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風狂夜話2

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2007年12月12日
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人はどこから来てどこへ行くのか。

明日は明日の風が吹く とはいうものの西も東も

わからない。神のみぞ知る厳かなデザイン。

かつて甘粕正彦という人物がいた。

昭和の戦争という闇を剛毅にかけぬけて最後は青酸カリで自殺した。

軍人である、憲兵であり、大杉栄の事件では3年余の刑に服し、のち

満州の特務機関をつくり、陰謀、工作を策定し、その一代は満州の陰の

支配者といわれた。

1945年8月20日自ら経営する満州映画の一室で服毒自殺する。

享年54歳。

彼の辞世は

「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」である。

やや戯れ歌めいているがまさにその通りの生涯だった。

しかし彼の機略、冒険、そして諧謔は多くの人を魅了した。

たとえば森繁久弥は

「満州という新しい国に、我々若い者と一緒に情熱を傾け、一緒に

夢を見てくれた。ビルを建てようの、金を儲けようのというケチな

夢じゃない。一つの国を立派に育て上げようという、大きな夢に

酔った人だった。」と証言している。

当時の満州国総務庁の次長岸信介は満州映画協会の理事長に甘粕を

推した。その満映の資金で特務機関をコントロールしながら、溥儀の

政権を陰で支えた。

甘粕の葬儀は新京で行われたが日満の参列者は3000人を超えたという。

日本の敗戦直後でありにわかに信じがたいが、奇特なエピソードであろう。

彼は山形県(米沢藩)の出身。軍歴は1918年から1923年まで5年間。

32歳のときである。1923年9月1日関東大震災が起きた。

当時彼は麹町の憲兵分隊長であった。

震災のドサクサに大杉栄虐殺事件が起きた。甘粕事件ともいう。

震災の数日後、アナーキストの大立者大杉栄を逮捕、その愛人伊藤野枝とその甥

橘宗一(7歳)を憲兵隊本部に連行し、取調べ、虐殺し、本部裏の井戸へ投げ込む

という事件を起こしたとされる。

事件は甘粕の単独犯(共謀1名)とされ憲兵や陸軍はその責任を問われなかった。

一部に高貴な方(皇族が連隊長をつとめた連隊)が関係するの、甘粕が責任を

とらされたという説もある。

甘粕はのちに「あの事件はおれがやったという事になっている」と言い、笑った

ともいう。但し真相は不明である。

いずれにしても32歳の青年が負う責任としては重いといわざるを得ない。

世論の沸騰もあり、12月8日禁錮10年の判決を受ける。

彼はそれを甘んじて受け、辞世のごとく深い闇に沈潜し、生きてそして剛毅に

死を選ぶ。

彼の満映時代のエピソードは彼が単なる特務機関のボスではなく、文化的教養の

深い持ち主であったことを裏付ける。

まことに気宇壮大の人物であったというべきだ。

さて拙句ひとつ

 満州の 闇つらぬきぬ 冬帽子






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最終更新日  2007年12月12日 21時15分47秒
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