★三億円事件 --- こだわり続ける元捜査員 【後編】
三億円事件 こだわり続ける元捜査員 【 後 編 】 戦後史開封 昭和40年代編 扶桑社文庫 750円 送料無料 (オリジナル版は絶版) 「戦後史開封」(同取材班・編) 産経新聞社 扶桑社(1995年 1月)より一部を掲載・敬称略 昭和50年12月10日午前零時、三億円事件は事実上の時効を迎えた。 私生活を犠牲にして捜査してきた延べ17万人の刑事たちの7年間は報われなかった。 最後の特別捜査本部キャップとなった元警視庁捜査一課管理官、北野一男は 「このときのことを話すのはつらい」という。「発生時も雨だったが、時効の日も雨だった。 『最後まで涙雨を降らせやがって』 と思っていたら、深夜にはみぞれ雪になった」 当時、捜査本部には事件の解決を祈って岩手県の婦人が送ってくれた風鈴が夏から吊るしっ 放しになっていた。 「なんか、芭蕉の『夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡』って感じだったよ」 平日の日中の犯行だったことや、現場付近に東京学芸大、東京経済大、東京農工大など 大学が多かったことから、犯人像のひとつに”学生”も浮かび上がった。しかし、「捜査方針と して組織的に学園に入ってやるのはまずい」と大学内での捜査をしないことが決まったという。 43年は大学紛争が吹き荒れ、東大、日大をはじめ、全国116大学で紛争が起きていた。 当時はまだ、捜査のためキャンパスに入った私服刑事がリンチを受けるような時代だった。 刑事上の時効になった50年12月10日の前夜、各テレビ局は特別番組を組んだ。 ニールセン調査によると、遅い時間帯にもかかわらず、視聴率は極めて高かった。 NHKが午後10時15分から放映した「三億円強奪事件」は11,7%を記録、前日同時刻が 1.2%で実に十倍の数字だ。 民放でも日本テレビ 「11PM 『時効成立!?』 が8,3%、 NET (現テレビ朝日) 「ザ・23 『時効!?三億円事件』」 が6,7%など-- 軒並み好成績だった。 発生から20年経った昭和63年12月10日には民事も時効となり、事件は遠い出来事になった。 もしも今(※1995年)、犯人が現れたらどうなるか。-- 警視庁の公式コメントは「所要の捜査を行うことになります」 -- とはいえ、捜査権は 公訴を前提としているため、実際には任意で事情聴取するぐらいしかできない、という。 ▲「 朝日クロニクル 20世紀 第6巻 1961‐1970 ― 高度経済成長」 朝日新聞出版 より 犯人への課税の可能性はどうか。 -- 「法定申告期限は最高で7年。三億円事件のような不労所得も課税対象だが、7年を過ぎ るとうちの方では何もできない」(国税庁) 日本信託銀行に被害額と同額の保険料を払った日本火災海上保険は「すでに公的には 求償不能だが、もし犯人が判明した場合には、その時点で対処方法を検討したい」という。 三億円事件と16年後の昭和59年に起きた「グリコ・森永事件」との犯人類似説を唱えて いるのが、直木賞作家の井出孫六(63)だ。 井出は三億円の犯行時間、現場からわずか数百mのバス停で当時勤めていた出版社に 出勤するため国分寺駅行きのバスを待っていた。以来、事件への関心は人一倍強い。 「三億円事件の犯人が多磨農協に送った脅迫状と、グリコ・森永の”かい人21面相”が 警察に送りつけた挑戦状は論理構成が似ている。東京弁を河内弁に置き換えたらそっくり。 時間の経過を考えたら、犯人の年齢だって一致するでしょう」 同一犯人と言えるほどの論拠はないが、脅迫状によって犯行の”環境”づくりをすると いった犯行計画の周到さに加え、犯人が犯行現場の地理に詳しい、車の運転がうまい、 緊急配備と大捜査(ローラー作戦)を潜り抜けている -- など、両事件の共通点は多い。 民事の時効が成立した昭和63年12月10日と同時期、事件の関係者の一人が結婚した。 被害者である日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車を運転していたC運転手である。 Cが他の三人の行員と一緒に事件に遭ったのは31歳のときだった。偽白バイ警官に 「車にダイナマイトが仕掛けられた」と脅された際、キーを抜かずに車を離れたことから ”グル”ではないか」と疑われたこともあった。 疑いはすぐに晴れたものの、Cはその後、「事件が終わるまで結婚はできません」と 20年間、独身を貫き、結婚したときは50歳を超えていた。 かつて特別捜査本部があった府中署内に23年以上保管されてきた 偽白バイの本体は2年前に処分されたが、現役捜査員の強い要望で ナンバープレートだけは額に入れて飾られている ---