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山田洋次監督の時代劇。藤沢周平の原作。主演は木村拓也。 いかにも当選確実の作品なり。 私はいつもの通り経済的にブームを過ぎてから観るタイプである。 脇役にも緒方拳をはじめなかなか強力な布陣である。 さて物語であるが一言でいえば下級武士の夫婦愛という藤沢作品 らしいテーマである。 山形のさる藩の下級武士が毒見役で生計(30石)を立てている。 木村拓也がその武士を演ずる。若き侍である。 山形弁の「そうでがんす」が雰囲気を和らげ、また引き締める。 毒見役とは「お上」(殿様)の食事の前に調理された料理を食べ 毒が混入されていないか、また食材が傷んでいないか検査する役で ある。下手をすると毒にあたり命を落とす。 あにはからんや木村の三村某は赤粒貝の毒見で倒れる。 毒にあたり、一命はとりとめるが失明する。 藩は誰が毒を盛ったか、調理人や関係武士、謀反人などを徹底調査した。 その結果赤粒貝そのものの毒に原因があったとして、毒見役の監督者が 責任をとらされ切腹を余儀なくされた。(小林稔持) この混乱のいわば詰め腹を切らされたのである。 一命を取り留めたとはいえ、三村は失明し、妻や中間の徳兵衛に支えられ 生きることとなる。30石の禄高も危うい。 三村は日々荒んでゆく。人に支えられて盲人として生きることの絶望と 同輩に軽んぜられる不遇を耐えねばならぬ。 「ほいとみたいに惨めな暮らしになる」と妻にあたる。藩の少年を集め 剣術を教えようという夢は水泡に帰した。 妻の加代は実家に呼ばれ、今後の算段を問われる。どうすればいいのか。 30石の禄の維持はむずかしい。藩の財政からいって盲人の武士を養うことは できない。よほどの後見がなければつぶされてしまう。 加代は番頭の島田某とのいきさつを話し、取り次いでみると答えた。 実家の人々は胸をなでおろし、自己の負担のないことを陰で喜ぶ。 妻の加代は外出して島田に会い相談をもちかける。しかしかねてから美しい 加代に懸想していた島田は甘言を弄して女を犯す。 島田の「禄高を存続して生計がなるよう家老に進言しよう」という約束は 嘘であり、加代を誘惑する策であった。自分の役職を利用した篭絡であった。 これを知った三村は妻を離縁する。たとえ自分を守る為とはいえ「武士の一分」 が妻の不貞を許さない。(妻は非を認め家を出る) 中間の徳兵衛は島田を訪ね、旦那の三村が馬場跡の河原で決闘を申し込む旨 を伝える。「盲人といってあなどり召さるな」という伝言をそえて。 島田は三村とは格(家柄や役職)が違うといって本気ではなかったが、あまりの 気迫におされ果し合いを承諾する。 三村は緒方拳の演ずる剣道場主のアドバイスを退け「武士の一分」の為決闘する 旨伝え、稽古を申し込む。 「私を捨て、死を望んでいる時、また相手が生きようと執着をしている時に、 お前に勝機がある」と道場主は諭す。 三村の仲間はある有力な筋の話として、今回の沙汰(30石の維持)は島田の進言 ではなく、お上の意思であったと伝える。 家老の合議では失職と禄高の没収は致し方ないとお上に奏上したがお上は、なんと 覆し、三村のおかげで生きていられる。恩人だとして現状維持におさまったという。 三村はこれで果し合いの道理が通るとして決然稽古に励む。 当日の河原は秋の暮れまことにわびしい場所である。 盲人の下級武士の剣裁きに油断して島田は卑怯な戦法に出る。 しかし三村は盲人の鋭い感覚で見破り、島田の片腕を斬りおとす太刀を浴びせる。 ついに三村は宿願を果たした。「武士の一分」を貫いた。 翌日片腕をなくした島田は切腹自害した。これも「武士の一分」であろうが。 最後は元妻加代の手になる膳を口にして三村は加代を呼び出し、「そばにいてくれ」 と懇願する。加代とて是非もない。ふたりは再び夫婦となる。 「私の食事だとわかってがんすか」という妻の科白に、三村は「あたりまえだ。 徳兵衛のまずい飯に比べると段違いだ。またお前のご飯がたべれるのは嬉しい」 と再生の言葉を返す。 拙句ふたつ 生きるため 苦きもの噛む 冬の暮れ 冬寂びや 武士の一分 貫きぬ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年12月31日 08時30分04秒
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