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風狂夜話2

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2007年12月20日
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本日は友人の身内の通夜に参列した。

83歳という高齢であった。

友人は学生時代のクラスメートである。

両親とも亡くなっている。私もそうであるが。

先々月は現役の課長だったので通夜客も多かったが、

本日はやはり少ない。その分故人をしのぶことができたと思う。

友人も長らく同居していた身内の人なので心中哀しいものが

あったに違いない。

さて葬儀というものが段々威厳を失い、業者の運営に任されるのは

「死」が病院と警察によって定義されるのと同じく、現状やや複雑

な気持ちになるのを禁じえない。

昔はもっとながい期間「喪」に服していたように思う。

感情も激し、深い哀しみにひしがれていたように思う。

しかし今は病院で隔離され医者が危篤を宣告し、「死」を告知。

のち葬儀社が「葬儀」を運営する。

遺族はあまり関与できない。友人・知人も深くは入り込めない。

「喪中」も昔に比べると深甚というわけではない。

これでいいのだろうか。

私の「死」の時も同じような進行なのだろうか。

戦後という時代は豊かさと引き換えに威厳というか、個人の人生

が浅く簡単に整理され、貧しい弔いになってはいないだろうか。

あまりえらそうな事はいえないが、察するに

これも相変わらず核家族による共同体の無化、家制度の崩壊といわれるのだろうか。

戦後豊かさは人を優雅にすると思われたが何故いま日本は精神的貧しさに

日々追い詰められているのだろうか。

貧富の格差が原因なのか。

いやそうとは思わない。貧しくとも高貴な生き方はありえる。

豊かな家でも破廉恥は少なくない。

何が原因か。

みんな考えてはいるのだが、私は「心の満足」が感じられず、「あせり」

いろいろ手を出すが結局うまくいかず、破滅するか、あらぬ夢想にふけるか

いずれかではあるまいかと思う。

自分のありのままに満足する。過不足を感じない。人と比較しない。

いつも静かに笑っている。そういう人に私はなりたい。以上。

なにか。






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最終更新日  2007年12月20日 21時41分32秒
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