カテゴリ:思想
「やたらに人に弱みをさらけ出す人間のことを、私は躊躇なく『無礼者』と呼びます。 それは社会的無礼であって、われわれは自分の弱さをいやがる気持ちから人の長所を みとめるのに、人も同じように弱いということを証明してくれるのは、無礼千万なの であります。」 「どんなに醜悪であろうと、自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿をみ とめてもらい、あわよくば真実の姿で愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、 人生をなめてかかった考えです。」 「幸福でありすぎるか、不幸でありすぎるときに、ともすると告白病がわれわれをと らえます。そのときこそ辛抱が肝心です。身の上相談というやつは、誰しも笑って読 むものですから。」 三島は「無礼者」と斬って捨てる。もっとも忌み嫌う存在であるから。 なぜなら青年期の不安と自惚れのはざまであらゆる人が告白病に魅かれるからである。 そういうときこそ真の大人が適切なアドバイスを示すべきである。 「君の信じている不幸などは大したことないよ。友人の誰それもあれで私生活の波乱に あえいでいるがじっと我慢しているんだよ。いつ自殺してしまうかわかりゃしない」 かつて石原慎太郎氏が自民党を離党したときにものした表明文を卑怯な売文だと斬って 捨てたのも同じ自分をひけらかす告白病じみて見えたのであろう。 あたかも悲劇のヒーローを演じたがるバガボンドのごとく。 だが三島の自衛隊決起をうながした檄などはほとんど文人的舞文をほどこさなかったのも かれの武人的覚悟を披瀝したのであろう。 めそめそ泣き言は並べず、見事に腹を掻っ捌く、政治の左右のイデオロギーなど片腹痛いほ どの大愚の策であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年10月09日 18時49分47秒
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