カテゴリ:思想
司馬遼太郎の要約するところ江戸時代の人間にとって、かたときも忘れる ことのできない心得ごと、重くのしかかって逃れ得ぬ思考の軸心があった。 それは「世間」というものであり、それが何よりも「おそろしい」絶大な 力を持っていた。 ……「世間体、世間擦れ、世間雀、世間師、世間口、世間騒がせ、世間 知らず、といった意味での世間は、オランダ語にはその陰翳に符合した 言葉がなく、公共、社会、現世などとはちがっている」 ……「世間気という言葉もよくつかわれる。世間が自分や自分たち一家 のことをどう思うかということでしきりに世間体を繕う気遣いのことで ある。この不思議な精神は日本の水田耕作の農村という形態から出たも ので、中国にも同質のものはない。農民も武士も世間気をつかい、世間 口をおそれ、世間体をつくろって暮らしている。徳川幕府の警抜さは、 この伝統的な共同体の精神性をみごとに引き出し、拡大し、全面的に秩序 維持のために利用したことであろう。五人組制度や連座制などがその例 といっていい」 そして司馬遼太郎における凝視力の卓抜さは、このむごくて複雑な「世間」 の重圧のなかに、かつての日本人を根底から束縛していた力学を、その 核心を掴みだして示した破格の力技に見てとれる。すなわち「この時代の 人間が弱かったのではなく、自我が稀少だったわけでもなく、無知だった わけでもなく、勇気がなかったわけでもなく、さらには封建制の本質その ものがそうさせたわけでもなかった。上代からこの社会の真の……見えざ る……上部構造としてのしかかっている<世間>というものが、重すぎた。 封建制はそのばけものを利用して人々を支配し拘束し秩序づけているだけで 将軍や殿様や御家や上役衆が偉大なわけでもなかった。かれらは鉛のように 重い空気としてこの社会にのしかかっている<世間>というものの使いびと にすぎず、たれもが世間に屈従し、ときにたくみにそれを飼いならして操作 しているにすぎなかった」のだと、司馬遼太郎は切実の極をゆく分析力を もって、史上にもっとも卓抜な日本人論を記しとどめている。 (谷沢永一「司馬遼太郎エッセンス」) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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