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![]() 「週間新潮」を買っていたことがある。 特にその「田中角栄論」や「向田邦子追悼」の文章は何度も読み返す ほど親しんだ。 言うまでもなくデビュー作「江分利満氏の優雅な生活」もそのいかにも な雰囲気が絶妙に描かれていた。 もう亡くなって12年余。だが相変わらずあの独特な文体(エッセイ)を 自分の文章の模範としているのである。 その域はなを遠いのであるが。 嵐山光三郎氏は「山口瞳のエッセイはディテールがめちゃくちゃにうまい」 と絶賛するが同感である。 普通の下町風の家庭やサラリーマン生活の微妙なニュアンスに通じていて、 それはかゆいところを能うかぎりかき回してくれる。 なかでも戦時新兵のころのエピソードは微苦笑を禁じえない。 「やまぐちひとみ只今厠へまいります」の一席は軍隊のおぞましさを突いて あまりある。毎日がそういう繰り返しだったのであろう。 戦争にいかなかった人、もしくは銀髪の煽動者を決して許さなかった。 彼は軍隊では「無能のひと」であった。ゲートルや捧げ銃が普通のひとのように できない情けない兵隊であった。 兵隊とは「員数あわせ」に極まる。くだらない備品管理であり、報告連絡の復唱 にほかならない。が、彼にはそれがうまくできなかった。 「自由」とは軍隊のマインドコントロールを解くことにほかならない。 戦後の彼はそのトラウマをいかに払拭し、自由をかちとるかに体を張った。 彼の愛好した野球、競馬、酒、将棋そして盆栽。これらは成金の父親にくらべると いかにも貧乏くさい趣味であろう。 そこがまた私たちの涙腺をくすぐる。私たちの仲間であるなと。 彼は68歳で肺ガンにて死去。 「男性自身」は連載1614回、31年と9か月、一度も休載しなかった。 何というか文藝編集者の習い性か、実に律儀、もしくは気を遣いすぎる。 しかし年金生活者としての晩年は、まあ満足すべき堅気な人生という安堵に みちていた事であろう。 彼の傑作コピー「諸君、人生たいへんなんだ」はなんともほろ苦い。 こういう作家はもうでないかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年12月30日 16時27分19秒
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