉強しています。 そして、ついに、 成績に関係がある最後のテストである 2学期の期末テストで 5教科合計450点を超えます。 「先生、学年で一位だった!」 はにかんだ笑顔でMさんが報告してくれました(^^) 内申点を決定する成績がでました。 9教科合計 43。 2年の3学期の29から、 14アップの43。 Mさん、その私立付属高校に進学することに決めました。 高校1年生の夏、オーストラリアに短期留学に行って来たそうです。 本当に向こうでの生活は楽しかった、また行ってみたい。 笑顔で報告してくれました。 そして 高校1年生が終わる頃、Mさんとお母さんが塾にみえました。 「実は、今の高校をやめてオーストラリアで学びたいんです。」 えっ!? せっかくあれだけ勉強してやっとの思いで入った高校なのに? 大学付属なのに? ビックリです! 「どうせやめるなら、その決断を後であの時の決断は正しかったと言えるようにこれから行動しなさい。」 私が言えることはこれくらいです。 Mさん、すぐに高校をやめオーストラリアに向かいました。 向こうの高校に通い、仲の良い友達も出来、大変ながらも楽しく過ごしていたそうです。 帰国後、やはり日本の大学に通いたいと高卒認定試験を受け、希望の大学に合格。 たまにオーストラリアの友達が日本に来たりして楽しそうな大学生活を過ごしていました。 その大学生の時には、岩沢学院に講師としても働いてもらっていたんです。 Mさん自身が出来ないところから出来るようになった子なんで、 どんなに出来ない子にも丁寧に指導してくれていました。 大学4年生になり、この先どうするのかな?と思っていると また報告がありました。 「夢だったキャビンアテンダントとして採用されることに決まりました! 大学の卒業を待たずにドバイに行きます。」 アラブ首長国連邦の航空会社エミレーツ空港のCAとして働くことになりました。 アラブ首長国連邦といったら、世界でもものすごく豊かな国として有名です。 時々更新されるMさんのFaceBookには、忙しいながらも向こうで充実した日常を送っている姿が映っていました。 自分で努力して 自分で夢をつかんだMさん。 そんなMさんは私の誇りです。 目の前で本当に努力していた姿を見ていたんですから。 今日、 Mさんのお母さんがみえて 「Mは、エミレーツを退社後、昨年9月に日本で結婚したんです。 横須賀に旦那さんと住んで、これから子供も欲しいな~って話していたんです。 『私、これまでの、全然悔いの無い人生を送ってきたよ。』そんな風にあの子は言っていました。」 と、 、 、 、 、 、 、 そうして、 実は、 Mは 今年の5月に 心臓発作で 突然亡くなったんです 、 、 、 、 言葉が出ませんでした、、 何て悲しい、、 こんなに悲しいことが、、 、 、 最後にお母さんが 「Mは、岩沢学院に通うことが出来て、本当に変わりました。 あの子がこうやって悔いの無い生活を送れたのも先生に出会えていたからです。 今までありがとうございました。」 Mさん 、 、 まだ29歳なのに 涙 涙 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年11月13日 17時00分56秒
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