カテゴリ:政治
ムラのすべては大長老を中心にして、長老たちがクルマ座をつくり、そこで 決められる。ムラの決まり、仕来たりに従い、守る者は身の安全を保証され、 相互扶助の恩恵にあずかる。 嫌われるのは異端、飛び上がり、決定にそむき、これを破るものです。 この人は集団の保護から取り除かれる。警戒されるのは未知の人、余所者で す。ムラの仲間に入れてもらえない。 やっと仲間に入れても外様扱いだ。身内にしてもらうにはよほどの時間と信用 を積まねばなりません。 ムラでは決まり、分担に沿って、田植え、田の草取り、刈り入れもムラじゅう 総動員で整然と一緒にやる。指揮系統が確立している。出来秋をねらって野伏、 乱波が来て、ムギを横取りしようとしていることを知れば、ハラの減った浪人 たちを集め、ハラ一杯メシを食わせることだけを条件に命を的にしてムラを守 らせる。自分たちも闘う。 代官の目をごまかして、隠し田で万一に備えて米もつくっている。 豆もつくっている。年貢の取り立てに代官が来れば、地べたに土下座して、額 を泥にこすりつけ、お土産をもたせ、上手に帰してしまう。 ひと筋縄でいかない、したたかな集団……これがムラです。 『七人の侍』で野伏が撃退され、侍は三人に減って、大将の志村喬が言う。 「こんども百姓が勝った」……風の鳴る丘に死んだ四人の侍の土まんじゅうが 作られ、それをよそに百姓たちは明るく刈り取り仕事に励んでいる。 早坂文雄の甘く、パセティックな主題メロディーが流れ、私は痛感しました。 「百姓=人民は大地である。政治家は風だ。風は役割を終えて吹きすぎる。そ して大地は残る」 わが国の社会はいまでも、どこでも、大なり小なり『七人の侍』の中にある。 ムラ社会です。自民党の派閥しかり、社会党、共産党、総評しかり、宗教の世界、 新聞社、大学の教授会、絵描きの集まり、大小の企業……みんなムラ社会です。 クルマ座になって、カリスマ、ボスの一言一句に耳を傾け、一挙手一投足に注目 する、尻を外に向けて、わが組織、集団の生き残りのために論議を尽くし、決定 すれば一丸となって方針を実践する。 異端はしりぞけられ、ラインからはずされる。大切なのは根回しです。 事前にボスの意向に沿って側近たちが青写真をつくる。主要メンバーの了解をと りつける。会議は事実上儀式です。知らないで演説するものはバカにされる。 主流になれません。 日本が戦後、一万ドルクラブに加盟できたのは、この集団主義の行動力、ダイナ ミズム、組織への忠誠を自己目的に化したエネルギーがあった……私はそう考え ています。 (早坂茂三「オヤジとわたし」田中角栄論) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年10月18日 19時01分11秒
コメント(0) | コメントを書く
[政治] カテゴリの最新記事
|
|