田中角栄の時代 2) 山口瞳
さて、田中角栄が好きかどうかという問題にもどることにする。三木武夫、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘の一人一人と比較してどうなるか。私個人としては、問題なく、田中角栄のほうをとる。すくなくとも、こっちのほうが、つきあいやすいじゃありませんか。すくなくとも、美濃部亮吉よりはいい。私は高度成長経済を評価する。これは、もう、まことに身勝手な話になるのであるが、私には有難かった。私の商売は繁盛した。大いに潤った。私のような者でも自分の家が建ったのである。さらに、親類や知人から借金を申し込まれる心配がなかったのがよかった。求人難というのもよかった。いまは少し怪しくなってきているが、私にとっては高度成長様々である。(中略)誰が何と言っても、これだけは許さない、と私は書いた。私は、ずっと昔から、背広でネクタイ、靴下をはいたままで庭下駄を突っかける奴は胡散臭い奴だと信じてきた。こういうことは、わかる人にはわかるし、わからない人にはいくら説明してもわからないと思う。いや、これは、感覚的なものであり、直観的なものであるのだから、自分でも、うまく説明することができない。ただし、一国の宰相がそれをやってはいけない。せいぜい、県会議員どまりであってもらいたい。つまり、田中角栄は首相になってはいけない人なのである。こういう人は、必ずや、金でもって、身を守るよりほかに手段がなくなってしまう。そこに田中角栄という一旗組の限界があるのである。そういうよりほかにない。私には胡散臭い奴を計る尺度がほかにいくつかあるのだけれど、ひとつだけ紹介することにする。それは「高級酒場でシャンソンを歌う人」である。これは、さらに説明が不可能になってくるが、参考までに書くと、中曽根康弘は銀座の高級酒場でのシャンソンの名手である。こういう人にかぎって、すぐに「襟を正す」と発言したりするものである。「すぐに襟を正すと言う人」というのも、私の持っている尺度のひとつである。どうも、なんだか、待合の内儀みたいになってきたが、私のような男は、こうやって判断するほかに手立てがない。(中略)私個人は、これはあくまでも私個人に限っての話であるが、田中角栄の収賄も、その他の不正な収入も許してやろうと思っている。どうせ「生き永らえるに値しない」でたらめな世の中なのだから。しょせん、田中角栄的なる、頭の良い不徳義漢に支配されるより仕方がないのだから。……私は「金の恨み」だけを言う。それも税金だけは支払ってくれと要求する。いったい、いまの世の中で、どうやったら、あの巨大に過ぎる豪邸集団を構え、何人もの妾を養うことができるのか。その筋道だけを教えてもらいたい。そうして、当然、そのぶんの税金を支払ってもらいたい。もう、道徳を要求する気持ちはさらさら無い。私生活と資産を公表すべきだと言われている一国の宰相について、これが私の百万歩を譲ったところの哀れな願いである。(山口瞳「旦那の意見」下駄と背広)