1990年の夏
僕達一家は現在の家を自力で建て始めた。 女房と結婚した当初から、家を持つなら自分達で建てよう、と夢物語を話し合っていた。 80年代は僕らにとっては子育ての時代だった。 子供達は小学校から中学校の時代をすごしていた。 僕としては、この80年代の10年間は濃密な家族生活だったと思っているのだが、果たして子供達はどう思っているのだろう。 狂乱のバブル時代が終焉に近づいていた時期、僕達は山間の小さな土地で、遊んでいた。 立ち木を切り倒し、スコップで土地を掘り起こし、軽トラでその土を運んで 家を建てるための造成工事をやっていた。 7月の暑い時期に、基礎のグリ石を並べ終え、鉄筋を組み終え、8月の終わりごろには最初のコンクリートを流し込んだ。 小学生だった娘も、中学校2年生だった息子も、華奢な身体を泥だらけにしてがんばった女房も、大きな雨どいのようなシューターから流れ出してくるコンクリートと格闘した。 僕は43歳、男盛りで疲れ知らず。 暑い日は裸で土方作業に取り組んだ。 同じ頃、【奇跡の自転車】の主人公・スミシーはボストンの南、ロードアイランド州の東プロビデンスから、子供のころ乗っていたおんぼろ自転車に、身長178センチ、体重126キロの巨体を乗せて、はるかロスアンジェルスのヴェニス・ビーちを目指す旅に出た。 1947年生まれ、と言うことだけが小説の主人公と僕の共通の事柄かもしれない。 だけど、この小説は色々な意味で、僕の、あるいは僕達の世代の人生の一時期を切り取った物語かもしれない。 それぞれに夢や現実を抱えて、それでも人生の充実期に一心不乱に目的地に向かっている姿を、形こそ違え、提示してくれたような気がして、この3日間読みふけっていた。 ロードアイランドからニューヨークを経て、中西部をはしり、広大な平野からコロラドの山を抜け、アリゾナの高原でさわやかな出会いを繰り返し、モハベ砂漠を一気に突っ走り、やがてヴェニスに至る旅の中で、スミシーは善意の人々と出会っていく。 ひたすら家族と幼き日の自分の周りの人々の善意を忘れずに、愛しぬいた姉の幻影を追いかけながら、ついに自分自身と何もにも変えがたい愛を取り戻す物語。 一章ごとに、回想と現実(小説の)時間軸が交互に繰り返される構成は、新鮮だった。 物語は終わるけど、語りきれない物語はその後も続いているはず。 2ヶ月をかけた末に愛を得たスミシーは幸せに暮らしただろうか?と思わずにはいられない。 僕は、その後、5年をかけて、一応家を建て終えた。 その時には、息子は高校を卒業し、娘は高校生となっていた。 この家で家族4人で一緒に過ごした時間は、家を建てることに要した時間より短かった。 人生に、落ちは無い。 僕らが塵に帰るまでず~~っと続いている。 その時が来るまで、家族や友人を愛し続けなければならないなあ、と改めて思い起こさせる小説だった。 因みに、大陸横断の旅を始めた時、スミシーは 身長178センチ 体重126キロ、一日二箱のタバコを吸い、一度の半ダースのビールを飲み、さらに何杯かのスクリュードライバーを飲み続けていた。 旅の途中で35キロほど体重を落とした、と記述があったから、最終的には80キロ位になったのではないかな。 タバコは嫌な臭いがするといっている。ビールは飲んでいるのかどうか? 旅の道程を、グーグル・マップで追いかけながら読んでみた。 アリゾナからは馴染みのある、何度か通った場所が出てくる。 ロードアイランド、フィラデルフィア、NY,ニュージャージーなど東海岸方面は、娘がこの辺りに住み続けると訪問する機会もあるかもしれない。