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カテゴリ:遺構 産業、土木遺産
午後から一人と一匹JA11で散歩
今日は千葉に行きます。 目指すははポートパーク しかし無茶苦茶混んでる 駐車場に入る列が凄い路注もハンパない。 諦めて他に行きます。 そういえば検見川付近に行ってみたかった場所があるんでそっち行きます。 「検見川送信所跡」です。 日本初の電波送受信開始した場所のようです。 ロンドン軍縮条約で濱口雄幸内閣総理大臣が記念演説を行い、濱口の演説をアメリカ合衆国とイギリスへ向けて送信した。またアメリカ合衆国からはハーバート・フーヴァー第31代大統領、イギリスからはラムゼイ・マクドナルド首相の演説を受信し、日本各地へラジオ放送を発した送信所でもあった。 太平洋戦争(大東亜戦争)中は南方の占領地との通信拠点だった。 開戦の暗号電文 「ニイタカヤマノボレ ひとふたまるはち」がここから発信されたという説があり 戦時中の通信拠点から戦争遺構とされています。 こころない輩の落書きや窓割りのせいで貴重な遺構が只の廃墟のようになってしまいます 内部に侵入し荒らしまくる馬鹿共のせいでデザインの良い窓や扉は鉄板で閉ざされてます。 設計した逓信省技師の吉田鉄郎が見たら悲しむ惨状です。 アーチの形状や角の丸い柔らか味のあるデザインがわかります。 コンクリも一部剝がれてきてます。 本来は鉄塔やアンテナその他関連施設の建物が多くあったらしいですが 現在はこの本館?と一部のみです 給水塔かな? 「ニイタカヤマノボレ」じゃなく戦争回避で攻撃中止の場合の「ツクバヤマハレ」を送信した場所であればよかったのですが・・・ 良いもんみれました! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.05.14 09:08:09
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